誕生日

今日5月2日は長女の3回目の誕生日である。

3年前のその日、前日の1日は金曜日で明古だった。
仕事の後、皆で奮発して赤坂まで飲みに行っていたときに女房からの電話が鳴った。「熱が上がって苦しいから帰ってきて」というヘルプコールだった。臨月ではあったが予定日までもうしばらくあった。盛り上がっていた飲み会を途中で退席し、しぶしぶ帰宅した。すると帰るのを待っていたかのように程なくして陣痛が始まった。10時過ぎのことだった。慌てて病院へ電話。クルマを車庫から出してきたが、陣痛が始まっていたため階段を下りるのさえてこずった。なんとかクルマに乗せて病院へ急いだ。

「お父さんはご自宅で連絡をお待ちください。」無事に分娩室へ運び込むといったん帰された。クルマを戻し、何時呼び出されるかわからないので仮眠を取っておこうと布団を敷き、潜り込むとすぐに電話が鳴った。助産婦さんの声で「お生まれになりました。女の子です」と報告を受けた。陣痛の開始からたった2時間あまり。安産も安産である。それまではよかったのだが、「お母さんの後産がまだなんです。ほおっておくと大出血を起こしたりして危険ですから、手術が必要です。付き添いに来て頂けますか。」と言われ、また慌てて病院へ向かった。2日0:30を過ぎていた。

病院へ到着するとすぐに長女を抱かせてもらえた。たった2時間で生まれるなんて親孝行な子だ。2370g。2日に日付が変わった直後の0:17に生まれたそうだ。小さい小さい。強く扱うと壊れてしまいそうだ。長男の時を思い出しながら抱っこすると一瞬笑ったような気がした。
それはそうと女房はどうなっているだろう。先生は「本院にはもっとしっかりした設備がありますから、そちらで手術するのがよろしいと思います。」と救急車を呼んでくれた。後産とは胎盤やら卵膜やら出産が終わって不要になった臨時臓器が自然に排出されてくることを言うらしい。搬送台に寝かされた女房と二人で救急車に乗って多摩区にある本院へ向かった。がんばったね、と声をかけると少し血の気のひいた顔だったが元気に「救急車に乗るの初めてだよ。なんかおおごとになっちゃったね」と答えた。その様子をみて安心した。

20分くらいで到着し、それから女房は子宮内の卵膜を剥がす手術を受けたようだ。真っ暗な待合室で結果を一人待つ時間は長かった。寝るわけにもいかないし、そのまま朝までそこにいた。先生から術後の結果を聞いたのは何時頃だったか。記憶が定かでない。まだ真っ暗なうちに「うまくいきました」と言われたはずだが。

翌朝、一度家に戻り、クルマで迎えに来ることになった。長女の生まれた病院に女房を移すためである。バスに乗って南武線で一旦店に帰った。24時間以上寝てない目には青空がまぶしかった。軽く朝飯を食べて仮眠。午後からクルマに乗って女房を迎えに行った。
長女のいる病院まで戻ると、病室にHIDEさんとKEITAさんからお祝いのお花が届いていた(!)。すごくうれしかった。でもどうやってこの病院を知ったのだろう?

新生児室に寝かされていた長女は数日して保育器に入ることになった。少し体力が弱くて呼吸を休んでしまうから念のため、ということだった。透明な四角い保育器の中で暖をとる為の光線を浴びていた。光線から目を守るために目隠しをしていて痛々しかった。女房は程なく退院。搾乳して病院へ見舞いにいく日が10日ほど続いた。その当時の写真が残っているが、今からでは想像がつかない。それくらい元気に育ってくれている。
生まれた以上親子という関係はどちらかが死ぬまで、いや、死んでからだって続いていくのである。長男は7歳、長女は3歳。まだまだ小さいが、この子達が少なくとも自分で自分を支えていけるようになるまで見守る義務が親にはある。
親は親で子供を通じて社会と接点を持つ。今回のPTA活動などもそうだろう。子供を持つことで広がる世界もある。
今日で長女との付き合いは丸3年となった。早いような遅いような・・・。長女がまだ生まれていなかった時期が確かにあったはずなのだが、今となっては全く思い出せない。たった3年のはずなのにずっと前から一緒にいるような感覚でいる。これからは子供の成長にも加速がついてくるに違いない。彼らが大きくなるということは我々両親はそれだけ歳をとっていくということになる。早く大きくなってもらいたいと思う反面、そのときが来るのが怖いような妙な気分だ。
将来、子供たちと一緒に酒を飲みたい。ささやかなワタシの夢だ。

0502

2001-05-02 | Posted in 甘露日記Comments Closed 

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