『未来のミライ』


暑い。

今日も映画だな・・・。予約しておいた細田守監督『未来のミライ』を観に二人で川崎まで。娘はテスト期間中なのでしばらく行けないとのことだった。

で、映画。これがねー。とてもビミョーな映画でね。子育てを経験したワタシたちが観てもビミョーって感想が浮かんでしまった(^^;。
公開直後だからなぁ。あんまり書いて観る気を削いでも気の毒だしな・・・。
家族の映画ってことは間違いないんだけど、妹が生まれてお兄ちゃんになった4歳の男の子が、妹にヤキモチを焼いて赤ちゃん返りする様子をこれでもかと繰り返し描く映画なんだよね(^^;。で、合間合間にお兄ちゃんを”癒やす”んだか”諭す”んだかの役割を担った幻影(のようなもの)が家の中庭に植わった”木”から発せられる・・・。おそらく、描きたいのはその幻影で描かれるエピソードだと思うんだけど、結局幻影なので映画のストーリーにはならず断片でしかない。
題名が『未来のミライ』なんだけど、ミライちゃんはあくまでも脇役。幻影で描かれるファミリーヒストリーに出てくる人たちも(キャラは立っているのに)脇役。で、観客は主人公の男の子に感情移入できない(^^;。これはなんでだろうな、って思ったら、主人公はグズグズいってるばかりで彼の”内面”についてほとんど描かれていなかったことに気がついた。このせいで話が前に進まないように思えてしまう。
監督の実体験が作品のきっかけになったようだが、お子さんの外面は細かく観察できても内面を深く掘り下げる作業をしなかったのではないか。子供の姿のままで内面を語らせると”子供”じゃなくなってしまうため、かもしれないが、そのためだけに”未来のミライ”を登場させて子供の気持ちを語らせたんなら安易かもなぁ・・・。ここで描かれている”子供”はあくまでも大人から見た”子供”の姿であって、物語の主人公足るに不可欠な心の動きが描かれていない(ように見えてしまう)。
ひいじいちゃんのエピソードとか、いい話もあるので、家族は”つながっている”って大きな主題は感じることができるけど、主人公の内面に関わる描写がまったくないから主人公の物語になっていない。
ひいじいちゃんの時代まで遡れるなら、おもいきり未来に振って「主人公が結婚する相手を見つけて自分も家族を作ろうと決意する」話とかまで描いたらよかったのにな。メタ視点で振り返れば、お兄ちゃんのグズグズがラストの伏線としてキレイに回収できるわけで。

絵は抜群にキレイ。美術も動きも緻密で監督の凄みはこういうところに出ている。あの”東京駅”は子供から見たらあんなダンジョンのように見えている”東京駅”だよね。駅員さんがロボットに見えて、とか、乗ったらどこへ連れていかれるのかわからない列車とか。すごくいい。文句ない。それだけに、ちゃんとお話をおもしろく組み立てられる脚本家を起用して映画化したらよかった。もったいないよ。

9019歩 5.8km 339kcal 25.9g

ILCE-7II SUMMICRON35mmF2

2018-07-22 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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