青山から近代美術館

岡本太郎記念館を出て骨董通りを表参道方面に向かって歩く。
なんだか現実感のないお店が並び、それでも人通りが多い。ただ歩いている人ばかりのような気がするなぁ。やたらスタバが目に付くのは気のせいか。オシャレ=スタバという図式もそろそろ古いのでは。
お昼を過ぎた。青山通りを歩く。明治屋がなくなってゲーム機のショールームになっていた。ランチも出すらしい。そういえばお腹空いたな。青山で昼飯か。何を食べればいいんだろう。ちょっと思いつかなかった。
表参道交差点。谷内六郎のタイル画は健在。通り過ぎて外苑前に向かう。数年前にやはり一人で歩いたことがあったが、この通りは特に気持ちに引っかかるものがなかった気がする。とりあえず昼飯を食べようか。ラーメン屋を見つけたので入った。坦々麺がうまそうだ。頼んだ。待っている間も「今日の芸術」を読み進める。
運ばれてきた。ん、なかなかうまそうだ。かなりゴマ風味が利かせてあって、挽肉とモヤシの炒めものがたっぷり入っている。こりゃなかなかうまいわ。読みながら食べる。周りのお客も結構切れずにひっきりなしに入ってくる。皆坦々麺を頼んでいるようだ。有名なの?
食べ終わって外に出る。コンビニでブラックの缶コーヒーを飲んでから外苑前駅。
銀座線・半蔵門線・東西線を乗り継いで近代美術館へ。「ドイツ写真の現在」が開催中だ。いったいどんな写真だろうか。順に見始める。構築物を静かに見つめた作品が並んでいる。風景写真もあくまで静謐な印象。大判のフィルムを使って精緻な描写で構築物を撮る。撮る。撮る。一覧した。感想を一言で言うなら、カタいねぇ、ということになる。カッチリと。あくまでカッチリと精緻に被写体を捉えようとする。これがライカを生んだ国の人の持つ視線なのだ。もしかしたらライカもこういう写真を撮ってもらうために作られたカメラなのかもしれない。ライカの使い手として木村伊兵衛氏や土門拳氏の動的なスナップ作品を我々は知っている。作った当のドイツ人はこういう写真を撮ってもらおうと思っていなかったんじゃなかろーか。なんて思ったりして(^^;。
ドイツ写真的表現空間に日本の写真が衝撃を与えたのもなんとなく分かる。感覚的に言って、たとえば荒木さんや大道さんの写真だけとってみても、同じ”写真”の領域で表現された作品とは思えないほど受ける印象に差があるのだ。
ドイツ製の小型カメラがあれだけの高性能を誇りながら廃れてしまい、日本製カメラが今日生き残ったのは、このスピード感溢れる動的スナップという現代写真を撮影するにはドイツの発想は向かなかったからなのではないか、とふと思った。レンズ付フィルム、デジタルカメラと、日本は写真を撮るという撮影者の立場からカメラを発想した。写真の主役はあくまでも撮影者であってカメラではない、という立場を取った日本の写真作家の志向も大きく影響しているとは思うが。
会場は程よく人が居る感じでそれぞれ思い思いに作品の前でたたずんでいた。大伸ばしにされたグルスキーという人の作品にはワタシも思わず見入ってしまった。
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2005-11-13 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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