甘露日記2001年8月

■2001/08/31 (金) 特選

金曜、明古。

今日は8月の特選市会。普段は一口2000円のところを5000円からの入札となる。今日のために簡単な出品目録も発行するため、全国の厚志な方々が月一回のこの市会を楽しみにしていらっしゃる。

朝古書会館に到着すると、昨日の4トントラックの荷物は前日仕分けで集まった人たち大勢で、全集が多かったのも理由のひとつだったが楽々仕分けされていた。実際に開札してみたら明治期刊行物に良いものが含まれていたようだった。

全部で1150点あまり。1階会場だけで運営できるギリギリの量だ。開札に手間取り終了は17時少し前。

終了後、久しぶりに徳萬殿で食事。幹事さんのHIDEさんとKさんもご一緒で、終了は21時。

そのあとは3人で某所へ移動。終電まで。

■2001/08/30 (木) 店番

3日連続一人で店番も今日が最終日。

さっき親から電話があり、草津白根山はいい天気なのだそうだ。いいよなぁ。

明日の明古は8月の特選市会で、4トントラック一台分が入荷しているという。ワタシは店番で行けなかったが、経営員は 前日仕分けを行っているはずだ。文学関係の一口モノ。

皆が働いていると思うと店番していても気合が入る。今日は入荷したまま積み上がっていた哲学関係本を片っ端から値付けし、データベースに投入した。

■2001/08/29 (水) 畳替

朝6時起き。

何事か?!(^^;。いえいえ、今日は畳替えの日なのですよ。

店を建て替えて早7年あまり。暴れ盛りの子供を二人抱え、家族4人が寝るのも食べるのもほぼ6畳一部屋でまかなってきた。もともと建てたとき付属の畳は質が良いものであるわけがなく、酷使されて畳表のイグサがポロポロと剥れてきた。穴も数箇所あいている(^^;。

長女が幼稚園を卒園する頃まではこの部屋で何とかがんばっていかなければならないので、それまで3年もあることだし思い切って畳表を張り替えることにしたのだ。
畳屋さんはのご近所。電話をかけたら事前に一度見ますといらっしゃった。「1枚5000円から9000円までありますけど」と言われ、7000円のものを注文した。それでも「今よりも高級になりますよ」とのこと。やはり建て付けは安いものを使うようだ(^^;。

日曜日に少し荷物を整理しておいたので、朝飯を食べてすぐに荷物を畳の上から移動するのにそれほど時間はかからなかった。TVとビデオの配線をもう一度やり直さなければならないのはちょいと痛いか(^^;。

移動が終わったのが8時少し前。やれやれ間に合った。8時きっかりに店の前に軽トラック。畳屋さんの到着だ。お一人でえっちらおっちらと畳を運び出す。こういう時シロートは手を出さないのが賢明だろう。雨がパラつく中、幌付きの軽トラで畳は旅立っていった。

女房は子供たちを連れて出かけるという。畳も無くTVも見られず居間で昼寝も出来なくては、畳が帰ってくる夕方までの時間を過ごせないからだ。ご苦労様です。渋谷の児童会館へ行くそうな。

16時過ぎに畳屋さんが表を張り替えた畳を台車に載せていらっしゃった。20分ほどで作業終了。店を開けているからお手伝いするわけにもいかず、ただ黙って帳場の横を6回通過していく畳の様子を見守った。旅館の匂いがする。絨毯張りのホテルでは感じられない、旅館に泊まったときの感じがした。新しい畳ってやっぱりぜーたく品なんだよねぇ(^^)。

汗だくで作業を終えた畳屋さん。外の自販機で買った缶お茶をお渡しする。お会計は7000円を6枚で42000円。安いんじゃない?ってのが正直な感想。これから女房と子供たちが帰ってくる。畳を見て歓声を上げる姿が目に浮かぶなぁ。

今日の夕食が楽しみになった(^^)。

畳のない居間。
■2001/08/28 (火) 更新

ホームページの更新作業を続けてきたが、ひとまず区切り。

今回は大規模なリニューアルをすることが出来た。全ページによりよくアクセスできるように「ぱんくずリスト」を付けたのは大きいと思う。ぱんくずリストとは何?という方。全ページ左肩に「HOME > KANROKANRO > CAMERA」と現在のステータスをあらわしている箇所をぱんくずリストと言います。
HOMEから自分が何処まで辿ってきたのか、その足跡を「ヘンデルとグレーテル」の”ぱんくずを来た道に少しづつ置いていく”というエピソードにちなんでこの名が付いたらしい。妙なところから名前を引っ張ってくるものだ。
メモリをほとんど食わない方法ながら、検索サイトから直接リンクしてきた方々にもすぐにHOMEまで遡れる点は非常によろしい。

せっかくだからグラフィックでページの統一感を出そうと、メモリをあまり食わない方法でバナーを作って全ページに据えた。この作業のためにマクロメディア社のファイアーワークスを買ったのだから結構元手がかかっている(^^;。まあ、こういう部分のデザインはほどんど自己満足な作業であるから、来訪していただいた方から酷評されたという理由だけで変更するつもりはない。また飽きたら改変します(^^;。

それにしても、一度ホームページ関係の全データを見直したのだが、開始当初は随分と原始的なホームページ作成方法をしていたものだと思う。雑誌についていた無料ソフトだから仕方ないといえばそれまでだけど、初心者用にしか設計されていないものはなるべく最初から使わないほうが良いように思う。 いえ、ひとりごと(^^;。

実はファイアーワークスは単独で購入したのではなくて、ドリームウィーバー付の「STUDIO」パックを買ったのだけど、フロントページで作るのに慣れきっていたからドリームウィーバーを覚えなおすのが面倒で出番がなくなってしまった。こういう経験からも、最初から良いソフトを買っておくべきだと思う。フロントページも十分使えるソフトだけどね。

今日からオヤジたちは草津白根山まで夫婦で登山旅行。木曜日まで居りません。

■2001/08/27 (月) 通販

日本の古本屋がリニューアルして、検索スピードが飛躍的に良くなった。

今まで待てなかった方々もたくさん居らしただろう。しかし、もう待つ必要はなくなったのだ。

それからというもの、8月だというのにご注文品が山のように積み上がっている。うれしい悲鳴を毎日あげている(^^)。やはり皆さんリニューアルを待ちに待っていらしたのだ。ありがとうございます!
 

秋葉原の一番”濃い”通り
■2001/08/26 (日) 休日

朝は9時起き。

久しぶりに寝坊。ちょいと疲れていたからね。

今度畳屋さんに居間の畳を張り替えてもらうので、家具を移動する必要が出てきた。子供のおもちゃや要らなくなったものがいつのまにか堆積していたから、一度整理しようと思いつき、今日は一日汗をダラダラかきながら掃除である。

まー、それにしても出るわ出るわ。8年間の堆積物(^^;。一つ一つ見てみればいろんな思い出もあるのだけど、それを全部大事にとっておいたら現在の生活が押しつぶされてしまう。今日はそんなことに気がついた次第。一度捨ててしまったものは帰ってこないけど、あまり持ちすぎると新しい思い出を収納する場所が無いというわけ。もっとも、モノが無ければ思い出せないコトなんて、実際には大した事じゃないのだよね。
”思い出”がゴミ袋(大)で4つ分。結構な量だ。

女房は小学校のPTAで、午後に資源回収の見回りへ出る。回収時間を過ぎてから出された”資源”が無いかどうかのチェックである。ズルズルと新聞を一束お持ち帰り。明日ゴミとして出すこととなる。

一日家に居たから、夜はクルマで近所のファミレスまでドライブ。夏休み最後の日曜日は終わった。

■2001/08/24 (金) 帰還

金曜、明古。

荷物が少ないという予測から朝8時半集合。
荷物は少ない。 要仕分け荷が一口しかない。でもその仕分けをしているうちに荷物が続々と持ち込まれた。当初5台の折り台で十分対応できると思っていたのだが、急遽2台ほど追加。

11時前に写真関係の一口を持ち込まれた。非常に良い口で、ついワタシが仕分けしてしまう。分けると分けた人は買えないというジンクスがあるのだが、さてどうなるか。

吉川速男氏の著作を数点、東松照明氏の代表作、土門拳氏の原稿などをゲット。しかし本当に欲しかった木村伊兵衛さんのオリジナルと「王道楽土」。そして原稿を取り逃がす。本当に欲しい本って絶対買えないんだよなぁ。

明古終了後、経営員は10月から市場機能を移転する中小企業センターに行き、仕事の流れを実地で確認しに行った。館の管理をする警備員の方の親切な対応ぶりには恐縮した 。

■2001/08/21 (火) 撮影

9月に行われる一新会大市会の目録写真撮影日。

ワタシは今回カメラマンとして参加。朝10時集合なのでカメラ2台(LXとバックアップとしてMZ-5)と三脚を持って古書会館を目指す。台風が来ているらしいが雨はまだ降っていない。

ライトとコピースタンドはSさんの機材をお借りした。400のカラーフィルムを込め、ブルーランプを2灯当てて露出計をかざすと、大体F8の1/60と出る。
以前ならモノクロで撮るのが写真版原稿の基本であったが、現在は印刷技術の進歩でカラー写真でもちゃんと遜色ない仕上がりで印刷できるようになった。

■2001/08/20 (月) 独占

中央市会。

休み明けで量も少ない。今日は出品しているのである。さてどうなるか。

入札するべき品物も少ない。こういう日はなかなかうまくいかないものだ。

一通り入札したあと、近くのルアーショップに立ち寄ると、なかなか店頭にない「バレット」が在庫していた。すかさず4パック買い込む。そのあとは秋葉原へ。 I電気の書籍コーナーでホームページデザイン関係の書籍をあれこれ見て、2冊買う。本屋が電気屋で本を買うなんて時代は変わったねぇ(^^;。

ついでにPC売り場を見ると、もうDVDとCDRWがノートパソコンに乗って20万円を切るのは常識となっていた。比較的高価なVAI○でもこれだから、たった1年足らずなのにワタシのPCは随分と古くなってしまっている。

市場に戻って結果を見る。ほとんど買えなかったがほとんど売れた。仕入れ金額を上回って一安心。

明日は一新会大市の写真撮影のお手伝い。

秋葉原跨線橋。
■2001/08/19 (日) 御蛇

にわか独身最終日。

今日は4時起きで御蛇ヶ池へと向かう。「何処だ?」という人はとんねるずもバス釣りも知らない人だよね。イボタカコの心霊バスツアーで有名な場所ですよ!イボイボ。・・・ここではバスも釣れるんです。

とにかく亀山湖が今シーズンは使い物にならない。期待薄な分だけ近場で安く上げようという魂胆だ。6時少し前に東金道路を下り。6時過ぎには現地到着。無料駐車場はガラガラ。一軒だけある貸しボート屋の駐車場はほぼ満車という状態。ボート屋は4時から営業しているらしい。

準備をして堰堤に登ると御蛇ヶ池が一望出来る。減水は1mと少しくらいで、亀山湖の湖底が露出するはなはだしさを考えれば普段どおりと言えるだろう。ただ、この池、同じリザーバーながら亀山とは全く性格がちがうのだ。水の透明度は大して変わらないけど、湖底一面にびっしりウィードが繁茂しており、部分的に水面にまで盛り上がってウィードベッドを形成しているのだ。平地を堰き止めて作ったために強風が通り抜ける。パターンは全然違う。

ボートを漕ぎながら、さて何処をどうやって攻めようかと考えてしまった。このウィードの存在を抜きにはパターンも何もない。この中のどの辺りにバスはいるのか。軽く流しながら釣っている人の様子を伺った。何処へ投げてもノーシンカーのワームは藻達磨になって帰ってくる(^^;。やる気を保つのに苦労した。

すると、通い慣れている雰囲気ムンムンのカップルが釣り上げた。見ればウィードベッドのど真ん中からツネキチである。んんん?そうくるのか・・・。仕方ない。やってみた。ノーシンカー以上に藻が絡んだ。んんんー。どうする。

ただ、亀山と違って真の根掛りにはならない。引っかかるのは殆ど藻であるため、ラインを切らなくても藻が切れて上がってくる。なるほどね。

9時。何気なくウィードの際に投げ、トゥイッチしながらゆっくり引いたケイテックにアタリ。フォールではなく、水面直下を引いていたら食ってきたのだった。ほとんどトップだ。バイトの瞬間ガポッと音が聞こえた。27cm。御蛇ヶ池初バスである。
その後、10時半にギルが引っかかったきり釣果から遠のく。ボート終了直前の4時ちょっと前にシャロー狙いでコバッチをゲット。なんとか釣果をまぐれでメイクせずに済んだ。小さいながらも狙って獲ったバスだった。

子供たちと再会。明日から日常回帰。

アクアライン夕景。
■2001/08/18 (土) 独身

女房は実家へ里帰り。

にわか独身二日目なり。とは言っても別段変わったところもないなぁ。自分で朝飯の食パンを焼いたくらいかな(^^;。昨日はでぶやを見た後も眠いくせにTVをダラダラ見てしまい、2時頃まで起きていた。二日酔いとあいまって寝不足でちょっと眠い。

朝から雨。涼しいというかTシャツでは肌寒い。台風の影響かな。
市場へ出品しに行く。

店には12時頃戻ってくる。昼飯は近くのコンビニでカップの「山頭火らーめん」と100円おにぎりを買ってくる。山頭火らーめんは一度渋谷で本物を食べたことがあった。スープがそっくりだなぁ。油っぽくて味があんまりはっきりしていないという欠点まで似せている(^^;。インスタントでここまでやろうとするその根性に驚く。だが具はさすがに貧弱だった。・・・ちょっと独身っぽい食生活 。

午後は来週締め切りの愛書会の宛名ラベルを印刷する。それと平行してホームページの更新作業をゆっくりと。あんまりゆっくりすぎて眠くなってしまった(^^;。

夕食は久しぶりの母親の手料理。こういうときにしか食べられないからね。ゴーヤチャンプルにマグロの山かけ。うまいもんだね。普段はこういう料理は食べられません。そうそう、今日は母親の還暦の誕生日だった。今日はオヤジがすし屋へ連れて行ってお祝いするなんて言っていたけど、結局そうはならなかったみたいだな。再来週には1泊旅行へ行くみたいだからそれで代用ってことになりそうだ。

仕事が忙しいからそういうことにもなるんだけど、暇で暇でしょうがなくてちゃんとお祝いできるよりは良いのだろう、と何も出来ない言い訳(^^;。皆が元気でいるのが何よりでありますよ。

ウチの女房子供たちは、明日回収に行ってきます。その前にちょっと御蛇ヶ池で釣りネ。

■2001/08/17 (金) 明古

金曜、明古。

品物は夏休み状態で、昨日のカーゴ7台以外にはたいした量はない。
前半向け荷物ということもあったので、数人で仕分けに取り掛かる。

持込荷も少ない。全体で500点ほどと、年に1回か2回の数少ない日となる。
ただ、経営員は8人だったから時間はそれなりにかかった。

そのあとは高田屋という蕎麦屋で飲み会。解散は21時半。ワタシは帰ってきた。

今日から日曜日までは女房が子供を連れて実家へ里帰りしているので、にわか独身である。HIDEさんオススメのTV「debuya」を24時から見始める。まいうー。くっだらないことなのに面白いと思ってしまう深夜ならではのノリ。それを昼間撮影しているんだから、ある意味スゴイ(^^;。まいうー。

■2001/08/16 (木) 市場

祭りは終わった。

今日は朝から後片付けである。どんよりと曇ってはいるが、雨が降るより数倍良い。14日のうちに今日の集合時間を聞いたら「9時」だということだったのでその時間に御酒所へ行くと、すでにテントは畳まれ、御酒所の解体作業中であった。どうやら8時には作業が始まっていたようだ(^^;。

ま、仕方なし。散らかっていた青シートを畳むことから仕事を始めた。そのあとは山車の解体、神輿の解体・収納、御酒所の解体などが男の仕事。婦人部はこまごました細かい備品を収納してくれていた。

10時過ぎに一度休憩。今日はビールではなくて缶お茶が出た(^^;。そのあと日枝神社へ神輿と山車その他の備品を倉庫へ収納しに行く。トラック一杯の備品が先発し、ワタシは数人で土台だけになった山車をガラガラと500mほど神社までの道を引っ張る。

神社は同じように町会から運んできた神輿ほかの備品を仕舞いに来る町会関係者でごった返していた。場所をやりくりしながら倉庫へ収納しなければならない。その前に宮司さんのお祓いで御霊を抜く作業をしなければならず、各町会ごとに5分ほど時間を取られるのだ。一度仕舞った神輿を出してお祓いを待つ。

終わったら作業開始。山車の台車を入れ、その上に神輿と御酒所の材木を積む。よしずは梁の上に滑り込ませ、神輿の担ぎ棒は倉庫の奥行きギリギリで何とか収まる。大人7人掛かりで40分ほど。皆汗だくである。気が付けば空には晴れ間が広がっている。セミの声が木立の中からうるさいほど聞こえ出した。

空になったトラックに皆で乗って御酒所のあった場所まで乗せてもらう。来年は此処も道路になってしまうので、代替地を検討する必要に迫られるという。時に11時半。まだ作業は残っているようだったが、ここでお暇させてもらった。

さて、祭りが終わった。明日から再び明古である。日常への回帰だな。

■2001/08/15 (水) 一息

いよいよ今日は祭りの最終日。

だが、ワタシは昨日店をお休みにしたので、二日連続休んでまで祭りに参加するわけにはいかなかった。今日は店番である。オヤジたちは二連休中。買い入れ一件、明日の買い入れのご予約一件。開ければ開けたで仕事は向うからやってくる ようだ。

朝から昨日一昨日と休んだために溜まった仕事を少しづつこなす。二日間水代わりに飲んだビールを身体から追い出すためにお茶をいつもより多く摂る。

女房と子供たちは朝9時には御酒所へ出発。午前中は子供ゲーム大会があるらしい。子供神輿は午後4時過ぎ。大人神輿はそのあと日が落ちてからも続く。

それにしても朝は静かだなぁ。昨日熱狂と興奮の渦中に一日居たからだろうか。急にポンと輪の中から投げ出されたような気分である。神輿で各町会の御酒所廻りをしているさなか、担ぎ手の若い連中は皆汗だくであった。前からあの輪の中に入ってみたいなぁ、という憧れと、いやいや自分にゃあ無理無理という自己分析の間で心が動いていた。今回町会の理事という事で祭りにそれなりに参加してみて、やはり別世界という気持ちは強まった。

ワタシと同世代の人間はこの「輪」の中にほとんど居ない。町会の野球部に参加していた人たちはサラリーマンをしているのだろうか。皆出てこないなぁ。もっともワタシだって理事だから参加したわけで、自分から出て行ったのではない 。

運営責任者のSさんはもう何年も祭りを仕切っておられるご様子。各町会廻りのときのご挨拶といい、御酒所での婦人部との連携といい、神輿巡行先での休憩場所の手配といい、細かいところまで目を行き届かせていた。
そのSさんの周りには祭り好きが集まってくる。実行部隊はその直属の何人かであり、あとは頼まれてやってきたワタシのようなにわか役員しかいない。そういう不安定な組織で尚且つ少ない人数をうまく使ってあれだけの仕事量をこなされるのだからスゴイと思う。

ただの祭りと軽んずるなかれ。この2日間で色々な示唆をもらった。

明日は午前中に片付けで参加する。

■2001/08/14 (火) 初日

今日からいよいよ祭りだ。

朝8時御酒所に集合。昨日片付けた机などを元に戻し、神輿と山車を表に出す。10時半には第一回目の山車巡行があるので、それまでに飾り付けを施す。

女房は婦人部で呼ばれており、ウチのオヤジたちは火曜日なので定休を取っているため今日は店番をするものがおらず、急遽甘露書房は臨時休業となった。明日は開ける予定。
で、山車の用意をしていた9時過ぎに女房が子供たち二人を連れて御酒所へ来た。残念ながらお荷物(^^;が二人も居ては仕事にならない。ほかの婦人部の方が沢山いらっしゃるのを良いことにまるでお客様のような扱われようになってしまっていた。やはり子供が小さいうちはホスト側に回るのは 事実上無理。ま、それでも山車巡行の時に見回りと称して一緒にくっついて歩いていたから、それが精一杯ということだ。

長男は子供神輿を担ぐこととなった。町内会の野球部からたった3人しか参加がなかったため、4人目として抜擢されたのだ。もちろん子供神輿といえども小学生4人ではとても無理。ワタシを含む同行の大人4人ほどで助太刀。それでも前に居たちょっと体格のいい子は何度も神輿棒を肩からはずして苦しそうだった。反対に長男は後ろだったが「ワッショイ」の声も出せるほど楽しんでいた。午後の2回目巡行のあと疲れてだっこされたまま寝てしまった長女。結局その世話をする者が居ないため、女房は仕事半ばにしてリタイアとなった(^^;。

今日のメインは山車ではない。神輿の巡行である。16時半過ぎに町内の若者たちがいつしか集まり始めていた。飲み物で20歳前か後かがわかるのだが、6対4で20歳過ぎの方が多いといったところ。でも、他町会の神輿はオジサンばかり多いことに比べるとかなり年齢層は低い。茶髪はもちろん、スキンヘッドやモヒカンの若者まで居るが、どことなく表情は引き締まっている。かっこいいなぁ。

丸子通一丁目、天神町、丸子通二丁目、新丸子町と回って、一度御酒所へ戻る。そのあと山王一丁目、山王二丁目、八幡町を回り、新丸子駅を目指す。ワタシは神輿は担げないので、神輿の足(馬という)の持ち方をしたり、拍子木を打ったりして祭りに参加。最初調子がいい若者たちもだんだん担ぎ疲れをし、一人二人と担げずにそばを歩くだけになっていく。やはりねぇ(^^;。長時間担いでいると肩に食い込んだり、神輿を揉んだりしたときに膝を痛めたりするのだ。ありゃあ若い人じゃなきゃ出来ないよね。

時間が遅くなってくると若い女の子も担ぎ手に加わりだした。一人二人ではない。7人8人が男に混じって交代で担いでいる。なかなか勇ましいなぁ。道行く人の反応は、迷惑そうに横目で見ながら足早に通り過ぎる人と、懐かしそうな目でこちらを眺める人とはっきり分かれた。前者は大抵通勤帰りの方であった。

神輿巡行は21時半ころ終了。ワタシは明日店番。

東町会神輿と子供神輿。
■2001/08/13 (月) 前夜

朝8時半に集合をかけられる。今日から地元日枝神社の例大祭である。空はどんよりで雨交じり。かなり涼しい。

まずは日枝神社の蔵から神輿と山車など備品をトラックで搬出。消防署前の道端で山車を組み上げる。ワタシが小学生のころからある山車なのでだいぶ年季が入っている。床のコンパネやサイドのボディは新しいものに取り替えられていたが、その他は意外に当時のまま。なつかしい。紫色の垂れ幕を軒にぶらさげ、花で飾りをつける。太鼓は明日組むそうだ。

山車をほぼ組み上げた10時すぎに休憩。お茶の代わりにビールが出る(^^;。昼ビールどころではない。朝から、である。それと平行して御酒所が設営される。ちゃんと材木を組み上げて床も張り、ヨシズをはってテントをかけて、紅白の垂れ幕までかける。この御酒所の設営というのは結構な大仕事だった。去年の写真があったので”例年通り”組み上げられた。

昼飯は近くの喫茶店に団体でドカドカと押しかけ(^^;、ビールも持込み。しょうが焼き定食。いつしか空は晴れていた。
暑い日中。照りつける太陽。流れ落ちる汗。午後はいよいよ神輿の組み立てである。実は東町会の神輿は昔子供神輿として使っていたものだ。現在はそれを大人が担いで揉むものだから担ぎ棒が折れそうになって痛んでいる。修理する算段をしながら組んだ。紐で担ぎ棒を組むのだが、その組み方にも作法がある。ワタシはわからないので様子を見るに止めた。

そういう作業をしている横で、奉納される方がポツリポツリといらっしゃる。どなたがいくら持ってくるのかは、御酒所向う正面の掲示板に貼り出されるので一目瞭然。最高金額は○万円也。ほかにもジュースを50本とかチューハイ50本など モノで納める方もいらっしゃる。キムチ5kgというのもありました。

午後6時まで休憩。その間中ビール(^^;。ほとんど水代わりに飲まされているから頭が痛くなってきたよ(^^;。
そのうち御酒所へ御霊を入れに日枝神社の宮司さん到着。現代の神様はワンボックスカーに乗っていらっしゃる。御酒所と神輿に御霊を込めて、またすぐにクルマで立ち去られた。まだ回らなければならない町会があるのだろうな、きっと。

そのあとすぐにバーベキュー大会。またまたビール。逆にのどが渇いてしまったような気がする。でも焼肉もうまいし、イカワタを絡めたイカ焼きは最高にうまかった。

疲れた。明日は8時集合。

■2001/08/12 (日) 疲れ

なんだか疲れている。

昨日深夜までかけて甘露書房ページの方をリニューアルした。いかにもシロートっぽく見えていた壁紙を捨てた。たったそれだけでも印象というものはずいぶんと変わるものだ。3年前に立ち上げたとき以来使っていたものだったけど、やめてよかったと思う。

朝は9時過ぎに目が醒めるが、まだ眠い。暑いはずの気温が急に低くなって身体がビックリしているのか。なんだか内臓の調子も良くない。これが夏バテってやつ?

朝飯を食べるともう10時半。外は雨だったが子供たちは元気に「出かけよー」を繰り返す。雨だから博物館系だな、とばかり北の丸公園の科学技術館へ行くことにした。出発は12時ちょっと前。

昼飯をどうしようかということになり、渋谷南口から246を歩道橋で超えて、有名なロシア料理「ロゴスキー」が入っているビルの地下にある「ジョイタイム」というところに入る。まだワタシが学生だった頃から来ている店。かなり久しぶりに入ったのだが値段も全然変わらず安いままだった。4人が腹いっぱい食べて1700円!

竹橋駅を降りて竹橋を渡る。雨はなんとか上がっていた。お堀の水は失敗した抹茶のように粉っぽく緑色をしていた。科学技術館はこれまたかなり久しぶり。入場料は Cカードを見せたら600円が500円に割引になった。
中に入ると、出展しているのが企業が多く、それぞれがPRの場に使っているような印象が強い。まして、これが何を表そうとしている展示なのかが説明が不足していてわかりづらかった。どう考えても科学博物館の方が優れているなぁ。あちらは400円。勝負は明白だ。

でも、人は多い。家族連れが大勢で、よくこんな展示で満足しているよなぁと思った。ま、でも大人は休憩所で座っている人も多かったみたい。団体休憩所なんてのもあったから、営業で人をかき集めてきているのかも知らん。
子供たちは初めての場所なので目を輝かせて端から端まで見ようとする。それに付き合わされる大人も結構大変なのだ。閉館時間まで。

帰りは渋谷で夕飯。やっぱり内臓の調子が悪いのか、あまりおなかが減っていない。それでも「クラシックラガー」があるお店に入り、昭和のラガーの味を堪能した。今のビールよりもすっきりしていてうまいなぁ。

明日からいよいよ祭り。朝8時半集合なんて明古みたい(^^;。また疲れそうだなぁ。

竹橋付近の緑色水。
■2001/08/11 (土) 不況

昨日、明古が終わったあとの飲み会では、経営員OBのKさんとブー太郎さんを迎えて盛り上がった。

二次会にはいつものブラッセルズへ行った。途中からたまたま通りかかられたKさんも合流。飲み会は11時前に終了。

神保町駅までの帰り道、ブー太郎さんと久しぶりにいろいろと話す。そこで出た今回の古書月報の話題。帰ってから早速読むとすごい内容が書き込まれていた (^^;。

■2001/08/10 (金) 久々

金曜、明古。

昨日の時点で地方荷は30箱ほど。おお!久しぶりに品物の少ない金曜日。朝9時になっても品物は会場にほとんど無い。
とは言いながらも仕分けの一口がカーゴ1台分ほど搬入される。

その仕分けのほかにも、前回同様30箱分の学術書の口も要仕分け。前回のリベンジとばかり仕分け時間を短縮できますかどうか。

昼飯のとき、経営員で(研修)旅行に行こうかという話が主任から出される。2泊とかになると仕事の都合でいけなくなる人が出るだろうからと、1泊旅行にしようとなった。さて、行き先は?(^^)

開札は出品点数600点余りということもあって早い早い。ウチが出品した荷物もそれなりの値段で取引されていく。やはりこういうときには出品した方が勝ちだ。

朝のさぼうる
■2001/08/09 (木) ロイ

先日の旅行で冠水したローライ35を、飯能にあるロイ・カメラサービスさんにオーバーホールの依頼をした。

今日その見積書が届いた。それにしても見積書としてはかなり詳細にコンディションを確認して頂いている。一応見積もりに関しては無料だという事だが、これだけしっかり見てもらって「じゃいいです」と返送をお願いするなんていう人はいるのだろうか?(^^;

「ショック落下」「電池漏液」「分解品」「オーバーホール」に丸が付いている。うあ、ショック落下とはショックだなぁ(^^;。分解品というのもキツイ。結構コンディションが良いほうだと思って購入したのだが、それなりの品物だったようだ。

他にも「R-サイドへこみ」「アクセサリーシュー変形」「スプリング錆び」「ほか打痕、へこみ」とあり、これだけ見るとかなりヤレた個体という評価になるのだろう(^^;。ずいぶんと酷使してしまったようだ。

これに対する対処として「巻き上げ組み直し、ファインダー対物グラス周辺クリーニング、上カバー取り付け交換、ヘリコイドグリース交換、レバー当てプラスチック欠品補充、ピント出し、バッテリーコンタクトとcdsセル交換、メーター感度、スピード調整、レンズクリーニング(但しカビ跡くもり若干残ります) ほかオーバーホール」などをしてくださる予定だそうだ。

これで予定工賃16000円の部品代4000円というのは安い!機械にとって数年に一度は必ずしなければならないオーバーホールの代金がこれで済むとは素晴らしいと思う。ましてロイカメラさんは、元ローライジャパンの技術部長をされていた竹川氏がじきじきに修理してくださるのである。日本でローライに関してはこの工房以上の修理は望めない。

ただし修理完了は「2~3ヶ月後」。これは使用した接着剤やグリースがカメラに悪い影響を与えないかどうかのエージング(ageing)期間も含まれているそうだから、至れり尽せりと言ったところか。納得の2万円。出来上がりが楽しみだ。

今日は木曜日。一新会は第二週ということでウルトラ市だった。哲学書の一口が大量出品されていたので、張り切って入札。少しばかり落札できたので、近日中にまたアップしたいと思う。いやあ、それにしても良い本は高いよなぁ(^^;。

今日はこれから明日出品の荷物を古書会館まで運搬しに行く。結構忙しい。それはそれでイイことだけど。

■2001/08/08 (水) 仕入

朝9時過ぎに電話が鳴る。

昨日は子供たちが寝てからハリソン・フォード主演の「ホワット・ライズ・ビニーズ」を見て寝たので少し遅くに起きた。寝ぼけ眼だったが電話の音で目が醒めた。

電話を取ると買い入れのお問い合わせだった。「○○さんからご紹介されたのですが・・・」という事だったので、そのお話をされた時点でお伺いする事は決めていた(ありがとうございます)。それでも一応どんな本をお持ちなのかをお聞きした。「百科事典」ダメです・・・(^^;。しかし「ほかにも本棚1台以上あります」ということだった。場所はご近所。「私が今日しか居られないので、できれば今日の午前中に来ていただけると・・・」という事でさあ大変。電話を切った後急いで朝飯をかき込んだ。

クルマで出発したのは10時半。東京の地図は持っていなかったので、カーナビに番地をセットして連れて行ってもらうことにした。初めての道でも安心して走れるのはいいが、良く気を付けていないとこのカーナビは遠回りのルートを表示したりする(^^;。ワタシに何の恨みがあるというのか。

で、表示された番地のそばまで来た。辺りは町工場が立ち並んだ工場地帯。日本のハイテクを陰で支えている事でも有名な場所だ。工作機械がガコンガコンと音を立てて稼動する様子を聞きながら番地周辺を一回り。んーと、わからないなぁ。結局ケータイでお客様宅へ電話を入れた。「○○というパン工場の裏なんですけど」あ。わかりました。マンションの看板が進行方向と反対に付いていたからさっき一度通り過ぎてしまいました(^^;。

早速本を拝見。なかなか硬派なコレクションですね。ありがとうございました。
本を評価しながらも風に乗って隣のパン工場のいい匂いが漂ってくる。しかしたまになら良いが、毎日こうでは悪臭と感じるようにもなるのではないだろうか。
最近の不景気で工場が閉鎖され、その跡地にボコボコとでかいマンションが立ち上がる状況のようだ。

東京はどんどん自己肥大化していくのだなぁ。この流れは誰にも止められないのだろう。怖い怖い(^^;。

渋谷ハチ公前交差点
■2001/08/07 (火) 祭り

朝から仕事。

ご注文いただいた本の伝票書きと梱包・発送。そして、昨日の祭礼会合で理事として預かって来た配り物を各班長へ配布する仕事を開店前にこなす。

■2001/08/06 (月) 会合

休みが明け、今日から市場が始まった。

市場から帰ってくると甘露通信からのご注文書がいくつか山になっていたので早速荷造りをする。メールボックスを開けばメールでもご注文が。ありがとうございます。

夕食の直後、20時からは町会のお祭りのための会合に出席する。今年は町会の理事ですから。やりますよー、仕事。
で、13日に綱島街道沿いの空き地に御酒所を設置することから祭礼が始まる。ワタシはその設営から受付まで。女房は女房で婦人部から14、15日の二日間お呼びがかかっている。飲食が関係してくるだけに女の人のほうが仕事は多そうだ。

毎年の事だけにきっといつもの事と運営は大丈夫なんでしょう。計4日間の日程を約1時間ほどビールを飲みながら話して帰ってくる。ただ、ワタシは一応今年こっきりなので何も突っ込まなかったけど、専門用語が多くて何の事を話しているのか半分はつかめなかった(^^;。新参者にとっては何のために1時間いたのかよくわからない。まあ、残念ながら仕方なしといったところ。おつまみを頂いて21時過ぎに帰宅。

それでも町会の神輿は大人用のものではなく子供神輿を担いでいるということと、子供用を大人が担ぐものだから痛みが激しくなっているということ。そしてその修理には数百万ものお金がかかるためにしようと思っても出来ないことなどがわかった。
担ぎ手不足はどこも一緒のようだが、東町会は15日に夜遅くまで神輿を出しているので、わざわざ別町会から担ぎに来てくれる人もいるらしい。商店街を有する町会ならではと言えるだろう。しかし近年は夜遅く(23時頃)まで神輿を出すなんて近所迷惑だという苦情も来ているという。日ごろのストレス発散の場として年に一度のことだからいいんじゃないの?とワタシなどは思うけどなぁ。
住宅地が並ぶ他町会は20時までだというので、今年は20時を目安に神輿をたたむ方針なのだそうだ。

来週の月曜日、祭りは始まる。

■2001/08/05 (日) 亀山

亀山湖釣行。

金曜日に予約の電話を入れると8m減水と、7月22日より減っていた。雨が降らないのだから当然だろう。「でも釣れてますよ」との言葉を信じて出かけることにした。

今月から5:30出船だ。5時過ぎに到着すると駐車場はやはりガラガラ。曇っていたので予想はしていたがTシャツ一枚では涼しかった。桟橋の様子を見てみると、8mどころではなかった。10mは減水している。桟橋への階段は足場を2段も追加されていた。

(^^;。やな予感。ポイントカードがいっぱいになっていたので、ボート代2500円サービスしてもらって出船。まずはいつものように島裏から・・・と思ってボートを進めると、減水で湖底が露出しておりボートを進められなかった・・・!
10m減水とはこういう恐ろしい事態を招くのである。・・・やな予感(^^;。

そういえばボート代をサービスしてもらったときには釣果がないというジンクスがあるんだったっけ。どうも悪い方へ気分が回りだした。それでも大回りして島裏から始める。風がすでに強い。とにかく風があるとボートが流されてしまい釣りにならない。午後はもっと強くなるはずなので午前中が勝負になるかもしれない。それにしても寒いなぁ。

10時までに島裏で3回ほどバイトをもらったがフッキングミスでバラす。・・・やな予感。その後、雲が切れてきて空には青空が広がってきた。寒さは無くなったがこれで釣れる気も無くなった(^^;。

湖底が見えるほどのひどい減水はもちろん初めての経験だったが、それがどのような事態を引き起こすかも今回初めて味わった。根掛りである。とにかくすぐに根掛りする。最近大物がかかってもラインブレイクで悔しい想いをしていたワタシは、今回の釣行に備えて強力なラインをリールに巻いてきた。その効果たるや絶大で、根掛りしたら最後、ラインが絶対切れないのだ(^^;。ちょっとした枝くらいなら引きあがってしまう。まさかこういう事態になるとは思わなかった。根掛りだらけで釣り気も失せた。そういえばほとんどの岸際はシャローと化していたがバスの姿を全く見ることができない。いったいどこへ消えたのだろう。煮詰まったスープのような色の湖水を舐めてみると、意外にもしょっぱくはなかった。

釣果ゼロのまま納竿。5月以来の事だが仕方ない。こういう初めての事態にワタシは弱いのだ(^^;。

台風が来るまで釣行は無理かな。

10m減水中の亀山湖
■2001/08/04 (土) 閉塞

目録が出来てきた。

早速発送作業である。約300通が月曜日にはお客様のお手元に届けられる。来週から市場も再開するので急に忙しくなる、はず(^^;。

昨夜「ファイト・クラブ」という映画をビデオで見てしまった。母子家庭育ちの多重人格者によって引き起こされる妄想、という設定だったが、現代という物質文明を痛烈に批判していた。”死”という生きている誰もが一度は経験する逃れがたい運命から目をそむけずに生きるべきだ、と妄想によって生み出されたブラッド・ピットが叫ぶ。

限りある命を何のために使うのか。仕事のため?モノのため? テーマがヘビーで見終わったあと打ちのめされた。

そういえば、今期のドラマ「ファイティング・ガール」でも、金髪になった深田恭子が「強くなりたい」「好きなことを仕事にしちゃいけないの?」と悩んでいたなぁ。

■2001/08/03 (金) 20

金曜、でも明古なし。

今日未明、甘露書房ホームページは20万ヒットを達成した。ありがとうございます。

旅行で撮影したフィルムを5本、近所のドラッグストアへ持っていった。フジの純正、インデックスプリント付で1本580円。これは安い(^^)。

昨日帰宅してすぐに、今日仕入れがあることを聞いていた。近所だったので、前金分の荷造りをした後に出かけた。行ってみると引越し直前か?といった状況。本を含め、いろいろなモノが床一面に広げられていた。

お支払いして引き上げる。ありがとうございました。

帰ってからは町会の配り物(県のたよりと市のたより)を整理して各班長さんへ持っていった。ちゃんと読んでくれていれば良いけど、実際にはどうなんでしょうなぁ。

買ってきた本の整理。

■2001/08/02 (木) 旅行

朝食も部屋食。

大広間があるのに部屋で食べさせてくれるとは、ずいぶん丁寧だ。窓を開けると空はどんより曇り空でかなり涼しい。7:30には布団上げのおじさんが来て、8時前にはお膳に朝飯が並んだ。子供たちはめずらしく朝から美味いうまいとほとんど残さず食べた。旅行効果か。

食事を終えたらお土産をわずかばかり買って出発の準備。今日は修善寺サイクルスポーツセンターへ出かけるのだ。行って見て帰るだけになることがわかっているので、浄蓮の滝など観光スポットには一切行かないのが幼児を連れた家族旅行の際の極意である。

長男が絵葉書が欲しいと言うので、温泉街の土産物屋へクルマをまわす。朝の独鈷の湯にも人が居た。

朝の独鈷の湯と有名な仲田屋旅館

結局絵葉書がないことがわかり、仕方なくそのままCSCへ向かう。修善寺駅横の道から山を登ること15分。まだかよと思うほど人里を遠く離れた本当の山奥に巨大施設が存在した。自転車のテーマパークだ。競輪も一枚噛んでいるらしい。競輪の合宿所も併設されていた。例によって広大な駐車場にガラガラのクルマ。全施設に使えるパス券をワタシと長男の分買った。長女は無料。女房は入場券だけ。それだけでも5000円超也。

ほとんどのアトラクションに自転車が絡んでいる。ジェットコースターも自転車(風)だったし、大掛かりな施設も一応ペダルを漕ぐ動作を要求する。まず長女が乗りたいと一目散に駆けつけたメリーゴーラウンドに乗る。”漕ぐ”動作は無いが、自転車のレプリカが馬のそばに固定されていた(^^;。

”自転車”付メリーゴーラウンド。
巨大迷路もある。これは自転車と関係ないな。

その隣にはさまざまな漕ぎ方をする自転車がズラリと勢ぞろい。サイドカー付のものがあったので、長女を乗せる。長男は色々と試していた。よく観察すると、大掛かりな施設よりもこういう自転車そのものに乗る施設が人気を集めていた。他にも2km一周の自転車専用コースがあり、長男と競走しながらあっという間に2周(4km)を走り切った。やはり基本が一番面白いということだろう。

困ったのは食事。軽食くらいしか置いていないのでなかなか腹にたまらない。その割には量も少ないので家族連れには厳しい昼食状況だった。結構しっかりと運動させるのにまともな食事を用意していないのはうまくないよなぁ。気がつけば空は晴れていた。汗が噴出す。でも風は涼しかった。

3時前に帰路に着く。もう沼津の渋滞はこりごりなので伊豆スカイライン・箱根ターンパイク経由で帰ることにする。どうやらその選択は大当たりで、渋滞はゼロ。十国峠のドライブインの施設が綺麗で驚く。ここで富士山の絵葉書を見つけて長男は大喜び。その後はエンジンブレーキをうならせながらターンパイクを駆け降りた。

十国峠レストハウス。富士山は曇ってて見えず。

途中ガストで食事をして19時過ぎに帰宅。長いようでずいぶん短い旅行だった。

■2001/08/01 (水) 安近

修善寺へ1泊2日の家族旅行。安近の典型だがこれくらいが疲れなくて良い。

朝8時に新丸子駅へ向かう通勤の方々の作る波を子供たち二人を連れて逆行し、クルマを車庫まで取りに行く。で出発。長女はチャイルドシートに座って上機嫌。皆出発するまでは元気が良いが、東名に乗った頃から早くもダレ始める。海老名で休憩。お茶で乾杯。その後は沼津まで渋滞無しのノンストップ。調子がイイと話も弾む。しかし東名を降りた直後から沼津市内が大渋滞(^^;。修善寺へ繋がる有料道路までノロノロ運転。渋滞にはまりながら沿線を色々観察したが、いわゆるロードサイドビジネス系の店ばかりでここが沼津だ、という特徴を売りにした店がほとんどない。どこでも入れるファミレスにファストフード店。金太郎飴化は書店ばかりの問題ではないことを実感する。

有料道路は快適そのものだった。渋滞にはまるくらいなら300円くらいの料金は払います。それこそ沼津市内の渋滞がウソのように見る見るうちに修善寺が近づいてきた。

まず修善寺観光協会で割引券をチェックすることにした。でかい駐車場にガラガラのクルマ。駐車して降りると昼前の炎天下(^^;。暑いなぁ、東京とぜんぜん変わらない。街の静けさに似合わない規模の大きな公民館の機能を兼ねていた。1200人収容できるらしい。トイレを借りたが他に人は居ず、伽藍としていた。
これから行く「虹の郷」は修善寺の温泉街を抜けた山の上にある。置いてあったパンフレットを見ると宿泊者割引があるそうだ。温泉街を右折して5分余り坂道を上がると到着。広大な駐車場にガラガラのクルマ。プチハウステンボスといった風情。宿泊者割引で宿泊クーポン券を見せると入場料が500円安くなった。全員で1200円。得した。
イギリスとカナダの町並みを再現して、そこをSLが園内交通として走っていた。

イギリス村の雰囲気。

到着が12時過ぎだったので、入場してすぐのイギリス村にて食事。ん、まあそれなりの値段を取られました(^^;。

食事の後イギリス村にあるトイミュージアムという施設に入ると、古いおもちゃがズラズラっと展示されていた。テディベアのコレクションはなかなかのもの。
見終わってから、カナダ村へ繋がるSLに乗り込む。といっても遊園地で乗る汽車と大して変わらない。15分に一本の間隔で園内をゆっくり廻りながら1.4kmを7分かけて走る。片道400円。

ディーゼル機関車 ジョン・サウスランド2世号

カナダ村へ着くと子供遊園地みたいな場所があり、そこの巨大滑り台でひとしきり遊ぶ。ウレタンで出来たシートに乗ってローラーの上を転がっていく仕組み。暑いのに子供たちは汗をダラダラかきながら真剣だ。そのあと万華鏡ミュージアムという施設に入る。おお!これは本格的だ。日本だとただのおもちゃとして扱われがちの万華鏡も、西洋ではカレイドスコープとして立派な芸術品だ。ここは必見。中でカラカラと音をたてて回る日本と変わらないものにオイルを詰めるだけで動きがとても優雅になるのだ。シャボンの泡を使ったものに心を奪われた。シャボンの皮膜が作り出す七色の世界。これを考え出した人は天才だ。

あまりに暑かったのでカキ氷を食べた。そのあと暑い場所をうろうろするのもイヤだから、園内にあるジャブジャブ池で子供たちを遊ばせていた。日陰にかくれてやれやれと腰を降ろすとカメラバックからボロリと滑り落ちるものあり。うあっ!やべえ、ローライじゃないか。時すでに遅し。ケースに入れておいたものの、ローライ35を池に落としてしまったのだ。(T_T)マズイ。シャッターは大丈夫そうだったが、ファインダーに水が入った。見る見るうちに曇っていく。ロイカメラさんにオーバーホール行き決定である。くぅー。

宿の対山荘は温泉街の中心地にある。遠くで雷が鳴り出し、雲行きが怪しくなってきたので地図を頼りにクルマで向かう。わかりにくい。路地で道が狭い。やっと辿り着いてクルマをわかりにくかった駐車場へ停める。チェックインしたあとすぐに風呂へ。昭和29年築のなかなかの宿。カラカラとガラス障子を開けるとすぐに部屋の襖戸。廊下のスリッパ音がペタペタと部屋へ直接聞こえた。フロント(というか帳場)前の廊下を抜けていったところに露天風呂と大浴場がある。服を脱いで長男と露天風呂に入る。狭かった(^^;。
食事はどれもうまい。部屋食というのも好印象。ビールで乾杯中瓶700円也。食後に修善寺境内で盆踊りが開かれると仲居さんから聞き、出かける。女房は早速この間覚えた踊りを披露。子供たちもはしゃいでいた。

修善寺境内の盆踊り

帰りに土産物屋を冷やかそうと思ったら一軒も開いていない。寂れた温泉街?という雰囲気。コンビニは一軒も無し。宿の灯りも消えがちでちょっとさびしげ。川の中にある伊豆最古の温泉といわれる独鈷の湯に人影。丸見えだ。おやじの裸を見ても仕方ない(^^;。

宿に戻ってから玄関先で花火。こんな子供花火でも皆大喜びだ。よっぽど普段楽しみがないのかと思ってしまう。これも旅行だから味わえる特別なものと思ってくれていればそれでいいか。

夏の定番

夜は眠くてすぐに寝た。が、2時過ぎに目が醒めてしまった。冷房が効きすぎていたのだ(^^;。ついでにつけてみた日テレで松田優作のハードボイルド映画がやっていたのを見た。昔の映画って面白いなぁ。

2001年08月31日 | Posted in 甘露日記 | | Comments Closed 

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