甘露日記2002年2月

■2002/02/28 (木) 早いなァ

もう2月が終わる。

ついこのあいだ1月が終りだって言ったような気がする(^^;。毎月末にはいつもこんなことを書いてしまいそうだ。だって早いんだもの。

今日は前金でのご入金も一段落か。それでも7通荷造り・発送した。月末はやはり皆さんお忙しいようだ。
で、今日は一新会。
昨日落札した荷物が3本。すべて上札だった(^^;。やっぱり安くは買わせてもらえませんね。カトリック大辞典のきれいな本が買えた。5年振りくらいかな?またデイパックと手提げに目一杯詰める。ズッシリと肩に腕にかかる本の重さ。最初は良くてもこれを1時間持っててみなさいナ。一日番台に座って楽そうに見えるのが古本屋、なあんて思っている方、それは世を忍ぶ仮の姿をごらんになっているだけですよー(^^;。

店に戻って今買ってきた本をせっせと整理してデータベースに入力。明日の朝には「日本の古本屋」にデータが反映されているという具合。たった今採れたばかりの活きのいい本がサッと並ぶ棚を目指して!

そうそう、並びのおもちゃ屋さんが今日で閉店なのだ。創業40年余りというから、ワタシが生まれるずっと前からあったはず。子供のころ誕生日に何か買ってもらうのは決まってこのお店だった。エポック社の野球盤、お国自慢ゲーム、なんて懐かしいなァ。野球盤はそれこそぶっ壊れるまでよく遊んだ。お国自慢ゲームって人生ゲームのような、いわゆるボードゲームだったんだけど、日本地図をめぐることで各地の名物やら食べ物なんかを覚えられた。よく遊んだ。
TVゲームが全盛の昨今では、おもちゃ屋さんは各地で苦戦している。トイザラスなんて大型店まで進出してきたから街の小規模商店はまず持たない。外圧で規制がどんどん緩和され、大型店の営業時間は延長され、床面積の規制もユルユルである。まるで個人商店は潰れなさい、と言わんばかりの政策がとられている。

ここ新丸子も商店街のお店が一軒また一軒と店を畳み、その跡には東京資本のマンションが立ち上がっている。景気が悪い悪いという声に乗じて、必要な規制からどんどん緩和されている、ような気がする(^^;。

町会の理事の任期があと少しと迫った。今日は後任の班長さんをお隣にお願いしてきた。この班長さんの中から次期の理事さんが選出されるはず。
いろいろあったが、やはり勉強になったと思っている。

■2002/02/27 (水) やめる理由

今日も朝からJNBにご入金のお知らせが入る。

やはり皆さん、本は欲しいと思ったらすぐ手にしたいということのようだ。ネットで注文しても途中でやめてしまう人というのが、本に限ったことではなく、4割にも登るという。その最大の理由が「めんどくさくなった。」(^^;。我々通信販売業者は、お客様が「めんどくさい」と思わないようにする努力をしなければならない。

しかし、その一方で、お互いに顔が見えない取引である。買うまでの「めんどくさい」一連の作業は、売る側にとって必要である可能性が高い。ホームページを始めて最初の取引でヒドイ目に遭い、それからすべて前金をお願いすることにした。

お客様は送金した以上はすぐに本を手にしたいようだ。郵便振替だと約1週間のタイムラグがある。そこで、JNBに口座を開き、先月末から取引に際してのメールにはすべて書き込むようにした。すると、取引量はグングン伸びて、郵便振替の1/3までになっている。これからはネット社会がアタリマエになる。銀行のATMの横にはインターネット取引を勧めるパンフレットがズラリと並んでいるではないか。ネットバンクに口座を持ってから振込みに行列する事がなくなった。それだけでも十分に価値がある。まして振り込み料金が安いのだから、導入をためらう理由なんてない。

注文してインターネットで代金を振り込む。それだけでさっき注文した本が早ければ翌日にも届けられるとしたら・・・。いや、もうこれからはそれがアタリマエになってゆくのだろう。

今日は資料会。今日は大口が届いていたらしく、会は盛況だった。月曜日に積みきれなかった荷物をまたまた目一杯背負い、昼下がりの東横線で帰ってきた。

途中、Bカメラでモノクロフィルムを購入。

■2002/02/26 (火) 宴会写真

起きたら9時を過ぎていた(^^;。

こりゃあ寝坊だ。飛び起きると娘はまだ寝ていた(^^;。

朝からJNBに次々前金のご入金があり、ご注文のメールが5件。あれこれと忙しい。開店前に荷造り・発送と返信を終える。

店を開けてしばらくして町会の総務さんがいらっしゃる。いつもの配り物と思いきや、「新年度班長・理事人選のお願い」とあった。そうか、やっと理事仕事から解放されるのか(^^;。良かった良かった。ワタシ以外のメンバーを見ると一目瞭然だが、皆さん歳がずっとずっと上なのだ。役員というのは仕事をリタイヤされた方がやるものだと思っていただけに、先日青少年指導員に推挙されたときにはビックリして辞退申し上げた。ワタシにはまだまだやるべき本来の仕事があるのですよ(^^;。

昼過ぎに女房が買い物に行くというので、出しておいた写真を受け取ってくれるように頼んだ。今回はデジカメとビッグミニしか持って行かなかった。AFコンパクトカメラは人物スナップを撮るには最適。ピントを外しませんからな。
で、初日夜の宴会写真がズラズラっとあった(^^;。酔っ払っているからそのときは撮る方も撮られる方も全然平気だったけど、こうして改めて見てみるとかなーり寒い(^^;。
でも、きっと、何年かしてこの時間をとても懐かしく感じる日が来るのだろうな・・・。写真は変わらない。たとえ人の方がその後変わってしまっても、ネ。

そんなことを思いながら店番をしていると、いつもいらっしゃるお客様が、さっと本を帳場へお持ちになる。唐十郎の本だったのだが、お包みしてお渡しすると、レジ前の壁面に掛けておいた牛腸茂雄のオリジナルプリントを熱心にご覧になっている。「このお名前はなんて読むんですか?」ごちょうしげおです。
一旦店外に出られたその方は、意を決したようにすぐお戻りになった。「これ下さいっ」・・え?この写真でよろしいですか?「はい」
作者の名前からというよりも、この”三人の少女”という写真そのものに惹かれたらしかった。
ワタシはその方の潔い写真の求め方に打たれ、つい蛇足と思いながらも作者牛腸茂雄のことについてあれこれと申し述べた。いや、そんなことは必要なかったのかもしれない。ワタシの説明が終わるのを待っていたかのように、サッとお帰りになられたからだ。

「大事にします!」と言われたお客様のとてもうれしそうな表情が余韻を残した。

好きな写真が売れてしまうと、うれしいけどさびしい、ネ(^^;。蛇足的説明をしたのも、長く楽しませてもらった写真への最後の別れだったのかもしれない。

■2002/02/25 (月) ひさしぶり

昨日までの旅行で朝はさすがに眠かったが、子供たちに起こされた(^^;。

ま。仕方なし。子供には子供の都合がある。今日から学校だもの、ね。

大市が入った為もあるが、実は中央市通常市に行くのは1ヶ月ぶり(^^;。なんだかあれこれあって行けなかったのだ。楽しみ楽しみ。その前に例によって休み明けの大量発送仕事。全部で12件の荷造りと発送。忙しいけど、それが楽しい。女房に試しに言ってみると「ヒマよりはましでしょ(^^)?」と言われた。ヤッパリねっ。
郵便局に行くついでにフィルムを現像に出した。55分で上げてくれるお店が近所に何軒もあるんだけど、36枚撮りで1本2000円近くになってしまう。たった一日待つだけでそれが1/4になるのですよ(^^;。ウチは薬局集配に来るフジ系大手ラボへ出している。値段が1/4なら品質もそうかといえばそうはならない。こういう大手は工場を24時間稼動しなければならないので、こうして安く仕事を請けて夜中も機械を止めないようにしているワケ。フィルムもISO400で36枚撮りアグファが5本で980円になっているときを狙って買いだめしている。1本現像のランニングコストはフィルム代込みで750円。安いね。

さて、中央市会。お。Yくんが元気に入札している。まいどー。「昨日はお疲れ様でした」確かに疲れたけどねぇ(^^;。一回りしたけどあまり気合を入れるべき品物を見つけることは出来ず。ただし、大市後で普段より荷物が多かった。中央市経営員の皆さんは今日が大市の打ち上げとの事。ホントにお疲れ様でした。

デイパック一杯と手提げに満タンでも足りないほど落札(^^;。困ったなァ。帰りはちょうど帰宅ラッシュの始まる頃。一度自動改札を通らなければならないから九段下駅での乗り換えが少々難儀だ。また、半蔵門線も永田町駅でお客がドカドカ乗ってくる。荷物が満タンの手提げとデイパックを網棚に載せたはいいけど、渋谷駅で降りるときには大抵下ろしにくい車内状況になっている(^^;。月曜日はツライよ。

渋谷駅で各駅停車に乗り込む。荷物が多いときには無理して急行に乗らない。これまた後で降りるのに難儀するからだ。特急が出来てから各駅停車がすくようになった。これを利用しない手はない。

帰ってきてメールチェック。日記の参照カウンターがすごい回っている(^^;。まずいな、ちょっと表現がセキララ過ぎたか・・・。

■2002/02/24 (日) 明古経営員旅行二日目

朝。目が覚めたのは6:30。

確か昨夜はワタシが部屋へ帰ったときに起こしてしまった同室の主任と、寝ながらあれこれ話しているうちに意識が無くなったはず。
あんまり寝てないんだけど、旅先で枕が違うと深く眠れないらしい。夢を見ているうちに目が覚めてしまった感じ(^^;。

窓を開けてベランダへ出る。さわやかに晴れていた。雪で白くなった山があんなに近い。旅情を感じるのはこうした1人でポツンとしているとき。新聞を読みながら部屋に備え付けのインスタントコーヒーを入れて飲む。うまい。

一応7:30を目処に本館の食堂へバイキング朝食を摂りに行く事になっていた。みんな起きてるかな?廊下に出てみると昨日マイクを離さなかったMYくんが水着姿で同階にあるジャグジーの方に居た(^^;。赤の水着がなんだかプロレスを連想してしまう。リングネーム考えとかなきゃ。

7:15を過ぎたので主任とワタシで各部屋を回り、皆を起こす。本館の食堂で朝食の旨を知らせて、我々は一足先に食堂へ移動。昨日の夜にバスで移動した本館と別館の距離は歩いてほんの1分の距離だった(^^;。よく晴れてカチンと冷たい空気。朝日に照らされながらも細かい雪が少し舞っていた。なかなか良い風情。

果たして食堂へ到着するとすげえ人の数だった。こんなにお客さんが来てたのか。着替えを済ませてあとは出掛けるだけ、といった感じの人も、これから風呂めぐりするんだよ、といった感じで浴衣の人も。家族連れからカップルまで様々な人たちが一斉に朝食を摂っていた。洋食と和食。パンとご飯。デザートに果物。沢山の種類の食材が並んでいる。どれも水準以上のうまさで、MOくんは普段の食卓の貧しさを穴埋めするかのように、朝からものすごい量をあっという間に食べ切ったそうだ(^^;。

主任は食後そのまま朝風呂へ。ワタシは売店で家族へのお土産を買う。仙台銘菓「萩の月」がほとんどそのままの形で「那須の月」として出ていた(^^;。ま。これはこれでウマイので、良しとしましょう。それと、季節感が出るから蕗味噌を買う。この手の漬物を女房は好きなんだよね。

チェックアウトは9:30。フロントの女の人にロビーで集合写真を撮ってもらい、2台のクルマに分乗して出発。さて、何処へ行く?RTくんの提案で近所にある南が丘牧場へ行く事になった。「ここのソフトクリームがうまいんですよ」

期待しましょう!

南が丘牧場へはサンバレーから約2km。近場だった(^^;。

すぐに到着。駐車場無料で入場料も無料。クルマを降りたら早速牛の臭いが。なかなかレトロな施設で味がある。

南が丘牧場

さて、とりあえず一渡り見てみましょうか。と一行男10人はぞろぞろと歩き出した。風がビュービューと吹き出し結構寒い。名物のソフトクリームを早速パクつく者数名。さっき飯食べたばっかりじゃん(^^;!
でも馬は居たけど牛は見当たらなかったなァ。

乗馬コーナー

きれいな水が流れていると思ったら中にはニジマスが一杯。なんだ、これ飼ってんのかな?結構サイズも立派で釣るとしたらかなりバット力の強いロッドが必要だな、などと、急にバサーの血が滾り出した(^^;。すると、向こうの方に「ニジマス釣り」の看板が・・。そうか釣堀にしているのか。行ってみると、貸し竿210円。釣った魚を塩焼きすると100gで315円、持ち帰りだと100g215円で買い取る仕組み。バス釣り仲間でもあるワタシとMOくんはすぐに釣堀入り。主任もMYくんも参加。様子を見ていて楽しそうだったか、Hくんも貸し竿を持ってやってきた。
ただ、ほんとに入れ食いなんだよねぇ(^^;。練りエサを丸めて付けて沈めると3秒でアタリがある。グググッと引っ張られるのは半年振りの感触で懐かしい。あんまり釣っても食べなきゃならないから2匹だけにした。後から来たRHくんは釣りのカンが戻らないのか、子供でも釣れるはずなのになかなか釣れない(^^;。
Hくんは持ち帰り分も釣る。奥様へのお土産かな?感心感心(^^)。

今年最初の釣果。レインボー。

釣り場のオヤジさんに塩焼きお願い!と持ち込むと、秤にかけて目方からお金を払う。ワタ抜き処理と串刺し、塩振りまでして渡してくれる。近くに魚を焼くバーナーと炭火があって、結構混んでいた。あいてた場所に陣取り、早速火にかざす。さっきまでピチピチと泳いでいた魚がチチチと焼けていく。6人で10匹を焼く。

チチチと焼けるマスたち。

約20分経ち、表面の塩がこんがり焼けたところで食べ始めた。身はほんのり赤い。紅マスなのかしら?ウマイうまい。ビールを飲みながらだとあっという間に2匹食べきってしまった。MYくんは3匹(^^;。食べすぎだよ。

その後うまいと評判のソフトクリームを食べたら結構お腹一杯。時間は11:50。主任は14時過ぎには店に戻って仕事をしなければならない予定。どうしましょうか?

腹は一杯だけど、もう昼飯の時間だ(^^;。

とりあえず南が丘牧場を出ることにした。

クルマに乗って那須塩原駅を目指す。途中、最初に見つけた蕎麦屋で食べることにした。すると、すぐに大きな駐車場を有する店にぶつかった。駐車場整理のお兄さんが二人、必死な形相をしながら我々を誘導。駐車して降りると「お食事はこちらでございますー」と大きな声でご案内。なんだかすごい迫力だね(^^;。

民芸風蕎麦屋店内風景。

古い民家風の建物の中に入ると、おみやげ物売り場が半分を占め、食事する場所は結構狭い。卓袱台に座布団で10人座りざるそばを食べた。お代わり自由で850円。お支払いして外に出ようとしたらちょうど観光バスが表に到着したらしい。さっきから大きな声を張り上げていた案内係りの声が一段と大きくなる。玄関先に置いてある和菓子は那須御用邸に納入されているものらしく、「こちらが皇室御用達の和菓子でございますー!」とでかい声で何度も繰り返す(^^;。外に出ると、バスから降りてくる人一人一人に「こちらが那須で取れた長茄子のお漬物ですー!」と試食攻撃(^^;。地方では観光産業がやはり花形なのだろうなー。本屋じゃあとても暮らしていけないだろう(^^;。

で、那須塩原駅へ到着。主任とMYくんはそのまま新幹線で帰京。ワタシは「近くまで行きますよ」というRTくんの言葉に甘え、乗せてもらうことにした。西那須野塩原ICから蓮田SAまで快調な走り。ほんの1時間と少しで走り抜けた。お?ケータイが鳴ってる。HIDEさんからだった。どうもどうも。なんとか事故もなく無事に帰ってまいりました、とご報告。

神保町方面へ向かうRHくんのクルマとはここで別れ、RTくんのクルマは外環方面へ。井荻駅でIくんを降ろし、下高井戸駅付近でYくんが降り、世田谷特有の狭い道を抜けて二子玉川駅まで送ってもらった。感謝!途中、4年間通った母校の正門前を通過。随分と様子が変わっていたことに驚いた。そういえば卒業後は一度も来てなかったなぁ(^^;。

ニコタマ駅付近は若者でごった返していた。まだ二子玉川園なんていう遊園地があった頃はよく親に連れて来てもらったが、今はその面影のかけらも残っていない。駅のホームに上がると多摩川の向こう側から夕日が低く射していた。そうか、昨日の今頃駅前に何にも無い那須塩原駅に到着したのだったな。あれから丸一日か。

ニコタマ駅ホーム夕景。日常への回帰。

まるで2泊3日を皆と共にしたような気持ちだ。これからも仕事をがんばりましょう!

■2002/02/23 (土) 明古経営員旅行初日

経営員主任の発案が幹事さんに承認され、10人という参加人数をもって明古経営員旅行が現実のものとなった。

たった一年の間にメンバーが大幅に入れ替わった。その結束力を高めるのが今回の旅行の主な意味。主任の状況判断と実行力はすばらしい(^^)。

行き先はホテルサンバレー那須。シーズンオフと思いきや、実は首都圏で一番近いスキー場を擁する為、オンシーズンなのだ。1泊2食付(夕・朝食ともバイキング)で14000円。当初はそれでいいか、と考えていたのだが、やはり食堂のバイキングでは盛り上がりに欠けるだろうという判断から宴会コースにしてもらった。10人に2人コンパニオン(1時間半)が付いて5000円増し(^^;。

前日の金曜日に美術館へ行った後、神保町へ移動して中華を軽く食べてから解散したのが21時過ぎ。主任、ワタシ、MYくんの3人は遅れて電車で行くことにしていたのだが、「せっかくだから」とスキーを計画している7人は23日6:30集合でマウントジーンズスキー場へ向かうと聞いた。Iくんはそのためのウェアを「Sかいや」まで買いに行っていたな。

電車で参加の年寄り3人(^^;は、東京駅15:44発MAX仙台行き新幹線で那須塩原駅を目指す。MYくんがビールとハムの差し入れ。有難くいただきながら17:00には那須塩原駅に到着。あえて2階建て新幹線の下を選んだが、ハッキリ言って失敗(^^;。

二階建て新幹線MAX

駅に降り立つとちょうど日の入り時刻。山の稜線を少し外れた場所へ真っ赤な太陽が隠れていくところだった。にしても、駅前になーんにも無い。どうしてこんな場所に新幹線が停車することになったのかな?もちろん何らかの”事情”があったに違いない。

那須塩原駅前風景
ホテルサンバレー那須行き送迎バス車内

ホテルの送迎バスには我々と女の子3人。3人組みではなく、女の子2人と1人。女の一人旅?
延々とゆるゆると何にも無いまっすぐな道をバスは進む。那須は別荘地だ。道中には別荘地分譲の看板が並ぶ。「100坪250万円」という看板が見えた。高いか安いかなんて全然わからん。

17:40過ぎ、サンバレー那須に到着。宿泊はアネックスと聞いていたが、運転手さんが「バスを乗り換えてください」と言い、本館とは別の建物らしい。フロントに聞いてみると、「園内循環バスが来ますから、それを使ってください」とのこと。そんなに広いのか。バスに乗る。

暗くてよくわからなかったが、目と鼻の先の建物だった(^^;。

チェックインすると、スキー組はすでに到着していた。

19時から宴会である。ちょうど温泉に入って出るとピタリの時間だ。浴衣に半纏を羽織り、アネックス(別館)からさっきのバスで本館の温泉へ。ここは66種の風呂が自慢らしい。ただ、男女混浴の場所があり、そこは水着着用するのが望ましいとの事。水着レンタルもしていた。

ワタシは水着が必要ない場所をうろうろして上がってしまったが、皆は水着ゾーンにタオル一枚で突入したそうだ(^^;。家族風呂があいたので我先に飛び込んだはいいが、後から水着着用のカップルと家族連れに囲まれて立場を失った者が約一名・・・(^^;。
巨大プールのような真ん中に「AV女優がいたよ」とは主任の証言。ははあ、なるほど。それで内風呂から男たちが一斉に姿を消したのか。ここで撮影するのだろうか?何を?どうやって(^^;?

温泉場のすぐ隣に宴会場。食事は刺身、カニ、牛肉の陶板焼きの他にフカヒレ雑炊やラーメン。デザートにケーキまで出た。どれを食べてもおいしい。

最初の30分はおとなしく食事をしていた皆も、丁寧なご挨拶とともに入ってきたコンパニオンさん2人と大盛り上がり(^^;。コラコラ。当初は1時間半でお帰りの予定を大幅延長(^^;。2次会カラオケにもご同行願うことに。
酔いが回って時間が進むに連れて場も乱れ始め・・・。文字通り宴会状態。そのままの雰囲気をカラオケへお持込(^^;。

先客さまが6人で歌っていらした。ちょうど50代後半の我々の親世代の人たちで、なぜかMYくんの歌と時代がシンクロしてしまったのだ(^^;。マイク独り占め状態で歌いまくるMYくん。その様子を懐かしそうに眺める先客様。ウチの若い衆は歌そっちのけでコンパニオンの二人に群がる(^^;。なんだかなー。ま。わかりやすいけど・・・。

楽しい時間は瞬く間に過ぎ、丁度延長時間も一杯に。コンパニオンさんを部屋へお持ち帰り、とはならず(アタリマエ(^^;)、彼女たちは迎えの車に乗り込み、帰って行った。時に23時。皆ベロベロに酔っ払っていた。

部屋では早朝スキーで疲れた身体をすぐに横たえる者と、自らの悩み(もちろん仕事の事よ)をお互いに話し合う者にハッキリ分かれる(^^;。その内容はとてもここには書けないけども、皆真面目。いや、そりゃあそうだよ。真面目だから悩むのだもの。

部屋に戻る。寝たのは2:30。

■2002/02/22 (金) 芸術とは

金曜、明古。

大市で一週あいた為出品量が多いかと思いきや、点数で500あまり。16時過ぎには作業が終了してしまった。

そんな中、明古会長さんからのご提案で、作業終了後に竹橋際の東京国立近代美術館へ行くことにした。夕闇迫る黄昏時、経営員9人で「未完の世紀-20世紀美術がのこすもの」を観覧した。

この企画展は、20世紀(1900年から1999年の間)に生まれた美術の流れを、実際に作品を概観することで掴もうというもの。この100年間で美術がどう変化していったかがよくわかる構成だ。

ワタシには詳しい美術的用語はわからない。フォービズムもキュビズムもどんな形式なのかよく知らない。ただ、明治の終りから大正あたりまでは、実物をモチーフにした作品が多かったように思う。重要文化財として黒田清輝「湖畔」がアクリルケースに守られて展示されていた。この作品が明治期の代表としてみると、その後にヨーロッパからアヴァンギャルド芸術が入ってきて傾向がガラリと変わってくる。高村光太郎が前衛的集団ヒュウザン会を結成し、関東大震災が東京を破壊すると、普遍的な美の基準を拒み、状況に関わるなかで矛盾の相克から新たなものを求める新興芸術運動が村山知義らによって作り出される。このあたりから作品に抽象的なものが多くなってくる。

戦中に一時中断されたその流れは、作品を見る限り戦後加速する。60年代に入って日本はGNPで世界第5位になる。東京オリンピックが開催され、都市環境の激変や産業化の進展。交通、通信、情報手段の高度化などを背景に、文字・記号・写真映像などが作品に取り入れられていく。美術の抽象化も加速していく。

昨日は荒れ・ブレ写真で有名な「森山大道とその周辺」という特別講義が開かれていた。1階の広大な展示室にはでかいパネルに抽象化された”色が塗りたくられただけにしか見えない”作品が多数展示されていた。100年で美術は”絵”から”パフォーマンス”へと変化してしまったような印象を持った。

20世紀初頭の展示コーナーではじっくりと立ち止まって作品に見入る人が数多かったが、最後の”色が塗りたくられた”作品のコーナーには見入る人は皆無。美術は本当に正しいベクトルへ進化したのだろうか?と心配になった。美術は写実から抽象へ”進んだ”とされているが、観客の反応はそれを拒否していたような気がしてならなかった。

勉強になった。

竹橋夜景。
■2002/02/21 (木) ガラカメ

ガラカメって言葉に反応できるひと~!(^^;

そうは居ないよねぇ。大河”演劇”漫画「ガラスの仮面」のコトですよ(^^;。

ウチの女房は漫画が大好きで、買い物の帰りなどに本屋へ寄って4コマ漫画の雑誌を買ってくる。それは読んだらすぐに読み捨ててしまうのだけど、ある日、分厚いコロコロコミックのような漫画雑誌が捨てられずに積み上がっている事に気が付いた。何で捨てないのかな?と思って表紙を見ると、それが「月刊ガラスの仮面」だった。そうか、これがあのスゲエ漫画か。

ワタシがガラスの仮面という名前を知ったのはこれが初めてではない。高校時代にクラスの男でこのガラカメを本屋で一日立ち読みしていたヤツがいた。男のくせに少女漫画なんて、と当時は思ったが、一日読んでも読みきれないってどんな漫画なんだ?とそのボリュームには驚いていた。

その驚きの漫画がいま目の前にある(^^;。源氏物語を題材にした「あさきゆめみし」や、聖徳太子の物語である「日出処の天子」などは読破していたので、特に抵抗なく読み始めた。すると、なるほど面白い。少女漫画ではあるのだが、なよなよした恋愛漫画じゃないからどんどん読み進めてしまった(^^;。毎月600ページで19日発売。最新の10号は昨日読みきった。

北島マヤという演劇の”天才”少女が、父親が映画監督で母親が有名女優という恵まれた家で育ったサラブレットの姫川亜弓と、幻の演劇と言われる紅天女の主人公を競い、女優として成長していくというお話。あらすじとして書くとたったこれだけなんだけど、面白いですねぇ。演劇ってどういうものなのかがこれを読むとなんとなく理解できる。え?本物はこんなもんじゃないって(^^;?

ワタシが高校生の頃にピークだった漫画雑誌の発行部数が減り続けているという。確かに今の漫画はあまり面白くない。そもそも新たに大家となるような作家が出現しないではないか。アニメだって「犬夜叉」や「こちかめ」なんて古株がいまだに現役だしねぇ。
今回のガラカメは、昔から定評ある漫画を月刊雑誌として改めて発行するという手法だ。すでに10号というからワタシのような読者が確実に付いたのだろう。出版社も新たに作家を育てている場合ではないのかもしれない。出版の不況は新人育成にも黒い影を落としている。

とりあえず、毎月19日が楽しみになった。ワタシは努力型天才の姫川亜弓ファン(^^;。

■2002/02/20 (水) 検品

幸いにして帰りの道中はすいていた。

それでも店に帰着は12時を過ぎてしまった。昼のニュースを見ていると先ほどの参考人招致での質疑のことが報道されていた。が、前G務大臣が首相批判をしたことに大きく時間が割かれ、S議員の話はほんの少ししか出てこない。本当の問題はS議員を国会議員に選んでしまう日本の体質なのにねぇ。

店に荷物を入れていると、女房が娘と帰ってきた。どうしたのか聞いたら「熱が出た」と一言。病院の帰りらしい。熱は娘ではなく、女房だった。ガーン。親たちは休みで女房が店番できず、これで後の仕事は店番しながら落札品の検品だけとなってしまった。

今回もカメラ関係書と哲学関係書、あと変わったところで山高登氏の木版画を落札。この方の風景を題材にした版画は好きだ。店にかかっているカレンダーもこの人のもの。文学書も肉筆原稿も入札したけど、今回はご縁がなかったようだ(^^;。

店を開け、女房が高熱を出しながらも買って来てくれたパンを食べて検品作業開始。大市もまた通常市と同じように事故返品が出来る。事故とは先週も書いたが、蔵印や線引き、落丁など、本を開けて中を見なければ判別できない欠点が見つかること。検品作業を怠ると後でイタイ目を見ることになるが、最初から織り込み済みの値段しか入れないという人も居るとか居ないとか。

クラシックカメラ専科の口。棚に入っているときには気が付かなかったけど、改めて見ると本に何か挟まっている。(^^;。やばい。これはかなりの確率で書き込みがあるぞ。そう思いながらページを繰るとやはりありました。立派な書き込みです(^^;。ほかの6冊にもライカのページにだけ付箋が挟まれ、その部分だけがマーカーで彩られている。ハイ。返品決定です(^^;。

発売された当初はたかが1500円の雑誌でも、30年経てば立派な資料として機能する可能性だってあるのです。少なくともワタシは資料だと思ってこの品物に入札してました。しかし、検品してみれば線引き有りの事故品(^^;。このやるせない想い。線引きした人にぶつけるのは筋違いなのでありましょうか。

こういった事故の場合、お互い様ということで返品の為に組合へ輸送するのは買主の責任となっている。明日重い荷物を背負って再び竹橋へ向かわなければならない。

線引き本に当たった時に蒙る数々の面倒。どうか古本屋の想いをお察し下さい。

■2002/02/20 (水) 中央市会大市会その3

朝7時起床。

あまり寝てないせいか、逆に眠くない。危ない(^^;。

昨日ご入金頂いた荷物を昨日のうちに荷造りしてあったので、それを小脇に抱えながら車庫へ向かう。大市落札品の引取りである。途中9時きっかりで郵便局から発送。今日はオヤジたちが休みを取っている為すべてワタシがやらなければならない。親がいまや仕事よりも楽しみにしている山登り。ジャマしては悪い。

朝の上り車線はゲロゲロに渋滞中。なんだよもう、この忙しいときにぃ!と毒づいたってクルマは流れない(^^;。南千束付近で人身事故らしい。ここはひとつ冷静に、と、TVをつけると国会中継をやっていた。G務省問題の参考人質疑である。見ているだけで気分が悪くなる。あのSという議員が日本の標準的な国会議員の姿だとしたら、日本はもうおしまいだな。まだ国会議員だと言うのなら、自分の既得権益より国益の事を第一に考えるべし!

中企センター到着は10:30過ぎ。エレベーター待ちのクルマが入口前で三台繋がる。そのわりに中へ入ればすぐに停められた。3階でヌキをもらおうとエレベーターに乗る。今日はヌキをもとに品物を付け合せ、梱包業者に引き渡すのが主な仕事だ。

さて、そのヌキのことでいろいろあれこれと問題が発生しているらしい。そういえば昨日の飲み会の席で中央市会会長さんが「事業部長は現在会館で仕事をしております」とご挨拶していた。その仕事というのが封筒全点の洗い直しと聞いてビックリしてしまった。サーバー一台に端末7台を繋げてLANを構築し、その端末でオペレーションのお姉さんが落札価格と名前を入力していったのだそうだが、入力しているのになぜか抜け落ちてしまうデータが多発。結局封筒と首っ引きで一点一点手作業で点検し直す事態に陥ってしまったらしいのだ。

考えただけでめまいがする(^^;。

その作業を根気よくこなされ、我々に冷静に対応してくれた中央市事業部長さん。本当にお疲れ様です。
にしても、やはり完全IT化するにはかなりな産みの苦しみを伴うようだ。4月にはこの倍のデータを処理するシステムを構築しなければならない、となれば、かなり深刻かもしれない。

3階の荷物と2階の荷物を付け合わせたら、今日のところはヌキを返還してくださいと言われた。大市でヌキなし持ち帰りってのは初めての事態。

■2002/02/19 (火) 中央市会の打ち上げの席で

大市後の打ち上げは経営員同士が知り合う絶好のチャンスだ。

古書組合に加入しているご同業は全国で3000に遠く届かない。その中で自分と同世代か近い世代の人はさらにさらに絞られる。広いようで実はとても狭い人間関係の範囲内で我々は仕事をしている。
ちょうど今日の大市を一緒に運営している人たちはほぼ同世代と言えるだろう。

これも何かのご縁です。

まして、他会経営員のお手伝いを頂かなければ、最近の大型化した市会の運営は難しい。近く全古書連大市会も控えている。今回は我々明古経営員は気楽なお手伝いとして参加させていただいたが、全古書連は全ての市会の経営員が主体だ。各会の方々との連携が非常に重要となる。
ちょうど打ち上げの席でそばに座った資料会主任さんから明古経営員にご挨拶していただいた。ワタシも明古副主任。責任ある立場として後輩の経営員をそばにいた方に軽く紹介。
今後、深く浅く付き合うかどうかはそれぞれの自由だけど、明古の経営員を率いていく立場に立つのであれば、どうか現在の良好な関係を維持していってください。いずれはあなた方の中の誰かが矢面に立つのです。
七夕大市、クリスマス大市とも、お手伝いを頂かなければ開催できないということをどうか忘れずに・・・。

場が盛り上がってきた頃に明古主任が到着。おお、待ってましたよ。つい固まって話し込み、席を動かなくなってしまうのが明古経営員のよくない癖でもあるのだが、酔った勢いで今日の市会で買った買えなかったと話し込む。
詳しくはここに書けないけれども、やはり皆自分がこれからどうやって身を立てていくのかを真剣に悩んでいた。
ライバルが多くて自分の買いたい本が買えない。なんとか苦労して買った本が売れない。そんな状況でもかまわず買いまくる人への羨望と畏れ。

今日取引された本たちはそれぞれ買った方へと引き取られていく。必死で書いたあの札で買えなかったくやしさ。その想いをどう自分に反映させていくのかが試されている。背中を走り抜けるぬぐえない不安感。いや、現代を何の不安もなく生きていける人なんてきっと居ない。その不安は生きている証でもあるのだ。

飲み会が終わったあと、明古の経営員は近くのジョナでお茶。今回の目玉、IT化は大変な手間を要求するシステムだったことを聞く(^^;。

日付が変わる頃に帰宅。そのあと仕事。就寝2時。明日は品物の引き取り。

■2002/02/19 (火) 中央市会大市会その2

朝7時起床。今日は開札日だ。

中企センターの2フロアに陳列された総出品点数5100点以上の品物を今日一日で全て開札し、落札者ごとで大まかに荷分けする作業まで。この一連の仕事を会員さんを含めて100人以上の体制で運営する。今回はIT事業が絡んでシステムのインテグレーションを担当した人、およびパソコンのオペレーションに10人以上が動員されていた。

とにかく大仕事である。

ワタシは各市会のお手伝い経営員として開札および荷捌き仕事に参加。11時に3階で第一回開札が始まる。開札と同時に中央市経営員OBを中心に編成された精鋭部隊が神田分の荷物を抜き出し、カーゴに乗せてドンドン地下へ下ろし始め、立体的に構成されていた棚をはずして荷分けしやすい体制に整えている。いつ見てもそのテキパキとした仕事ぶりには圧倒される。
そのまま全集コーナーへ進み、折り返し反対側の学術書コーナーを開札。趣味関係の手前までで一旦昼休み。時に12:30。すでに開札済みの場所が広くあけられ、テーブルには昼食の弁当とお茶がすっかり用意されていた。これまたすばらしい!

開札担当は27人。中央市の経営員さんは開札はせずに裏方でサポート仕事を丹念にされている。「紐がない!」「エフがない!」と誰かが叫べば備品係の二人が飛んでくる。「事故です!」と声が上がれば、やはり事故係か主任・副主任が駆けつける。我々は安心して開札仕事が出来る(^^)。

ほぼ予定時間で13:10から午後の開札が開始。3階の残り部分をあけてから2階を二手に分かれて開札。我々明古経営員は和本が連なるコーナーを開札していく。途中休憩を挟み、美術関係一品ものコーナーが終わったところで学術関係一品ものコーナーを開札していた資料・一新会の方々が合流。そのまま額・幅ものから肉筆コーナーを開け切る。時に17:10すぎ。最終赤毛氈開札予定は17:30だから予定よりも少し早いペースで開札をほぼ終えたことになる。

最終開札。そのまま場内整理。3階は精鋭部隊によってすべて分けきられていた。開札していた我々も合流し、2階部分を荷分け。大人数での作業は指示系統が皆に伝わるまでしばらく時間がかかり、多少混乱。それでも予定より30分以上早く”やるべき作業”がなくなった。中央市会会長さん直々のご挨拶が終り、今日の仕事は一巻の終りとなった。

19:30から近くのだん家で打ち上げ会。

■2002/02/18 (月) 中央市会大市会

今日は中央市会大市会の下見日。快晴。

昨夜から今朝にかけてご入金頂いた方の発送を10件ほどこなしてから竹橋へ。2階と3階の2フロアを使っての大市会。出品点数は5000点と聞いた。やはり古書会館と違って広いので、品物は余裕を持って配置されている。広々としていて見やすい。これくらいの量が丁度よく思えるなァ。4月には同じ器に今日の倍も荷物が盛られる予定・・(^^;。おなかいっぱい。

通常市は毎週行われているが、大市は各市会とも年に一度。その出品目録は全国に発送され、各書店さんでは今日の下見日までにお得意様からご注文を受けていらっしゃるのだろう。そういう営業努力って本当はとても大事なんだけど、規模の小さい経営をしているウチは”のほほんと”手ぶらで入札することに・・(^^;。まあ、いつものことですけど。

一通り回って何が出品されているか全体の配置を見る。それから一旦外に出て食事。電大傍にあったラーメン屋で辛みそ玉ラーメンを食べる。魚系の出汁が効いたスープとネギの香り。680円。なるほど、というお味。お客さんは引きも切らさず。
食べ終わって再び会場に戻り、第一回からじっくり入札していく。毎回大市で入札していて思うのだが、落札できるものって最初から運命付けられているような気がする。ご縁のないものはどんなにがんばって入札しても絶対に落ちてこない。逆にポロっと何気なく入札したものが終わってみればバタバタッと落札してきたり(^^;。単に入札のカンが悪いだけかもしれないが。

入札を済ませて外に出るとどんよりとした曇り空に変わっていた。半蔵門線渋谷駅を降りて外に出ると、見慣れない行列が・・・。なんとサンドイッチ屋さんだった場所が改装され、シュークリーム屋さんになっていた。あたりに漂うクッキーのような甘い香り。行列して買うほどうまいのかぁ。1個120円。そういえば横浜駅にもこのお店あったな。
この場所はワタシが学生の頃、渋谷一アンモニア臭い公衆便所だったんだよねぇ。入り口は別でも中に入ると男女が別れていなくてさ。渋谷でのコンパのあとによく使いました。子供が連れてこられて中でわんわん泣いてたよ。「くさいくさいーっ」って(^^;。人間は臭さで泣けるのかとあの時は衝撃を受けたっけ。

店に戻ってまた前金分の発送。このあいだ買った巻きダンボールがもう1巻使い切ってしまった。

明日は開札日。出動です。

■2002/02/17 (日) また雨かぁ

朝起きたらまだ晴れていた。

天気予報を見る。新聞は15時から雨。TVも15時から雨との予報。ソースが同じだからしょうがないけど、ホントに時報きっかりに降り出すのかね(^^;?

半信半疑ながら雨の予報なので遠出は無理。どうしようか。中途半端に晴れてるから出かけないわけにはいかない。そうだ、大倉山の梅園に行ってみよう。

東横線で大倉山へはほんの15分。駅から大倉山を登ったところに公園があり、その一部が梅園になっている。東横線が開通した頃に乗客増加の一助にと東急が作ったものらしい。12時過ぎに到着すると大倉山へ行く人はあまり居ない。あれれ?毎年この時期は人が列をなして山を目指していたものだったけど・・?まあいいや。
坂が大好きな子供たちも登り坂では話は別(^^;。何言ってんの。坂を転げ落ちることを喜んではイケナイよ。人生はね、重い荷物を背負って登り坂を歩いていくようなものなんだから・・・。

山の頂上には大倉山記念館がある。現在は横浜市が管理して貸会議室になっているが、もともとは大倉精神研究所として建てられたものだ。建築家の長野宇平治設計によるものだが、摩訶不思議な様式である。今日は和紙による色刷版画展というのが開催されていたが、何のことはない、絵葉書の即売展のようなものだった。

大倉山記念館

梅園に到着。やっぱり人は少ないなァ。屋台があれこれ出ていたけど人出がないからヒマそうだ。「ふわふわしたのがたべたーい」と娘。値段はなんと400円。無視して通過(^^;。わたあめがたこ焼きや焼きそばと同額というのはちょっとねぇ。

さて、肝心の梅は六分咲きといったところ。ここの梅は白梅が中心だが、真紅の枝垂れ梅などもあり、カメラを持った人が大勢いらしていた。段々デジカメの割合が増えてきたような気がするなぁ。ワタシは久しぶりの出動ライカM6にズミクロン35mmでスナップ写真を中心に。家族の記念写真が楽々撮れたということは、やはり普段の年よりもすいているんだね。

枝垂れ梅越しに梅園全景
”下山”途中

下山。麓のKFCに入ってフライドチキン。女房曰く「たまに食べたくなる味なんだよねー」。我々の世代は子供の頃マックやケンタッキーがあこがれの食べ物だった。今の高校生にそんなことを言っても信じてもらえないだろうが、高嶺の花だったのだ(^^;。いまじゃ安かろうの代名詞。時代は変わったなァ。

なんと15時きっかりに雨が降り出した。悪い予報は当たる。

■2002/02/16 (土) サーバーダウン

朝からサーバーがダウンしていた。

サーバー管理をしている会社から「サーバー収容電源の分電盤工事および電源配線保守」のために、今日の未明から9時まで全機能が停止します、と予告はされていた。しかし、9時を過ぎても一向にページが回復しない。まだか、と再三メールを入れたが何の返事もない。で、つい先ほど15時過ぎにやっと回復し、「本日、電源工事に伴い併発いたしました障害の復旧作業が完了致しましたのでご連絡致します。」とメールが来た(^^;。

ウチも道楽でこのホームページを運営しているわけではない。メンテナンスも障害が起きたこともわかるが、それを回避するようにバックアップしておくのがプロの仕事ではないのかな、と思う。予告された時間から先はウチにとっては損害だと思っている。もちろん、補償してくれるつもりはないだろうが(^^;。

朝起きたら腰が痛い。ううむ、またか(^^;。今度は重労働していたわけじゃないから、運動不足か寒さが原因だろう。天気予報では「この冬は暖かで」などとアナウンスしていたが、本当にそうかしら?同じ運動不足でも夏に腰痛は出ない。”寒い”から腰痛を出してきた自分の身体は寒さに正直だ。別に暖かではないぞォ。・・・いや、単純に歳をとったというだけなのかも・・・。

目録からのご注文はそろそろ収束。サーバーダウンの影響か、メールでのご注文も少ない。荷造りを5個ほど作って、あとは本の入力に専念。またデータがゴソッと減ってしまったからその分入力しませんと・・・。ただ、市場がずっと休みだから新入荷品が少なくて困ってしまった。ダブリ本の山はその高さを増やしているというのに(^^;。

夕刊をあけると「金メダルが2個」と大見出し。なんでも昨日のフィギュアスケートで佛の審判が何かしたらしい。魯をフィギュアで勝たせる代わりにアイスダンスで金を取りたかった事情があったという(^^;。なるほど、金の裏には”事情”があるのだね。まあ、我々庶民はTVの前で面白いと見ていればいいのだけど、当事者は国を背負っているからそうもいかないのだろう。
前回の長野で日本はメダルラッシュ。今回は未だ金なしの2個というのにも何か事情があるのかもしれない。今回の事件は”そういうこと”が存在するという示唆を我々に与えてしまった。

ま。人間のすることですからね・・・(^^;。

■2002/02/15 (金) 書店員共通の悩み

金曜、だけど明古なし。

今日は中央市会大市会の準備のため、明古は休会。明古から5名の経営員が大市のお手伝いに参加しているはず。ワタシは19日火曜日の開札でお手伝いするシフト。どんな様子かなぁ。あとでOさんに電話してみようかな。

朝から甘露通信の荷造りを引き続き。郵便局の往復。いい天気なのになァ・・・(^^;。で、今日のお題、書店員共通の悩みというのは、もちろん晴れた日に外へ出られないことではない(^^;。たまたま、このさるさる日記の中で検索していたらぶち当たったのですよ、ホンネ満載のサイトに。

http://www2.diary.ne.jp/user/93138/?
何様日記と題されたこの方の日記には、勤めていらっしゃる書店さん(大型新刊書店さんと思われる)での日常風景が余すところなく描き出されていて、ちょっと(かなり?)困ったお客様の行動に対する対処まで書かれている。女性ならではの視点が光る。面白いです。甘露日記なんて目じゃありません(^^;。

で、そちらからリンクを辿って、もっと過激だったのが、このサイト(^^;。
http://www.shotenin.hmcbest.com/top.htm
「痛快!書店裏話」と題されたとおり、大型書店でお店番をする人の視点から、歯に衣着せぬ勢いで来店される奇特な人をメッタ切りしてます。すごいですぞぉー(^^;。

書店が大型化するということは、お店の人の目の届かない場所ができるということでもあり、その空いた空間を勝手に自分の空間として認識し、”電波”を出し始める人がいらっしゃるようだ。ウチはそういう居心地のいい空間なんてないくらい狭い店なので、初めからそういう方のご来店は少ない。でも、たまに書店なら一緒かも、と誤解された方々が来店される。ウチは普段からあまり見慣れないそういう方にとても摩擦を感じてしまう(^^;。
まだまだ修行が足りません。

ただ、大型書店、コンビニで、本を立ち読みすることがアタリマエとして認識してしまった人が、古書店で同じような事をする可能性が増えてきている。そういう方との摩擦がイヤで、高価な本を扱う古書店が店を畳んで目録販売専門に移行していく傾向がある。ウチとて高い本を手荒に扱って結局買わない人が居たらいやーな気分になる。書店員共通の悩みだ。

「メモを取りたいからペンを貸してくれ!」そんなことをねじ込む人が新刊屋さんにはいるそうだ(^^;。「店員だって人間です!」という言葉がイタイ。

■2002/02/14 (木) 古物営業許可

「そろそろお前も取っておいたらどうだ?」とオヤジ。

古物営業許可証の事である。取れってんなら取るよ。とばかり、地元警察署へ出向いた。普段は1階の交通課で免許の書き換えに来るくらいしか用事がない場所だが、今日は3階の生活安全課へ向かう。エレベーターもなさそうな薄暗い建物。よく使いこんでますねぇ。階段は他になさそうなのに廊下には人気がない。階段の奥の突き当たりを右に曲がると生活安全課があった。

中に入るといきなり机があって、俳優の矢崎滋にちょっと似た担当と思われる人が対応してくれた。
あのう、ウチの父親が古本屋をやっておりまして、ワタシもそろそろ後を継ぎたいと思ってますから、古物の許可を戴きに参ったのですが・・・。すると、矢崎さん(仮名)から「ええと、新たに一軒お店を構えるのですか?」と聞かれた。いいえ、オヤジの後を継ぐんで今のうちに取っておこうかと・・・。「売り上げを別にするんですか?」いえ、そういうことはありません。「でしたらあなたが取る必要は今のところありませんよ。」え?そうなんですか?(^^;。なんだかオヤジの言っていたニュアンスと随分様子が違う。
「ええと、どこだったかな」と資料を探されている間に課内を見回すと、事務仕事をワープロでこなしている課長さんが目に入る。今時パソコンじゃないの?(^^;。

要は営業許可をもらった人(責任者)は店1軒に1人で良いのだそうだ。あとの雇われ店員さんは資格を持つ必要はない。ただし、行商許可証というものがあり、それは責任者に代わって”店以外の場所で”買取の査定などをする場合に携帯する義務があるとのこと。その行商許可証は公安委員会が発行するものではなく、営業許可をもらった者の責任で発行できる。つまり、責任者が監督している限り、公安委員会の許可を取らなくて良いということだ。ただし、行商許可証は提示を求められた時にこれを提示しなければならない、と古物営業法第11条3項に規定がある。

「というわけですから、もしあなたのお父さんにもしもの事があったときは、資格を取らなければなりませんから、もう一度此処へ来て下さい。」わかりました。頷いた。

「それでは、行商許可証に関する詳しいことをゼロックスしてあげますから、ちょっと一緒に来て下さい。」随分親切だなぁ。1階の交通課まで移動。奥で関連部分をコピーしてくれた。

思ってたよりも常識的だったなぁ。

■2002/02/14 (木) 大市出品

朝から竹橋へ向かう。

今日から古書会館は中央市会大市会体制となっている。FAXで改めて出品に際しての説明文が送られてきていたので、出品明細書を添付する方は飛躍的に増加したのではないか。

地下駐車場へ降りるとテーブルが数台並べられ、荷受体制が整えられていた。全古書連大市の前哨戦。きっと今日は2、3階では業者が入って展示場に整える作業中なのだろう。
この場で明細書をもとにチェック表を使って荷受し、それぞれにエフを付けて2階行きの荷物と3階行きの荷物を大まかに分類した上でカーゴに積んでおく。カーゴが大量に用意されていた。2階3階の作業が終わり次第それをエレベーターで上げて撒いていく、というのが大きな流れ、のはず。この間にもS運送さんのトラックが各支部へ集荷に回っている、はず。大変ですねぇ(^^;。

行き帰りの道中はTVでオリンピックを見る。女子スピードスケートで日本新記録が出たものの7位だという。うーむ、世界の壁は厚い(^^;。スキーのジャンプも前回の金メダルラッシュがウソのような成績らしい。なんだか日本人が優勝すると決まってルールが改定されるなんてコトも聞くだけに、そのあおりを喰った形か。

洗足付近のHITOMIさん。クルマドの街。

店に戻る前に実家の部屋へ荷物を上げる作業をする。弟が昨年結婚して家を出たので、兄弟で使っていた子供部屋が現在は空いている。すかさずそこが倉庫になってしまうところが古本屋なんだよねぇ(^^;。

たまにこの部屋に入ると一気に時間がスリップする。結婚する時だから、かれこれ9年前にワタシはこの部屋から卒業したのだ。卒業と言えば大学で書いた卒業論文が目に入った。読んでみる。原稿用紙に書かれた「在地領主制に関する一考察」と題された拙い文章があった。読み進めてみると、言いたいことはわかるけど文章がとても生硬で伝わりづらい。当時はワープロなんてなかった。頭に思い浮かんだことをノートのきれっぱしに書き留めるのに必死だったな、なんて思い出す。あの時は学術書ばかりいろんな本を読んだ。わかっていることの100%で文章を書こうと思うと必ず失敗する。200%押さえた上で100%に希釈するように書けば、どうにかわかりやすい文章になる。

日本中世史研究なんてわかりもしない世界なのによくここまでまとめたもんだ。隣にあった卒業証書。成績表の「卒業論文」の項には「A」とあった(^^;。まあ、どうにかやれやれだ。

■2002/02/13 (水) シブヤ系古書店

朝起きたら朝刊を広げる。

いつものように後から。最近は一面に暗い話題ばかり載るから読みたくないのだ(^^;。すると、「TOKYO発」という特集頁に大きく、見慣れた顔をした若者が本に囲まれて写っていた。彼は記者のインタービューに答える。「『読む本』よりも、『見て楽しい本』を売りたい」

「ここ数年で5、6店が(渋谷から)移転したり、店をたたんでしまった。ジャンルを問わずに何でも売るだけの店は生き残りにくくなっている」と彼は渋谷での古本屋経営の難しさを語る。確かに渋谷は繁華街で、既存の小規模な書店よりも進出してきた大型書店が派手に客を囲い込んでいる。何か特色を出さなければお客を呼べる店にはなれない、という彼の危機感は状況を的確に分析した結果だったのだろう。

そこで目をつけたのが、若者を意識した「ビジュアル」な店づくりだった。実際にこの写真には、彼を取り囲むように50年代から70年代のアメリカやフランスのファッション雑誌やカタログが置いてある。なるほど。

ターゲットは10代から20代の若者で、「彼女にプレゼントしてかっこいい本」とは彼らしいコメントだ(^^)。彼は渋谷のんべい横町にあるバー兼古本屋の「Non」を経営するご主人と懇意で、将来渋谷の持つ様々な文化と古本を組み合わせる構想を練っているという。なかなか。

実は彼とは普段から市場で一緒に働いている。明古が終わったあとなどに「甘露さん、今日はこんなの買っちゃいました」とあれこれ本を見せてくれる。それはたとえば昔の紙芝居だったり、昭和初期の風俗を裏側から紹介した本だったり、どこか一癖ある面白いものが多い。ごく当たり前の本に目が行く自分と比べるとやはり目の付け所がイイ。
「シブヤ系の古本屋を目指します!」が彼の口癖。その実力はこうして新聞に取り上げられるまでになった。すばらしい。

「欧米では映画館や劇場に近接して関連の古本屋がある。渋谷にも映画館、劇場、ライブハウスがあり、可能性はあるでしょう」と、彼の構想は広がる一方のようだ。「装丁や印刷の色使いが、その時代を感じさせ、今の若者に新鮮に映るもの」を中心に彼が厳選した品物が棚にぎっしり詰まったお店が渋谷にある。

興味ある方はぜひ、渋谷道玄坂にある「渋谷古書センター」二階フロアへ。井の頭線渋谷駅改札から246方向へ歩いてすぐです。

■2002/02/12 (火) 忙しい

昨日の夜に大量のご注文を頂いた。

そのご入金が今日の朝に集中してしまった。三連休明けの火曜日はオヤジたちが休みということもあり、店を開けたら最後女房を帳場に座らせない限り荷造り作業が出来ない。
開店前に必死で作業。10件全て終えたところで郵便局に出しに行き、戻ってから開店。11時少し前だった。しばらくして今日の郵便が到着。前金を5件運んできた(^^;。うあ、大変だ。早速女房に店番をお願いする。

荷造りしていると電話が鳴る。そうか今日から甘露通信の受注が始まるのだ。もたもたしていられない。ご注文書を取り揃えられてホッとしたのも束の間、すぐに作業場へ行き気合をいれてすばやく荷造りした。お送り先住所確認のためにPCを開いてみたら、ジャパンネットバンク口座あてに5件入金を知らせるメールが届いていた(^^;。ひええ、大変だ。また荷造り追加だ。再び速攻で荷造りをこなす。

郵便局へ行く前に荷物の確認、点検。郵便振替の前金、目録からご注文の売掛金扱い、JBN入金の前金、銀行口座入金の前金、ゆうパックによる代引便。すべて会計処理上の手続きが違うのだが、今日に限ってたまたますべてのパターンで荷物が出てしまった。アメリカへ国際スピード郵便で送るものまである。荷物は出来ていてもどこからお金が出されたのかを押さえとかないと後で記帳するのが大変になる。うーん、頭がこんがらがる。もともとキャパがそんなに広くないからなぁ・・・。

郵便局に行ってゲッソリして帰る。連休明けで郵便を出す人の多さに辟易したのだ。たまたまなんだけど、こういう時に限ってワタシの前に並んでいた人が面倒な用事で来るんだよねぇ。切手を数種類と書き損じ年賀状の交換(^^;。そりゃあ自分がこーゆー用事で行くこともあるかもしれない。そんな時には後の人に面倒な用事でと思われているだろう。にしてもどうしてこう忙しい時にさらっと荷物を出せないのだろう。全ての原因は三連休にある。郵便局は週の半分も休んじゃイケマセンよ。

店に戻ると帳場で女房がワタシの甘露日記の未読分を読んでいた。意外に楽しみにしているらしい。傍らで娘はなにやらいたずら書きするのに夢中だ。今お客様が入ってきたら、この妙なアットホーム感に違和感を覚えるだろう。

「もうご飯にしていいの?」女房があきれながら聞いた。うん、もういいよ。とワタシが答えた。時計はすでに13時を回っていた。

■2002/02/11 (月) 本の書き込み

建国記念の日。

そのことを意識しながら休んでいる人がどれだけいるだろう。祝日を三連休にする為に簡単に動かしてしまう国では、知っている方が奇特扱いされるだろうなぁ(^^;。

朝から本の整理を黙々と続けている。いつの間にか溜まってしまうものだ。
で、整理をしていて書き込み本が出てくると、ああまたか、とガッカリする。
ご丁寧に揃い物の本にも函にも全冊にキッチリ蔵印を押す人だった。几帳面な人なのか、第一巻の20ページまで黄色いマーカーでビッシリ線引きがしてあるのだが、その後は全く読みもしていない。最初の1冊しかも20ページで断念したらしい。他の6冊は新品同様で蔵印を押すときに開けただけ(^^;。几帳面だが読書家ではなかったようだ。

図書館じゃあるまいし、自分の所有する本に蔵書印を押す理由がワタシにはどうしてもわからない。一体どういう意識で本に判子を押しているのだろう。
「人に貸したときわからなくなってしまうから」わからなくしてしまうような人に大事な本を貸してはいけません(^^;。
「自分の本に対する愛着を形にするため」蔵書票ならばキレイでなかなかの趣味と思いますけども。(^^;。
「一生持っているつもりだから」アナタが死んだ後も本は残るんですよ(^^;。
「自分の金で買った本をどう扱おうと勝手でしょ」そりゃあそうなんですけど・・・(^^;。
「蔵書印押すななんて、どうせ古本屋の都合を言ってるだけだろ?」本は喋れませんからねぇ(^^;。

書き込みや蔵印のある本は古書市場では「事故品」として扱われる。その処理は買主の判断にゆだねられるが、取引から一週間以内ならば返品になったり値引きされたりする。運悪く返品になった品物は売主のところに戻り、出戻り品として粗雑な扱いをされても仕方がない。

本には口がないから「書き込まないで!」とも「判子押さないで!」とも言えません。しかし、アナタが書き込んだために、判子を押したために、その本は再流通出来なくなるのです。
読書家なら、愛書家なら、本のマイナスになるようなことを控えていただけませんか?

■2002/02/10 (日) 骨休め

朝起きたら9時を過ぎていた。

外は見事な曇り空。しかもこの冬一番の寒さときてる。これは外に出るなということだね。一日家で過ごすことにした。
息子は朝から昨日届いた学研の科学の付録作りで夢中だ。ワタシも子供の頃に学研を取ってもらっていたが、今はだいぶ仕掛けがチャチになっているようだ。いや、その頃からチャチだったのかもしれないけど、自分が子供だったからそう思わなかっただけか・・(^^;。

「子供心」を忘れない人を魅力的と語る女の子は多い。ただ、それも程度によるだろう。どんなときに出る「子供心」なら好もしいと感じられるのか。

ワタシにはもう子供がいる。子供がいるということは親だ。子供ではない。両親の子供ではあるけれども、どちらの立場を優先するべきか考えれば、自ずと答えは出る。ワタシは人の子の親なのだ。
子供と遊ぶ時だって親として遊ぶ。子供と同じ立場で遊ぶという立場はどうしても取れない。

朝から息子が「あそぼー」と言い、次々に遊ぶものを繰り出してくる。コマ回し、メンコ、カルタ、トランプ。みんな子供の得意なものばかり。「カルタなら私もできる」とばかり、娘も入ってきていっぱしに何枚も取る。真剣だ。取ればうれしそうに笑うし、兄貴が本気を出して全然取れなくなるとプっとむくれて「やめたっ!」と怒り出す。ワタシはもちろん本気を出さずに、息子が手抜きと不満にならない程度に取る。

子供にとって親は第一の目標だ。その存在に勝ちたいといつも思っている。だから「あそぼー」と持ってくるのは息子の得意なものばかり。実はワタシはベーゴマを回せない。息子は得意になって何度も回す。表情が踊る。
巷ではベイブレードが流行っているそうだが、どうやって回すのか見たら絶対に失敗しないような構造だった。子供から工夫する心を奪ってどうする(^^;。

世の中の流れは速く、子供たちもじきにその流れに飲み込まれていくだろう。ワタシが子供の頃にはなかったTVゲームが今は幅をきかしている。一見前よりも進んでいるようにも見えるが、果たしてそうか。TVゲームで遊ぶときに使うのはどの部分だ?体で遊んでいるのか?
なにより、ゲームの世界はあらかじめ決められた以上には発展しない閉じられた世界だ。つまり、どんなおもしろいものでも絶対に飽きてしまう。

何が本流か。それを子供に教えるのは親の仕事である。こういう時、「子供心」は役に立たない。

■2002/02/09 (土) 甘露通信

水曜日に入稿した甘露通信が上がってきた。

さすがE印刷さん!疲れた顔をしたご主人の顔が目に浮かんだ。「ちょっと遅れるかも」と言ってたけど、ちゃんと期日までに上げてくれるんだよね。エライよなァ。

作っておいた封筒に封入し、出来たものからポストに投函。来週は月曜日が祝日なので、火曜日から受注が始まる。また大きく在庫が動く。コツコツとこれの繰り返し。小さいながらも着実に。

中央市会大市の出品目録が届いていたのだけど、例のIT作業について全く触れられていなかったことが非常に気になった。出品の仕方の項目にITなどという言葉はどこにもない。

大丈夫だろうか。

この目録を見たら皆さん”普段どおり”出品しますよ(^^;。”普段から”出品明細などという面倒くさいものを作る習慣がない人は、もちろんそのまま持ってくるはず。普段どおりにね。
昨日届いた古書月報にはかろうじて1頁分IT化の推進のため「出品明細を付けてください」と説明があったけど、どれだけの人が読んでいるか心許ない。これで出品明細を付けてきてくれる人を期待するのは無理でしょう(^^;。
品物に添付された出品明細をもとにデータ打ち込みをすると聞いていただけに「出品明細なしでは出品できません」くらいのことが書かれるのかと思っていた。明細なしが少しなら当日封筒から直接データ打ち込みするという方針と聞いたけど、このままだと半分くらいが当日打ち込みになってしまうのでは・・・。

同じく、全古書連大市会のお知らせが古書月報の表4に大きく掲載されていたが、やはりITの文字はどこにもなかった。前回と大きく方法が変わるにもかかわらず、その方法の具体的告知が遅れている。
ワタシは事故係を受けている。他人事では済まされない(^^;。

みなさん、中央市会の大市出品の際は、出品明細を付けてくださいね!

朝晴れていた空は昼過ぎに冷たい曇り空に変わった。風が氷のように冷たい。

■2002/02/08 (金) 終電まで

金曜、明古。

2月も第二週に突入。今日は要仕分荷が4口入荷し、それがかなりのウブ口だったからその流れに呼応するように持込荷も量が多い。普段は会場の半分で収まるのだが、急遽2列増設するほど市場は盛り上がった。もっとも、来週の月曜日が祝日で、その次の週に大市があり、中央市会の通常市が二週連続休会という要素も作用しているのだろうね。明古も来週は休会です。

市会終了後、経営員と幹事さんたちで、これから7月の大市までのおおまかなスケジュールについてお話があった。詳しいことはここには書けないが、今期市会終了後のお楽しみとしての「明治古典会公開講座」は4月以降も継続されることとなった。経営員の方から取り上げるテーマのリクエストはないか、と聞かれたので、刷り物に関してお願いします。と会長に伝えた。
また、その席で経営員の”研修旅行”のお願いをしたところ、快くOKを頂き、2月23日24日に那須へ出かけることが決定した。

明古のスケジュールについてのお話のあと、経営員は残って4月の全連大市会の話(^^;。重大イベントの予定が入ると、それが終わるまで頭が一杯になる。すでにワタシの中では今年も7月まで終わってしまった。あと5ヶ月だ。

飲み会は経営員7人ですずらん通りへ。久しぶりだったが、店員の女の子はワタシの顔を覚えていた。顔がデカイからなぁ。
新入経営員のMくんも一緒。Oさんとのオタク系話に我々はついていけず・・・。すごい人が入ってきちゃったなぁ。

■2002/02/07 (木) 4月

今日は4月に開かれる全古書連大市会運営委員の第一回会合が開かれた。ワタシは事故係を仰せつかったため、会議に参加した。

現在古書会館が建て直し中のため、前回とは大きな枠組みに相違がある。さて、どうなるか。

東京では2年に一度。京都・大阪では8年に一度。名古屋では10年に一度、この大市が開催される。

■2002/02/06 (水) ひさしぶり

久しぶりに市場へ行ける日。

朝から忙しい。甘露通信紙版の入稿をするためだ。内容はインターネット版と同じだから、Web環境を持たない方へ在庫をお知らせするのが主な目的だ。ちゃんとできるかどうかわからないが、政府のIT政策がしっかり予算執行されれば、数年のうちに日本はIT大国になるはず。そうなれば今後はインターネットを閲覧できない方が激減する、はず。・・・いやいや、パソコン需要が冷え込んでいるなんて聞いてるし、きっとそうはならないネ(^^;。しばらくは紙とWebを平行してやっていくことになると思う。

水曜日に入稿して早ければ土曜日に上がる。早い、安い、印刷屋さん。いつ行っても沢山の仕事を抱えていらっしゃる。今日も疲れた顔して応対してくれた(^^;。納期厳守お願いしますネ。

今日は資料会。開札時間を過ぎていたので入札はそこそこしかできず。金曜日と月曜日に出品しておいた品物の精算をした。1点もボーはなかった。有難い。ウチでだめでも他所様なら生きることもあるのだ。ホントに有難い。長いこと店晒しになっていた本が少し減った。
中企センターの2階ではガーデニング会社の展示会が開催されていた。その影響で資材搬入の係員がひっきりなしに地下駐車場と2階を往復し、エレベーターがほぼ独占されてしまっていた模様。

今月の終りに予定している経営員旅行のことでOさんとおしゃべり。行き先は決定したんだけど、日程が詰めきれていない。どうしようか、云々。金曜日に予約を入れようということになった。

帰りの竹橋駅。ホームにIさんがいらっしゃる。経営員で一緒に働いてるIくんのオヤジさんだ。「あなたはよく毎日買いに来てるね」と言われ、いやあ、来るだけで買えてませんから空回りしてますよ、と恐縮して答える(^^;。Iさんはそのまま東西線で高田馬場まで。ワタシは次の九段下で下車して乗り換え。本屋は仕入れが命。仕入れさえうまくいっていれば本はどうにか売れていくもの、のはず。

帰ってきて甘露通信発送用封筒作り。宛名ラベルを打ち出し、貼り付ける。2ヶ月に一度の発行を守り続け、今度の目録で41号になる。売れる月と売れない月の差が段々大きくなっているような・・・(^^;。

明日は4月の一週間カンズメになる全古書連大市会の初会合だ。ワタシは前回に引き続き事故係を拝命した。大変なんだよねぇ(^^;。

■2002/02/05 (火) 寒い日

昨日は高崎を一日で往復するという経験をした。

普段なら考えられないことだ。そういう意味では昨日は非日常が顔を出した日だったと言えなくもない。いや、非日常そのものだったのだろう。普段なら電車に6時間も乗っている事はないし、文庫本を1日で1冊読み切ることもない。
普段なにげなく顔をあわせていた方が不意にお亡くなりになる。それによって生じる様々な事象から我々はいろいろな示唆を得る。

「大きくなりましたね」お知り合いの方がウチの子供たちにおっしゃる言葉。それを聞いてワタシの母親は「なんだかもう追い立てられるようで・・・」と笑いながら言う。子供が大きくなるだけ時間が経過したということは、それだけ我々は歳を取ったということになる。

そんなのアタリマエだろ、と言ったら話はそれまでだ。

経過した時間を振り返る余裕さえない毎日。前を見るのが怖くて後ろばかり見て過ごす毎日。どうやって過ごしても時間は等しく過ぎ去ってゆく。
ひたひたと、終点は、毎日、少しづつだが、確実に、近づいてくる。

この動かしがたい現実をどう受け止めるかによって”日常”が決まってくる。毎日の過ごし方、それはそれぞれの人格の反映に他ならない。イイワケはきかない。

「仕事」とは「事」に「仕える」と書く。
先日あるご同業の方と話していてこの言葉の意味を考えてしまった。この方は自分の仕事を子供に継がせるつもりでしていない、とおっしゃった。
ワタシは甘露書房という名前を継ごうとしている身だ。ワタシの子供が継ぐと言っても言わなくても「継いでみたい」と思えるような店にしておきたいとは思っている。
オヤジたちと交代で休むことで年中無休体制を取り、店の信用を高めようと気を使っています、と話したら「看板を守ろうって意識が強いんですね」と指摘された。ハッとした。事に仕えている自分を見た。

いや、店を休まない程度のことでは、言うほどの努力ではないのだろうな(^^;。だが、初代、二代目と守ってきた店の重みはひしひしと感じている。それくらいの感覚はワタシごときにも備わっている。事に仕える自分の生き方。

毎週市場でお会いするご同業の方々。それぞれ背負っていらっしゃる事情はまるで違う、はず。共通するのは本の傍で生きている、ということと、毎日ワタシと同じだけ歳を重ねられている、ということ。

人間の時間には限りがある。だから輝いて見えるのだろう。

■2002/02/04 (月) 高崎まで

今日の18時から高崎でN書店さんの通夜が予定されていた。

朝から本の整理、入力、前金分の梱包発送を一通り終え、14時半から着替え始める。ワタシのVAI○には「乗り換え案内」という便利なソフトが入っていた。「出発地:新丸子」「目的地:高崎」と記入して検索ボタンを押すと、ダイヤと照らし合わせて実際の到着時間までがピタリと出る。15時に新丸子駅を出ると、高崎到着は17:45。新幹線に乗らないルートである。不急の出張だけに特急料金は出せない、といううちのオヤジのお達しだった(^^;。道中は文庫本を読むことにした。店にあった大沢在昌「新宿鮫」をポケットに突っ込んだ。

新丸子15:01発。自由が丘で急行乗り換えて渋谷。埼京線のホームはかなり恵比寿寄りにある。乗り換えに10分ほど。車内はすいていて座れた。赤羽到着が15:50。赤羽で乗り換え待ち時間が15分ほど。その間にトイレを済ませ水分を補給した。16:05赤羽発。高崎線普通電車でおよそ100分の行程だ。途中大宮までは混んでいた車内も鴻巣を過ぎたあたりから空席が目立ち始める。熊谷から先は車窓から見える景色も田園地帯そのもの。西の空を夕焼けが真っ赤に染める。沈み行く太陽に飛行機雲が2本交錯した。
高崎到着は17:45。もうすっかり日は落ちていた。

式場まではタクシーで10分ほど。市街地から離れた真っ暗な場所にポツンと豪華な施設が姿を現した。式場だった。広々したロビー。大きな祭壇。周りには生花が一杯飾られていた。東京から駆けつけたご同業多数。焼香してご遺影を拝見。Nさんが穏やかに微笑まれていた。

友愛さんとKさんに出口でバッタリお会いし、駅までタクシーに同乗させて頂いた。ワタシは復路も普通電車に乗り込んだ。18:52発上野行普通電車はガラガラだった。ずーっと読んできた新宿鮫はすでに佳境に入っていた。ガラガラの車内。向い側には高校生のアベックが座り、人目もはばからずにイチャイチャしていた。制服姿だったからか、なんだかひどくはしたなく思えた。先に男が降り、3駅先で女が降りた。一人になった女は足を組んでタヌキ寝入り(^^;。

赤羽到着は20:41。そういえば腹ペコだ。構内のスタンドカレー屋で空腹を満たす。シマッタ、昼飯もカレーだった(^^;。
埼京線、東横線を乗り継ぎ、新丸子着は21:50。

新宿鮫は丁度新宿駅付近で読み終わっていた。

■2002/02/03 (日) ぶらぶら

朝起きたら雨。

この時期の雨は冷たい。何処へも出掛けたくなくなってしまった(^^;。
ただ、子供たち二人が例によって絡みついてくる。寝転がりながら相手をして適当に過ごしていたのだけど、それも面倒になり途中から出掛ける事になってしまった。別に行き先もない。雨だしどーしようか。横浜駅周辺をぶらついてみようか。

とても消極的な理由で出発。しかし横浜駅の改札を出るとものすごい人の数。みんなこの雨で行き場所がなくて困っているようだった。相鉄の先にあるYへ。狭い店内でDVDプレーヤーを見る。最近はDVDコンポまで出ていたが少々割高。普通のDVDを見るとやはりソニーの小さいカッコいいモデルに目が止まる。2万7千円ほど。買えない値段ではない。腕組みをしたところで子供たちから「早く外出ようよー」コールが入る。買わずに店を出た。

西口のそごうへ。破綻したのがウソのような人出。バレンタインの書き入れ時でB2エントランスは人が溢れていた。丁度15時の時報でからくり時計が回りだす。「あ、ディズニーランドだ」と子供たち。ちゃんと覚えてるんだね。曲はイッツア・スモールワールド。

8階のオモチャ売り場へ。結構な人の数。別に何を買ってやるわけでもなく、先週に引き続き子供たちを放して大人はそのお守(^^;。今日から始まった仮面ライダーのグッズがもう売っていたりして。バッタ顔をやめて大丈夫?
またしても娘がおじゃ魔女どれみの垂れ流しビデオの前で粘る。TV好きなんだねぇ(^^;。他の女の子とともに数人でTVに向かって整列している。刺激に対して無防備だよね。しばらくして引き剥がした。

すぐに「腹減ったコール」が始まる(^^;。そごう10階の食堂街へ行くのも飽きたので、ルミネの6階にある食堂街へ。初めて行く食堂街では女房が面白がる。一通り回ってから決める。だが、最初に見たもんじゃ焼き屋に息子が反応し「ここがいい」と主張。洋食屋さんもいいなーと思ったが、結局もんじゃになった。
ミックスもんじゃにミックスお好み焼き。それに広島風お好み焼き(モダン焼き)も頼んだ。月島のもんじゃもうまかったけど、ここの方がいろいろと具が一杯で割安感あり。自分で焼いて食べるのは変わらないが、席が広々としていて家族連れにはいい。モダン焼きは調理場で作ったのが運ばれてきた。

食べ終わって出るとまだ17時過ぎ。駅は混雑のピークだった。

そごうエントランスにあるからくり時計
■2002/02/02 (土) 入荷品

月曜日の中央市会へ出品する荷物を出しに朝から竹橋へ。

昨日は22時半には寝てしまった。グーグー寝て、起きたら9時。久しぶりによく寝られた。やっぱり寝不足による体力低下が風邪の原因だろう。朝起きたら鼻が詰まって青っ洟が出る状況にまで改善していた。冬は睡眠時間をたっぷり取らないと後が辛くなるようだ。もう歳だね(^^;。

竹橋への道すがら、ガラガラの道をスイスイ走っていると、飯倉付近で混雑していた。2月に入り、北方領土の日が近づいた為だ。飯倉交差点傍にはロシア大使館がある。

中企センターに到着し、駐車場へ降りると2階でイベントが開催されている為、普段停めている場所にクルマを停めるなという張り紙があちこちにあった。入ってみると別にそこまで取らなくてもいいじゃんか、という位全然クルマが停まっていない。でもルールはルール。一応クルマを奥の方へ入れ、カーゴで品物を3階まで上げた。他に出品に来ている方もちゃんと禁止されている場所以外に停めていた。昨日の明古で捌かれた品物はS運送さんが運び出していてほとんど残っていなかった。
帰り際、クルマ用エレベーターを待っていると、入車するクルマ有り。ドアが開いて出てくると都外ナンバーだった。ただ、「停めてはいけません」と書いてある場所へ一直線・・・(^^;。おまけに入れ替えでエレベーターに乗ろうとするワタシの走路まで妨害してくれました(^^;。ダメですよっ!

店に戻って食事をしていると電話が。同じ友愛書房さんの店員経験があるUさん(もちろんワタシの入るずっと前にご卒業)からだった。なんと普段金曜日によくいらしていた高崎のN書店さんがお亡くなりになったという事。お通夜と告別式は月曜火曜日に高崎で予定されていた。ビックリした。1月25日の明古特選市にはちゃんといらしていたのに・・・。Nさんの息子さんもUさん同様、友愛書房店員の先輩でいらっしゃる。ワタシも月曜日の通夜に行くことにした。

昨日落札した現代カメラ新書を整理する。半分以上ダブっていた本だったが、新品同様のとても保存状態がいい本ばかり。早速入力し、日本の古本屋にアップ。お目当ての本があった方はお早めにご注文下さいネ。

■2002/02/01 (金) 新メンバー

金曜、明古。

今日から新入経営員有り。同じ神奈川組合員である鎌倉G荘のMさんである。いや、Mくんと言ったほうがいいか。学年がワタシと同じ昭和44年の早生まれ。事業部長曰く「これで経営員の平均体重が上がったね」・・・ついでに平均年齢も上がりました(^^;。

これで経営員は総勢11人。大所帯で迎えた2月最初の明古だったが、いつもどおり、11時を過ぎる頃にやっと入荷のラッシュが訪れた。ただ、最近は量よりも質の高い品物が多く、点数は900点弱にもかかわらず会場に品物が満ちているという気分が高まっている。新入のMくんはもう中央市会でのキャリアが1年半あるので(注:M井くんと同期らしい)、あとは明古特有の品物陳列方法に慣れてくれれば問題はない、はず。

昨日息子が風邪をひいて寝込んでいた。うつらないように用心してはいたけど、朝から鼻水が垂れて目が覚めた。気が付けばのどが痛くてふらふらする。やばい。体温を計ったらアウトになるような気がして、風邪薬を飲んでから家を出たのだった。
陳列が終わる頃までは薬が効いていたのだけど、昼にうまい本格インドカレーを食べたら汗がダラダラでて薬の効果も流れてしまった(^^;。クシャミ鼻水がとめどなく出る。まいったなぁ。とりあえず開札時間の前に近所の薬屋に走り、風邪薬を飲んだ。なかなか効き目が現れない。開札中もクシャミ鼻水。頭もボーっとしてまぶたが重い。こりゃあ仕事どころじゃないな。

それでも最後までなんとか仕事をした。終わった頃に薬が効いてきて鼻水が止まった。今日は朝日ソノラマの現代カメラ新書の口を落札できた。

終了後、18時からMくんの歓迎会をイタリアンで。Rくんのクルマで古書会館の場所まで乗せていってもらう。元あった会館は現在地下部分を取り壊し中。暗闇に巨大ユンボが2台佇んでいた。

楽しいうちに歓迎会の時間は過ぎた。ワタシは体調不良のため、アルコール抜き。しかも1次会で失礼した。ほかのメンバーは近くのカラオケに繰り出したはず。
帰りの電車では緊張が解けたからか、薬の効き目か、じっとしてると意識レベルが下がるほど。やっぱり疲れてんのかなー。家に到着してメールチェック。お返事書きをしたらすぐに布団に入った。

カッコつけてる場合じゃなく、ホントに倒れそうになっていた。

2002年02月28日 | Posted in 甘露日記 | | Comments Closed 

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