2021.6.13. 吉見百穴

くもり空。

今日は少し早起きして2人ででかけた。リクエストをもらったので、吉見百穴へ向かう。
環七を走って練馬から関越道。日曜朝の環七はすいてて走りやすかった。あっという間に東松山ICへ。そこから一般道を暫く走ると吉見百穴に到着。無料駐車場は広大だった。

山の際に穴があいている。それも多数。案内によると200以上あるようだ。明治の頃にはコロボックル人の住居跡などと考えられていたようだが、その後の調査で古墳時代後期の横穴古墳群であるとされた。6-7世紀ということなので、聖徳太子の時代らしい。なるほどね。
昭和の大戦後期には空襲を避けるため中島飛行機がこの場所に地下軍需工場を建設したが、本格稼働する前に終戦となったようだ。以前は掘られた洞窟内にも入れたようだけど、現在は閉鎖中。天然の冷風を絶えず生み出している。
で、この古墳群。結構な急斜面に作られていて、中央に階段が設置されて登りやすくなっているものの、かなり狭くて勾配が急で危ない。斜面の穴(玄室)のいくつかは中を覗けるようになっている。落書きされているところもあったが、中に入る人もいるんだな・・・。一番上まで上がると眼下には東松山の風景が拡がる。左手には松山城址。晴れた日には富士山も望めるようだ。
下に降りて、茶店に寄って昼飯に手打ちそばをいただく。お土産に五家宝を買った。きなこだけじゃなくていろんな味付のが作られているんだな。レモン味とかどんなだろうか。

まだ時間があったので川越に移動。ひたすらバイパスを走っていたら30分くらいで市内に入った。喜多院の駐車場に停める。以前川越まで遊びに来たときはこの喜多院に寄らなかった。
江戸初期に川越で大火があり、その時に喜多院の建物は山門を除いて全焼してしまったため、江戸城紅葉山にあった建物をここに移築した、とのこと。喜多院の住職は天海僧正。江戸城から移築された建物の中で、「書院」に春日局化粧の間があり、「客殿」には徳川家光誕生の間があって見学できるようになっている。
家光の乳母・春日局は明智光秀家臣の娘であるため、ここにその遺構が存在するというだけで「天海僧正明智光秀説」を補強するような気もするけど、資料的な裏付けはないそうだ。ちなみに明智光秀も天海僧正も生年は「不明」とされている。記録が(幕府によって)消されたとも考えられるね(^^;。とてもロマンのあるお話だ。
江戸城造営に50年以上関わり、家康の廟所を久能山から日光へ移すなど、江戸初期に相当活躍した人物の本拠地としての川越。豊かだったんだろうなぁ。

喜多院を見学してから、せっかくなので街の中心部まで歩いた。時の鐘までは500mくらい離れている。成田山の別院などが立ち並ぶ寺町を抜けて蔵造りの通りあたりまで来ると、観光客がドッと。浴衣の女の子も多い。鎌倉とか浅草とかそんな雰囲気なんだね。ついぶらぶら歩いて時の鐘まで来てしまった。ものすごい人の数。人力車も行き交う。食べ歩きしている人も多数。
娘に何か買って帰ろうと思い、さつまいもスイーツを買ったら早々に引き上げる。大正浪漫夢通りの川越タルトでもお土産を追加して、ソフトクリームを食べて一休み。さて、帰ろうか。

喜多院の駐車場に戻る。川越市内をクルマで走ると、これが思った以上に渋滞していて進まない(^^;。川越ICから練馬まではスイスイと走れたけど、環七の上馬立体交差出口で詰まって(単独事故だった)往生した。
なかなか楽しかったが、結構疲れたかな・・・。

13079歩 8.5km 486kcal 37.2g

吉見百穴
ILCE-7M3 VarioTessar16-35mmF4
2021-06-13 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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