その翌日

大変な木・金曜日を過ごした後の土曜日。

眠い眼をこすりながら、気が付けば昨日の市会を反芻していた。

いっぱい出たなぁ。量だけではない。大市を除けばここ数年で最も高品質の品物が揃っていた。仕事に追われながらも品物に齧りついた。初めて見た品物だろうが、感覚を駆使(?)してがんばって入札した。自分の見当から大きくはずれて高くなっていた品物もある。しかし、そんなのは日常茶飯事だ。同じ品物に対して2000円を入れる人のすぐ横で、真剣な顔をしながら50万円までの札を書いている人がいるのである。
同じ本に対してここまで評価に開きがあるのか・・・、と愕然とすることも珍しくない。経営員をやって人様の入札札を見せていただくこと8年。そこでわかったのは「本に相場などない」ということだった。その本を自分はいくらで値踏みするのか。本を見ていながらまるで鏡を向けられ、自分のアタマの中を映されている感覚になる。自分に自信のないとき、札にはそれが出る。コワイことだ。そんな時落札できても不安になるだけ(^^;。
市場で本は値札をぶら下げてなどいない。最後に頼れるのは自分の感覚とサイフの中身だけだ。

市会というある種非日常空間。独特のざわめきの中で苦労しながら札を書き、落札して喜ぶのも束の間。店に持ち帰ればあとは日常の店空間に引き戻される。価格の高いものから売れない傾向をどうにかしてやろう、と無いアタマを絞る日々。この品物の良さをどうやって必要としている人に伝えられるか。

本の持つポテンシャルを信じられなければ入札さえ出来ない。モノが売れなくなった日本だが、本はモノであると同時にテキストでもある。魅力は複雑に入り組んでいる。本と本は見えない手で繋がれていて、1冊手に入れると関連図書から世界はくもの巣のように広がっていく。
自分が関心を持てる範囲だけ世界は広がる。本を持つこと(読むこと)はモノを買うなかでも少し特殊な存在のように思う。それは本がカルチャーの本道という地位に座り、クロスジャンルする文化の橋渡し役として全く揺るがないからではないだろうか。本の文化は日本だけでも千年以上前から存在する。その重さ・厚さに日本人は早く気付くべきだろう。

眠いと抑制が効かなくなる(^^;。何か書きすぎたかもしれない。
来週の明古もたぶん前日荷受になるはずである。年度末に向けての出物ラッシュが続いている。

2003-04-26 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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