甘露日記2001年12月

■2001/12/31 (月) 年賀状

今頃になって年賀状を書いている(^^;。

毎年年賀状を書くのが遅くなるのを明古のクリスマス市で忙しいことを理由にしてきたのだが、今年は25日には完全に開放されているのだし、イイワケにはならない(^^;。どうしてこう年賀状を書くのが後回しになってしまうのだろう。

高校生の頃までは年賀状を書くのが楽しみだった。いろいろ図案を凝ったりしてプリントごっこを駆使した。そんなたいそうな内容ではなかったけど、あれこれと工夫して作るのが楽しかったのだろう。そういえばパソコンが普及してからはプリントごっこのCMも見なくなったなぁ。

昨日大掃除が終わってから書いても良かったのだけど、終わった終わったと発泡酒をぷしゅっと開けてしまったのが運の尽き(^^;。うまいうまいと飲み続けてたらもう年賀状を書こうなんていう気持ちは忘れてしまい、このあいだ録画しておいたキムタクの忠臣蔵を見入ってしまった(セリフに話言葉が混じりすぎてちょっと違和感があったな・・・)。

で、今日は朝から慌てて書き始めた。女房が「これアナタの分よ」と去年頂いた年賀状を整理して出しておいてくれたので、それを見て書く事にした。
年賀状を書くのは不得意になってしまったが、頂いた年賀状を見るのは好きだ。高校の頃の同級、大学での友人と先輩。当たり前のことだけど、皆さんワタシと同じように歳を取る。同年代の方々は結婚して子供が出来ましたと写真入りである。実はこのテの年賀状が大好きなのだ。

そうか、○○さんチのお子さんはもう幼稚園かぁ。とワタシが年賀状を書きながらつぶやくと「そうそう、この「子供が大きくなって家がコナゴナになりそうです」って書いてあるのがおっかしいよねー。」と女房。「ドレドレ、見せてー!」と走りこんでくるウチの子供たち二人。満面の笑顔の男の子二人の写真にナイスな手書きの一言コメント。イイね(^^)。
澄ました顔をして写っていても、楽しそうな満面の笑顔で写っていても、こうして写真入年賀状を受け取るとその家の幸せをお裾分け頂けたような気持ちになれる。

ひたっている場合ではなかった(^^;。早く書いて投函してこなければ・・・。

暗いニュース一色に塗られた一年も今日限り。来年こそは、という気持ちを皆さんが一斉に持てればきっと来年は明るい年になるでしょう。
今年も大変お世話になりました。来年もどうかよろしくお願いいたします。

■2001/12/30 (日) 大掃除

今年も大掃除がやってきた。

毎年恒例になった床Pタイルのワックスがけを朝から始めた。昨日までに床に散乱していた本は全て整理済みだ(^^)。
オヤジはこれまた恒例の正月用刺身を買いにクルマでちょっと離れた魚屋さんへ母親と一緒に出掛けた。昼すぎまではワタシひとりだ。これ幸いと先日たまたま掃除していて見つけた昔のCDをかけながら床を磨く。何を聞いたのかって?オフコースですよ。古すぎるとは思うけど、結局我々が帰るべき原点って歌謡曲を除いたらこのあたりになるんじゃないかなぁ。

聞いていると歌詞を結構覚えているものだ。口ずさんだりしていると歌が心に引っかかってくる。「生まれ来る子供たちのために」なんて曲は、盛んに聞いていた中・高生だったワタシにとって聞いてても意味なんてわからなかった。それが実際に子供を持った現在聞いてみると「君よ、愛する人を守りたまえ」なんて歌詞を小田和正氏のハイトーン・ヴォイスで歌い上げられると、ジンと心に突き刺さってしまうのだ。
この歌の中には「あの頃へ帰りたい」という歌詞もある。我々が帰りたがっている70年代を実際に形作った人たちもまた、彼らの原点へと帰りたがっている。
70年代にはまだ歌い上げられるべき愛があった。今こういう歌を歌える人はどこを探してもいない。いつの時代も「昔は良かった」ということなのだろうか。

ひとまず通路を先にワックスがけ終わった時点で昼飯。上でも女房が掃除しながらチェッカーズを聞いていた(^^;。
20代までに聞いていた曲は一生聞き続けることの出来る音楽になるという。最近もいい曲はあるけどCDを買うまでいかないなぁ。聞きたいな、とは思ってもレンタルで済んでしまう。繰り返し聞くのは意外に昔買ったレコードだったりCDだったり。
いざとなったら自分の原点にまで戻ればなんとかなる。そう思えなければ、きっと怖くて一歩だって前に進めないのだろう。

午後になってオヤジがやってきた。去年と違い、もう通路はワックスがけしてあったのですぐに中へ入ってこれた。昨日からの続きで拭き掃除。

外のガラスを拭いていたら3人さんから次々「今日はお休みですか?」と声を掛けられた。(^^;スイマセン、今年は終わってしまいました。

作業は15時過ぎには終了。甘露書房の今年の仕事は一巻の終わりとなった。

■2001/12/29 (土) 今日でおしまい

甘露書房の今年の店舗営業は今日まで。

オヤジは店の掃除のため、あちこちを拭きまくっている。ワタシは最後に残った未整理の本をやりながら店番。昨日が仕事納めなので結構お店にいらっしゃってくれるお客様が多いため。

持ち込みでの仕入れも数件。タテバの人がダンボール一箱お持込。最近はあまり出物がないらしく、持ってきてもらってもどうしようもないという事が多いのだけど、今日は「○○さんからここならいいんじゃないか、と紹介してもらったのでね」ということなので見てみた。うーん、でもやはり難しいなぁ(^^;。

タテバからはいくつかの伝説が生まれている。幻の本とまで評される荷風の「ふらんす物語」が発掘されたり、透谷の「楚囚の詩」が出てきたりと、そのレベルがハンパじゃないのだ。最近は世代交代が進み、回収した廃品の中にそういう名品が入っていることも、特に都市部ではなくなったようだ。出るのは使われてボロボロになった辞書や、カバーがヤケてしまった文庫など。数がいくらあってもどうしようもない本というのはこういう物の事を言う。
以前は回収業の人に出すときには、ちょっとカネになるものをおヒネリ程度混ぜて出すのが暗黙の了解だったようだが、今やどう見てもゴミしか出さないというのだからちょっと情けないよね(^^;。

今日の人は研究熱心で「お宅ではどんな本がイイの?」と聞かれた。本は今売れませんよ。と答えておいた(^^;。方便として言ってみたいセリフだが、ほとんど現実になっているところがマズイ。今日の本も期待できないのだけど、年末だし○○○円で買っておいた。

帰ってからオヤジが「そういえばオレのオヤジも彼らから売れもしない本をよく買ってたな。」と言う。あんまり売れそうもないと思ったのだろう。
そりゃあ爺ちゃんはなんてったってアナーキストなんだから、同志たる労働者諸君の味方でなくてどーすんの。とワタシが言う。
「彼らから買ってちゃんともうかった事がないから、オレはあんまり好きじゃないんだよね。」とオヤジ。なんだ、でもやっぱり買ってんじゃん(^^;。

今日でおしまいだということを知ってか知らずか、ご注文の電話数件。でももう金融機関が閉まっているから手続きしたくても出来ないのだよなぁ。ネットバンク決済にしても郵便局が休みでは発送できないし。

「発送は来年の4日となります」と伝えると、電話の向こう側で苦笑いが見えた。

■2001/12/28 (金) いよいよ

年内営業は明日まで。

今日と明日は30日の床磨きに向けての片付けに当てる。
と言っても、未整理の本を値付けしたり愛書会均一として仕上げるだけなのだけど(^^;。
全く余裕で終わる予定が、昨日の仕入れでむしろ未整理本が増えてしまっている。大変だ。なかなか進まない作業。しかしあせってはいけない。着実に片付けを進めていく。

昨日の時点で出た捨てる本を、紐で縛って今日の朝出した。
川崎市でも東京都並に事業系ゴミは有料化へ向けて準備を進めている。段階的に進めていく意味で、現在は有料袋を購入してそこに入れて捨てるように指導された。45リットルもの大きな袋だから本を入れたらスゴイ重い(^^;。崩れないように紐でキツク十字に縛って出すと、ブロック塀のようにゴミ置き場に立ち上がった。
東京都が有料化したときにも思ったけど、ゴミ袋をわざわざ用意するという事は、ゴミ袋分だけゴミが増える事になる。有料化したいなら堂々とそう言えばイイのに、わざわざゴミを増やすようにするなんてバカらしくない?
巨大なウチの本のゴミを見て思ったこと。

そう、いまや本は捨てる時代。そんなこと言われなくてもご存知の人は多いはず。実は何を隠そう出版社と古本屋が一番本を捨てているのだ。もちろん、そこで捨てていい本と捨ててはいけない本をしっかり区別するのだけれど。
その価値判断がBオフの台頭によって今は混乱している。新しくなければ駄目、という単純な価値判断しかもたないBオフにとっては、たとえば江戸時代の貴重な版本などは古いだけのゴミとなる。
貴重な本がゴミとならないために古本屋がいる。今まではそういい切れたのだが、世間の認識がBオフ=古本屋となりつつある現在はそう言い切れなくなってしまった。
Bオフは古本屋ではなくリサイクル屋である。それはTVで流されているCMを見れば一目瞭然。カバー剥がしや値段タグを付ける作業の早さを自慢する古書店などどこにもない。

そんな事態に直面し、既存の古書業界が打つ手なくただ立ち尽くしている。もともと古本屋にはそんな企業家に対抗する資本などないのだ。

結局、古本屋の手を通らなかった本はいいものもゴミとなってしまう可能性が増してしまった。一番の被害者は良書となるのかもしれない。

■2001/12/27 (木) 仕入れ

市場は昨日で年内は終了。

やれやれ、あとは残っている本を片付けるだけでいいのかな?と思っていたら仕入れが入ってしまった(^^;。市場がないから買った本たちはここで年を越すことになる。

場所はご近所だし、おなじみのお客様だ。ナディアの後ろ座席をフラットにして軽く一杯ほど。それでも店に積み上げると結構な量になった。うちで買っていただいた本も当然含まれていたけど、他のお店のものもかなりある。単純にすごい読書量だな、と感心する。この方はずっと前から定期的にこうして溜まった本をウチに売ってくださっている。
本の9割は文学書。小説もあれば評論もある。ただし、この方は初版とかそういう付加価値的な要素はまったく考慮されないので、お値段的に高い本はほとんどない。
そういう本が積み上がっている光景というのは市場では日常のことだが、それは市場で見るから”ならない本”と打ち捨てられるわけで、実際の宅買いで水揚げされた本をならないとは言えない。このあたりが難しいところだ。

とはいえ、値段的にはならないにせよ、この本を全て読んでいるとしたらそれはそれですごい仕事量だと思う。人間の頭脳はこれだけ沢山の本をうまく記憶として畳み込み、自分の知識として、生きる糧として、時には人格として咀嚼する能力があるのだ。
この本の山を見ると、人間の脳は知識に対してとても貪欲なんだな、としみじみ感想が湧く。なんだか励みになった。

本の整理をしていたら、若い茶髪の女の子が二人、入ってくるなり棚を見ないで一目散に番台へ向かってくる。こういう場合大抵は買取りである。気が重い(^^;。「あのう、本を売りたいんですけど。」イヤな予感ほど当たる。それでは本を見せてください。と促すと、しゃれたバックから文庫が4冊出て来た(^^;。やはりネ。乱暴に扱われたらしく、発行はそれほど古くないのにカバーが曲がっていたり、逆さにカバーが掛けられたり。
ウチでは○○○円です。と値段を言うと「全部でですか?」と聞き返された。苦笑いしながら、どうぞお持ち帰り下さい。と言うと「いいです、それで。どうせ持って帰っても捨てるだけだし。」ウチはゴミ屋か?

(^^;ぜんぜん欲しくない本なのに変な義務感で無理矢理金額を搾り出しているのだが、そんな想いなど彼女たちには通じないらしい。こういう状況ってお互い不幸だよな(^^;。

年末の買い入れ風景二題。

■2001/12/26 (水) 年末

クリスマスも終わり、いよいよ年末だ。

ウチの店もそろそろ年末体制へ。といっても何が変わるわけでもないが、30日に床磨き+ワックスがけ作業があるため、買って運んできたままになっている品物をとりあえず何とかしなければならなくなるわけ。

圧倒的に売れていくよりも入ってくる本の方が多いというこのご時世。「入ってくるだけいいじゃないか」なんていうレベルではありませんので念のため(^^;。ウチのように売る為にしか買っていないにもかかわらずこれだけ本が溜まっていくということは、売るつもりもなくとりあえず買っている、という”生き方として古本屋を選択した人”のお店には、どれだけ本が溜まっているか想像もつかない。

やはり趣味と商売が近い人はこういう不況にも強いだろうな、と勝手に想像したりして。

積み上がっている本のうち、店に出せるのは実は僅かしかない。大体値付けが1000円以下の本は店に出しておいても売れていかない事を経験として知っているため、最初から古書展の均一として分類することにしている。余計に経費を掛けて古書展に出す以上は売り切る覚悟で値付けするように心がけているので、自然に付け値は安くなる。毎回ウチが愛書会展の均一棚に並べる本は”売り切れてもおかしくないくらい”非常に安い値付けをしているのですっ。(どうか買ってくださいな(^^;)
こうして毎回大量の均一本が生まれることになる。

大学生風のお二人が店に入ってくる。なんだかバイトのお話を延々話しておられる。棚なんて見ているのか見ていないのか。時折棚の本を手に取られるのだけど、表紙さえ見ることもなくまた棚に戻された。その間も間断なくバイトの時給が高いとか安いとか話しておられる。たまたま店内に人が満ちていたのを察されたのか、それともここが本屋だったことにようやく気が付かれたのか、仲良く二人揃って出て行かれた。
別に本屋の中でしなくてもいいのではないだろうか。バイトの話なんて。

ご時世だなぁ、と思う。

■2001/12/25 (火) 片付け&クリスマス会

金曜日に明古クリスマス市が無事終了した。

今日はその後片付けである。金曜日は予想を上回る数の品物が集まった為、地方荷を送り出すのが精一杯だった。時間切れで片付けにまで手が回らなかったので、とりあえず今日の古典会さんが支障なく交換会を開ける所まで片付けた時点で作業を凍結していたのだ。

朝8時半集合。まず3階会場の片付けに入る。沢山出した黒の折台を地下へ下ろし、もとあった茶の折台を残置品置き場に並べ、一時控え室に避難させていた残置品を移す。それが終わってから2階会場に下ろしていた残置品を3階に戻し、2階を片付ける。そのあと地方荷の明細書き作業。これが予想外に早く終わり、頼んでおいた昼飯の天セイロを待つ間休憩となる。食べ終わり次第解散となった。現在のところ事故は一件。品ぶれを出す。

今日は来年1月25日の愛書会原稿締切日でもある。締め切りの時間までまだ少し間があった。Tさん、Kさん、Rくんとワタシの4人で元古書会館の場所そばの喫茶店まで行き、談笑。
14時になったので中企センターに戻る。ワタシは今回愛書会の当番なので受付に集まった原稿を順番どおりに並べて印刷屋さんに発送手続きをとった。若干名締め切りに間に合わず(^^;。

終わったあと、戻ってきたRくんとこれからの明古経営員のことなどあれこれ話す。

夜19時からHIDEさんの結婚式ビデオを見る会が予定されていた。今日を最後に経営員を引退するKくんに何か贈ろうと、亀戸のTイザらスまでクルマで向かう。靖国通りは渋滞のピークだった。終始ノロノロのまま裏道を走るもあまり効果はない感じ。到着して入ってみるとすごい広い。Tイザらスは初めての3人。すっかり面食らう。26000円あまり買って戻る。買いすぎ?(^^;

HIDEさん宅。TOMOMIさんが作った手料理がズラリとテーブルに並んでいた。部屋もだいぶ模様替えしたんですねぇ。暖かい照明がいい感じ。そこに次々と13人も入って大騒ぎ。式場が撮影したDVD(!)を皆で見ながらオードブル、パスタからビザ、ケーキまでご馳走になる。お土産ということで皆がワインや日本酒を持ち込んだものだから、キッチンカウンターには酒がズラリ(^^)。すばらしい。

楽しくビデオを見ているうちに時間は過ぎた。日付が変わった頃にRくんのクルマで巣鴨まで送ってもらい、山の手、東横と乗り継いで終電帰宅。

明古の年の暮れ。

イーかんじのインテリア。
■2001/12/24 (月) 今年一年

今年もあと1週間。

さて、もう今年一年を振り返らなければならない時期になってしまった。
世の中の状況が激変した1年だったが、うちも9月11日以降は店での売り上げが激減した。その前に「日本の古本屋」がリニューアルしてメールでのご注文が飛躍的に増えていたから良かったものの、それがなければ後半はひどかっただろう。
以前は市会を利用できるから組合に加入するというのが最大の動機だったが、これからは「日本の古本屋検索システム」にデータを登録できるから組合に加盟する、に変わっていくのではないだろうか。
これだけの優れたシステムを非常に安価に提供してくれている東京組合の懐の深さに対し、改めて感謝したいと思う。

東京古書会館が建て直しに入った。約2年間の建設期間の後、元の場所に地下1階、地上8階建ての古書会館が現出する。その間は中小企業センターで市会運営をしているのだが、ワンフロアが広いためか利用されている方からは概ね好評のようだ。我々経営員も広さがあるだけでもかなり使いやすいと思っている。クリスマス大市も休館日という制約が出たものの、やはり広いフロアは作業全体を楽にしたと思う。次は2月に中央市会大市がある。

このホームページもいつの間にか30万ヒットに届こうとしている。始めた当初はたった1ページしかない貧相なものだった。それでも製作業者の手を一切借りずにひとりで作りこんできた。荒木さんのページやローライ35のページなどはGoogle検索でいつも上位をキープ出来ているようだ。これはひとえに来場していただけた方のおかげと感謝感謝です。ありがとうございます。

手許に蓄積された本、そして趣味で撮り溜めた写真、いつの間にか溜まってしまったカメラとレンズ。数が集まればそれが自然に言葉を生んでいく。ワタシの場合は少なくともそうだった。
このホームページの製作コンセプトはまさしくワタシ”甘露そのもの”の表出なのだね、きっと(^^;。

結局は人の真似をしたって続かない。今あれが売れてるこれが売れてるといったって、後追いしたらきっと売れない。隣の芝はいつだって青い。

最後に頼れるのは自分の感覚だけ。最後に信じれるのも自分の感覚だけ。そう思わなきゃ、そう思えなきゃ1日だって生きていけない。これからはきっとそういう時代なのだ。

■2001/12/23 (日) だらだら2

なんだかだらだらが続いている。

今日起きたのが10時少し前(^^;。こんなに寝ていいのかいな。

いい天気。寒いのかと思ったらそんなに寒くない。風が吹いてないからだろう。こんないい天気に寝坊してしまい、出掛けるタイミングを完全にはずしてしまった。まあ、いいさ。眠たかったんだからしょうがない。

11時頃に朝パンを食べるが、もう昼じゃ(^^;。12時過ぎにどこかへ行こうとなっても頭が働かず。息子が「多摩川で凧揚げがしたい」と言い出したのでそれに従うことにした。ここでは風が吹いていなくても河原ではすごいんじゃないかと重装備。今日が初出動のM6TTLにはM3用ズミクロン35mmをつけた。上着を着て肩から下げるとつるつると落ちそうになるので、ストラップを少し伸ばして左肩から斜に下げる。若者っぽくてカッコいいと思ったら「おとうさん、カメラが逆になってるよ」と息子に指摘されてしまった(^^;。

果たして多摩川へ行ってみると、穏やかだった。ほぼ無風状態。こんな日は年に何度もないんじゃないかな。息子は新しく作ったという黄色いビニール凧を引っ張って走っていく。娘は兄貴の真似をして息子が去年作った緑色の凧を一生懸命走って揚げようとする。広い河原の向こう側まで走っていきそうな勢い。時折揚がっているのかどうか振り向きながら走り続ける様子をライカで追った。
子供はイイねぇ。好きなことならクタクタになるまで続けようとするから。

丸子橋パノラマ

全速力で走った後はお腹が減ったと騒ぎ出すのもいつものことだ。途中買ってきたパンを食べる為、川っ淵のコンクリートで護岸されている所に座る。穏やかな川の流れ。今日はもう釣れる時間じゃないというのにフライマンが2人釣り糸を垂れていた。多摩川の釣りはある意味で見切ってしまったので最近は来ないけど、このあいだの台風で底の地形が変わってしまったから、パターンが改まってまた楽しめるかもしれない。食べ終わって川の様子を見ていてそう思った。我々がそこに居るあいだ、2人のフライマンにアタリはなかった。

今日は近所のお知り合いからつきたての餅とクリスマスのケーキをいただけることになっていて、子供たちは楽しみにしていた。おお、なんと宅配便で送られてきたよ。でっかいイチゴが7個も乗った豪華なケーキだった。子供たちは取り合い。よっぽど好きなんだねぇ。

ケーキは特別な日に食べるもの。だからうまいんだよ。

■2001/12/22 (土) だらだら

朝は不思議にも起きられた。

昨日の中華会場では異様な盛り上がりがあった。今年一杯で経営員を辞めるKくんの送別会を兼ねていたので、彼に送る言葉を一人一人話しているうちにビールの一気大会になってしまったのだ(^^;。ワタシより多少でも若い彼らならまだしも、主任のOさんはむしろ進んで飲み続ける。すげえなぁ。直後トイレに駆け込んだワタシってやっぱりこういうお酒の飲み方に慣れていないのだろうな(^^;。

最後に去年から恒例になっている勝ち抜き賞金争奪ジャンケンが始まる。お手伝いをしていただいた経営員の方々のうち、3人さんだけゲストとしてご一緒させていただいたのだが、やはりこの催しには「コワイ」と感想をもらされていた(^^;。確かにネ。

二次会は駿河台下まで戻ってカラオケへ。ほんの40分と短かったけど、ビール一気で眠りこける者、むしろハイのまま突っ走る人など様々。つくづくお酒って飲む人そのままが出るよーだと思った次第(^^;。

さてさて、今日はちゃんと起きれたものの眠くて仕方がない。2日分も日記をあと書きし、火曜日が締め切りの愛書会用住所ラベルを印刷。あとは前金を入れていただいた方への本の発送作業。結局今日やった仕事はこれだけかもしれない(^^;。

あとは昨日から急に調子が悪くなった居間の蛍光灯を買いに小杉まで往復した。40Wと32W蛍光灯の組み合わせで明るい年末年始が過ごせることになった。

にしても眠いまま一日が過ぎていってしまったなぁ(^^;。

■2001/12/21 (金) 明古クリスマス大市当日

終電帰宅で疲れている筈なのに6時少し過ぎに自然と目が醒めた。朝8時半に中企センター着。いよいよだ。

朝から2階にて荷受け作業全開。皆さん沢山持ち込まれるなぁ。1点1万円とご存知無いのでは?という荷物も混じっていたけど、今日が今年最後の明古だからとりあえず出しとけっ!てことなのかもね(^^;。

おかげさまで昨日急遽増設した2階会場にまで予定以上の品物が並んだ。会場を閉めるときに使う蛇腹式シャッターにクリップで自在を固定し、そこから幅物を吊るした。無味乾燥だった壁面が幅物に彩られ、一気に会場の雰囲気が盛り上がってきた。荷受け作業は12時を過ぎても止まらず、2階と3階の会場は優品が腹一杯満たされた。いよいよ開場だ。

今日一日の最後に地方荷を仮梱包のまま運送屋さんに引き渡すという仕事がある。ただし借りている会場だから20時というタイムリミットもある。その兼ね合いを考え、今年はお手伝いを多めに頼んだ。中央市会さんから6人。資料会さんから5人。そして明古OBさんから1人。計12人の精鋭の方々。皆さん明古よりも嵩の多い仕事を始終こなしていらっしゃる方たちだからスタミナ的には我々よりもタフな筈だ。

13時半から開札開始。最初は大人数だから作業は入札している人を追い立てるように進んでいく。要所要所で小さな休憩を入れながら2階会場を開け切ったのが14時少し過ぎ。しばらく間をおいて3階を開け始め、前半の特陳開札が15時すぎ。そして予定より30分ほど遅れていよいよ後半開札が開始された。さすがにボーも多数出る。一口物もかなり出たのだが、会員さんたちのお手伝いも加わり、開札のペースは落ちなかった。最終開札は17時過ぎ。

それからヌキが出来るまでしばらく休憩。ヌキが出来たものから順に地方荷検品作業。開札が進んでいく裏で、荷撒き専門チームが別働で動き、2階会場に並べられたダンボール箱にほとんど荷分けしておいたのだ。お手伝いの会員さんの働きもあり、地方荷検品はスムーズに進む。その間に経営員のお手伝いの方に3階で都内荷の片付けをお願いしておいた。2フロアを使っての効率的な時間の使い方。

3階の片付け作業は19時少し前に終了。2階の地方荷作業は運送屋さんに引き渡すとき少し時間がかかったものの、20時半には全て終わった。やれやれ。

打ち上げは近くの中華。ビール一気大会(^^;。ヘロヘロのままカラオケ。

また終電まで。

■2001/12/20 (木) 明古クリスマス大市初日

中企センターに10時着。

主任はすでに到着し、一新会事業部長さんと話をしていた。今日は洋書会も特選市を開催するので3階はいつにも増して品物が多い日になっていた。

一新会さんが心配してくれていたのはカーゴをどうするかと言う点。旧古書会館時代は一新会単独開催だったので、開催後に明古の経営員を導入して会場整理をすぐに始められたのだが、今年は洋書会があったのだった。

11時半集合。食事後、作業開始。今日は2階会場を押さえてそこで地方荷開梱と都内荷荷受けをしてしまおうという進め方だ。エレベーター前などに案内を貼り付ける。地下から中企の作業台を20台運び、3階に届いていた90箱の地方荷を2階に集める。13時を少し過ぎたあたりから作業を開始できた。

そうこうしているうちに次々品物が持ちこまれる。一新会さんが気を使って回してくれたカーゴに開梱した荷物が満たされていく。お。目録に某名家自筆物コレクションとして掲載されていた品物が一挙に到着した。短冊だけで約300。これをタトウから出して専用のPPP袋に詰めて入札封筒を表に貼り付ける。結構な作業量だ。

15時頃には一新会の開札が終わったと連絡が入る。すぐに品物整理作業に入られたとの事。それから洋書会が開札開始だ。その間にも持ち込み荷は続いた。
一新会さんは高速スピードで片付けを終了していただいた。それを機に会場を整え、後半に荷撒き出来る様になった時点で品物を半分3階会場へ上げた。16時集合の会員さんたちに荷撒きを頼み、経営員は洋書会が終わった後の会場をこれまた高速で整理する。この様子を見て洋書会のYさんは明古経営員主任に「やっぱり明古はスゴイなぁ」と感想を漏らされたとやら。

展示台が全く足りない。中企の台を22台追加し、品物を前半部分にも撒き始める。あらかた並べ終わった時点で「これじゃあとても並べきれなくなるよ」と事業部長。今日の時点ですでに品物は重なり気味でとても見づらいのだ。急遽2階会場の半分を展示会場として使用することに決定し、嵩物や本口、洋装本を中心にさっき上げた荷物を2階に下ろし始める。作業自体は特に滞る事も無くスムーズに進行したが、3階のワンフロアで品物は収まるはず、との予想はハズれた。

19時半に作業終了。続きは明日ということになった。近くのだん家で食事をご馳走になり、その後ジョナる。終電帰宅でヘロヘロ。

深夜帰宅を出迎えてくれたお手製クリスマスツリー
■2001/12/19 (水) LEICA M6TTL JAPAN

このあいだL社で見たライカM6の姿が目に焼きついてしまった。

露出計だけとはいえ、電池入りライカが欲しい、なんて、以前の”クラカメ好き時代”には考えられなかった事だ。そんな気分が薄れてきたのは、実際にAF機を使ってみて納得できる上がりを作ってくれたからだと思う。

デジカメやAFコンパクトのビックミニも使うし、目測距離あわせのローライ35も使う。機械式への変なこだわりが磨り減り、カメラの特長ごとに少しづつ気分を変えながら撮影することが単純に楽しくなったのかもしれない。

妙にイイワケめいた事を書いているが、今日ライカM6TTLのJAPANモデルを買ってしまったのだ(^^;。

ただし、ただ買ったわけではない。もちろん資金的に厳しいこともあったが、何か買う時には何かを下取りに出すことに決めていたのだ。今回思い切って売ったのは、買う時あれだけ大騒ぎしたコンタックスAriaのセットだった(^^;。買って間もないもので、ウソでも使いこなせたなんて言えないのだけど、逆にそれだから思い切れたような気がする。ワタシの場合、道具に関しては長く使ってしまうとそれが愛着になってしまい、滅多な事では処分出来ないようになるのだ。

今日ライカを買う。朝起きた時にそう決めた。それから下取りに出すカメラの準備を急いだ。元箱や取説。付属品にまで細かくチェックを入れる。どうやら亡くした物はない。昼飯を食べて市場へ行くついでに秋葉原のMカメラへ行く事にした。

竹橋から秋葉原まで歩いて20分。査定してもらうと「多少使用感がありますね」と言われたものの、全部で○○万円になった。それに下取り交換で10%増額してもらい、差額を入れてそこでライカM6TTLブラック(0.72)を購入した。

ライカを新品で買ったことなんかない。それだけに妙な緊張感が背中を走る。ライカを元箱のままデイパックに入れて背負うと、背中が気になって仕方ない。末広町から銀座線に乗り、新橋で座席に座ると膝の上で抱えた。道具にこんな扱いをして、ちゃんと写真撮る為に使えるのだろうか?(^^;

帰ってから封を開ける。真新しいライカが現れた。最初に付けたレンズはエルマー50mmのMマウント。カチッと音がし、ファインダーには50mmのフレームが表示されている。以前は出た距離計のテカリは無くなっていた。

増えた機材を処分して新しいカメラを迎える。なかなか良い。

■2001/12/18 (火) THE JAPANESE BOX

「THE JAPANESE BOX」という形で日本の写真集が6冊復刻された。

出版はつい最近。ただし、版元は海外である。
黒い木箱の中に『プロヴォーク」全3巻(1968-69)、中平卓馬『来たるべき言葉のために』(1970)、荒木経惟『センチメンタルな旅』(1971)、森山大道『写真よさようなら』(1972)の復刻版が収納されており、それで「BOX」。全世界で1500部が発行されたという。
限定番号入り。ちなみにワタシが所有しているのは95X番目。

箱を開け「THE JAPANESE BOX」と印刷された赤い平ゴムをはずし、黒い羅紗紙に包まれている本を取り出す。
やはり最初は「センチメンタルな旅」を手に取った。どこにも復刻の文字はない。表紙をあけると最初の頁に物憂げな陽子さんがいた。久しぶりの再会。でも少し感触が違う。オリジナルのあのかすれたような絶妙のタッチがそのまま再現されたわけではなかった。残念というよりは少しホッとした。それは古本屋というもうひとりの自分が出したタメ息かもしれなかった。

どれにも”re-print”とは印刷されていない。現在はピンピンの状態だから復刻とわかっても、あと何年かしたらわからなくなるおそれがある。”出た”という情報を知っていればきっと間違えないが、復刻の事実を知らずにオリジナルとして扱う人が出てしまわないか少し心配だ。まあ、たぶん大丈夫だけど。

今回この仕事を成し遂げた人は海外の写真集コレクターで有名な人物。数年前から今回の復刻のためにこの6冊ある写真集の新品同様本を熱心に収集していたらしい。そう考えると思い当たることがある。時期を同じくしてこのあたりの写真集の相場が極端に上昇したのだ。あれよあれよのうちに一大決心を要する金額にまで値が釣り上がってしまった。今回こういう形で復刻されたことを市場がどう判断するかは興味深いことだ。

復刻されたらオリジナルの値段が下がる、というのは少なくともこの分野には当てはまらない。むしろ復刻版で人気の裾野を広げ「いつかはオリジナルを」という熱心なファンを新たに掘り起こす可能性の方が高い。

プロヴォークが世に出たのは33年前。丁度ワタシの年齢とシンクロしている。当時のムーヴメントが尖鋭化させた時代の切り口。その切れ目を見ながら我々の世代は育ってきた。

この流れはまだしばらく枯れることはないのだろう。

■2001/12/17 (月) 今年最後の中央市会

金曜日の日記を書いてからずっと鬱だ。昨日カニを食べても回復せず。

そんな気持ちで居てはイカンという勢いで仕事が入ってくる。今日は朝10時過ぎから5万円も買っていただいたお客様有。ありがとうございます。早速荷造りをして郵便局へ持っていく。そうこうしているうちに大物全集が売れ、これまたすぐに荷造り。

昼飯を食べて時計を見るともう13時半。中央市会へ行かなければ。到着すると今年最後だけあってものすごい量。うちも出品していたのだった。見ていくと今日は買えそうな、いや、買わなければならない品物が沢山出ている。カメラ関係の6本口は今年最後とばかり思い切って入札。カメラか。そういえば最近はお手軽なカメラばっかり使って写真を撮っているなぁ(^^;。

一通り入札を終えて開札を待つ間、久しぶりに銀座へ行ってみた。薬屋さんの8階にあるSカメラさんはもう1年ぶりくらいか。歳末10%引きセール中ということで、混雑しているんじゃないかと思いきや、エレベーターを降りるとワタシの他には誰も居ない(^^;。店員さんは2人もいるからなんだか居心地悪いなぁ。手を後ろに組んで買う気のないポーズのままウィンドウから少し距離を置き一回り。すぐに店を出る。

そのまま別ビル8階のL社へ。こちらも歳末セール中。M6TTLが179000円で現金なら4%引きとか。ライカって一時は30万円って思っていたけど、今は安くなったのねぇ。
で、特別モデルなのかどうなのか、M6TTL(JAPAN)という機種が新入荷しており、これには軍艦部に”Leica”の刻印が刻まれていた。ううーん、これは欲しいなぁ・・・。にしてもライカなんて新品で買うカメラという感覚がない。買ったとしてももったいなくて使えなかったりして(^^;。

銀座四丁目夜景

市場に戻ると、カメラ関係の口は下札で落札。でもあまり気分盛り上がらず。市場に戻ると鬱が再開。
赤ヌキを見ると10点も落ちていた。やはりこれだけ量が出ていると落札しやすくはなるみたい。出品の方は19点中16点が売れた。まずまずといったところでしょう。

全品付け合せした後に、クリスマス大市の事でYくんとあれこれ話す。そのあとたまたま品物の引き取りに来ていたブー太郎さんとおしゃべり。少し鬱が和らいだ。

今日は「THE JAPANESE BOX」のことを書こうと思っていたけど、明日以降に延期ですね。ヒントは写真集の復刻です。

■2001/12/16 (日) カニカニ

朝起きると10時少し前。

随分寝たなぁ(^^;。やっぱり休日は休まなくっちゃねっ。

で、ブランチのような朝飯を食べて、「寒いから家で工作したい」とゴネる子供たちをなんとか説き伏せ、桜木町へ。行くところがないときに使わせてもらっている野毛山動物園である。

東急線は最近至る所で線路を高架し直している。菊名の手前を直した後は、日吉綱島間を高架にし、今度は武蔵小杉と元住吉間を高架するようだ。もっとも、こちらは目黒線を日吉まで延伸するための工事も兼ねている。元住吉駅横の”開かずの踏み切り”の命もあとわずかだね。

相変わらず桜木町駅は人ごみ。野毛ちかみちを通って野毛方面に抜けると、周りは場外馬券を求める人ばかり。ワタシはギャンブルに興味ないので、この人ごみを押してまで損しに行く気持ちがわからないのだなぁ(^^;。まあ、そもそも商売自体がギャンブルのようなものだから、人のことは言えないかもしれない。

野毛山の急な登り坂をなんとか登って、今日はふれあい動物園から行くことにした。例のウサギやヒヨコを実際に触れる動物園だ。やはり寒いからか、人は少なめ。
ある程度飽きるまで触れたからか、しばらくしたら動物園に行きたいと子供から言い出した。いつもの動物園に移動。現在各所でリニューアル工事中だ。それでも無料を通しているのだからすごいね。「入場無料にしてこの工事費はどっから出てるの?」と女房。税金だよ、とワタシ。

実は通販でオホーツクのカニ3種セットを頼んでおいたのが昨日到着していた。今日は早めに帰り、カニパーティーである。子供二人は要らないと言うから、女房と2人占めである(^^)。タラバガニ1kgを丸ごと。浦霞の純米で乾杯。酒がいくらでも入っていくなぁ。うまいうまい!
お店に食べに行って2人で満足するまで食べようとしたら結構お金を取られるはずだけど、ほかに毛がにとズワイガニがあと1匹づつ入っていて6千円ちょっとってのは安い気がする。
明日は毛がにの味噌汁かな。楽しみだ。

今日は、S.K.さんにお願いしていた「THE JAPANESE BOX」が宅配便で到着していた。ありたがや。さて、これが一体何なのかは明日書くことにしよう。

■2001/12/15 (土) 深夜の車内

30代4人+20代1人で昨夜も終電までジョナったから朝は眠い。

来期は20代の彼と一緒に明古の現場を考えていく運命である。彼にとって明古の経営員とはどういう存在なのだろう。今度はそのことを聞いてみようと思う。

神保町駅で終電を待っていたら、シックなコートを着た茶髪のカワイイ子が目に入った。長めのマフラーはこの冬の流行とか。酔った目でボーっとながめていたら、どうやらプレゼントされたらしい小さな花束を愛しそうな目線で見つめていた。電車に乗り込んでからは、花束を置いて紙の手提げ袋に入っていた綺麗にラッピングされたものを開けて、また愛しそうな目線を送っている。クリスマスプレゼントにしては少し早いのでは・・・?
あの恍惚とした表情からして当然恋人からもらったのだろうな。でも、終電に女の子ひとり乗せて帰すなんて、ちょっと冷たいオトコじゃないのかなぁ(^^;。

東横線に乗ると車両の継ぎ目にいたカップルがベタベタしていた。電車が走り始めて車内が落ち着いてもベタベタは続いていた。よく様子を窺ってみると、女の子が一方的にベタベタと寄り添っていたのだった。オトコの方は車内だからかしれないが、少し迷惑そうな冷めた目をして車内吊り広告を見ていた。

バランス。どちらかの想いが重過ぎると、その関係はどちらかに傾く。相手とのバランスを考えずに一方的に想いすぎると、楽しかったシーソーはひっくり返ってしまう。終電に置いてけぼりにされても、冷めた目で見られても、想いが強すぎた目にはヒドイと映らない。ひっくり返る寸前だ。

世間は信心もないくせにクリスマスだと煽る。TVも週刊誌もクリスマスにひとりで居てはいけないような雰囲気を作る。それがどうだとは言わないけれど、終電で見た彼女たちはその雰囲気に追い込まれているようにも思えた。酔っ払っているのに息を殺してじっとしていると、そんなどーでもいいことが頭を駆け巡る。嫌な性分だ。

今日は朝から荷造り。途中抜けて中央市会の出品で竹橋へ。昨日落札した荷物も引き取ってくる。昼飯を食べてから荷造りの続き。今日も郵便でご注文品が数々追加される。有難い。
前金分とも12件の荷物を隣駅の郵便局まで運ぶ。
少し傾きかけた日の光がカチンと冷たい透き通った冬の空気を抜けて目に突き刺さる。今年はちゃんとした寒い冬がやってきたようだ。

お店も今日は沢山売れてくれた。ありがとうございました。

■2001/12/14 (金) 想い

今週も金曜日が来た。

明古の経営員になってから、金曜日はワタシにとって特別な日だ。

欲しい本が出ていた。憧れの本が並んだ。入札する楽しみ。負けたときの悔しさ。そして、落札した時の達成感と不安。

楽しい先輩がいた。すごい先輩もいた。そしてなにより、コワイ先輩が居た。
新人だった頃、金曜日の朝には胃が痛むこともあった。まるで登校拒否のような症状。それでもワタシは休まず、遅刻せず。当時の経営員は朝9時集合。でも、必ず8時前には古書会館に居るように自分を追い込んだ。それはコワイ先輩が必ず8時に来ていたからだった。

ウチのオヤジは経営員の経験もない。オヤジと違う道を歩む意味でも、経営員の仕事は大きかった。技術や想いをそのままコピーしようとすると必ず目減りするから、オヤジの後を追うだけではオヤジを超えることは出来ないと思っていた。それだけに明古の経営員に誘われたときには二つ返事で入れてください、とお願いした。オヤジとは違う道を歩み始めた自分が現れた。

経営員は市場仕事を覚える為にしているわけではない。それでもそうやって自分を経営員としてちゃんとしようと思ったのは、オヤジとの件もあったが、自分の中で確固とした”何か”を掴みたいからだった。本屋になりたてで本も知らない。その上仕事も出来ないでは自分を維持している想いを支えることはできない。すでに結婚をして子供もいる自分。明古という集団に身を置くのは自分を試すいい機会だった。

そうやって毎週金曜日を過ごしているうちに先輩はどんどん卒業していった。そしてワタシよりも後に入った後輩もまた一人二人と先に辞めていった。いつの間にか自分の周りには先輩が居なくなり、経営員のメンバーはすっかり入れ替わっていた。いや、すでに自分が先輩という立場に立たされているのだ。その自覚があるのか、と問い詰められればちゃんと答えられない。

自分は彼らにとって楽しい先輩なのか?スゴイ先輩なのか?コワイ先輩なのか?
いや、そのどれでもない。ただの情けない先輩なのだろうなぁ。

飲み会の席で
■2001/12/13 (木) 市場へ

月曜日からずっと続けていた荷造り作業もなんとか見通しがついてきた。

今日は気分転換も含めて市場へ行こうと思った。ちょうど一新会はウルトラ市だ。それでも、午前中に来た郵便で前金のご入金や追加ご注文品も入り、引き続き荷造り作業が発生。
出掛ける前に町会の仕事を片付け、昼飯を食べてから電車に乗ると、もう開札ギリギリという時間になりそうだ(^^;。とりあえず前金分のみ発送して、あとは市場から戻って続けることにした。忙しいなぁ。こういうときに限って仕事は重なるのだ。いや、その忙しさに身を浸すのが楽しいんだけどね。変かなぁ?

今日は久しぶりの雨。そのせいか市場も品物は少なめだった。この分だと明日も少なそうだなぁ。などと考えながら帰路につく。
地下鉄に乗ってから、そうだ月曜日の支払いをするのを忘れたことに気が付いた(^^;。いいや、明日で。

帰ってから荷造り作業の続き。FAXでの追加有。まだまだ一段落しそうもない。有難いことだ。今日は雨だったので、ゆうぱっく発送の分は郵便局に集荷をお願いしていた。その集荷時間が遅れに遅れ、18時に郵便車到着(^^;。オヤジは「何やってんだ、遅い!」とイヤミを言う。確かにこの時期はお歳暮などの荷物が多いのだろう。年の瀬だしね。忙しいのはいい事ですよ。
郵便局が遅れてくれたので、今日発送するべき荷物は全て発送できた。なんとか追いついた。明日は明古で一日居ないから、深夜に帰宅してから荷造り作業をすることになるだろうな(^^;。

早く帰ってやればいいじゃん?ご尤も(^^;;。

■2001/12/12 (水) 荷造り

昨日から一生懸命やっている荷造り作業が終わらない。

もちろん、昨日は店番の合間を縫ってやっていたから当然なのだが、今日はご注文の追加がガバっと入り、インターネット前金分が9件入ったので、作業場は大混乱。狭い空間。所狭しと並ぶ本の山。まだ品物が積み上がっているというのにさらに追加されるから、いったいどこから手をつけようか、という感じだ。
市場は当然のことながら休んだ。

先にインターネット前金、そしてご注文品の比較的数の少ないものから始めていく。最初に大物をやらないのは、他のと混ざってさらに混乱するのを防ぐ為。とにかく作業場所が狭いのよ(^^;。
できたものから郵便局へ持っていく。そしてまた作る。また出す。この繰り返し。何回郵便局を往復しただろうなぁ。

いよいよ大物に取り掛かったのは15時を過ぎたころ。10点ご注文が3件のあとに35点ご注文というのが控えている・・・!。お一人での最高記録。これが入る箱あるかなぁ?

伝票はすべてパソコンで打ち出しているのだが、ウチの値札と伝票と現品を付け合せしているうちに結構時間をとられていることに気が付いた。以前この作業をいいかげんにやってしまい、伝票にはついているにもかかわらず品物を入れなかった事故が発生してしまった(^^;。こういう恥ずかしいことをすると大口ほど慎重になる。とにかく伝票と現品は確実に合わせなければ。

っと、言っているそばから最大の35点ご注文の方の品物が合わない。伝票についている品物を一点づつチェックしていく。・・・・あ。これが入ってない・・・。検品してよかったぁ。品物はまだ崩していない山の下から出て来た。どこかで混ざったようだ。

で、時計を見ると、すでに17時すこし前。あちゃあ、間に合わなかった。明日一番で発送しなければ。

それからしばらくはクリスマス大市作業予定表の見直し。今度の金曜日は先週出来なかった経営員の最終打ち合わせをするのだ。それまでに基本ラインは仕上げておかなければならない。
目下の要検討課題は、古書会館と什器が違う為、本をどう陳列するかという問題なのだけど、意外にその場でうまく当てはまったりするのではないだろうか。なんといっても会場が広いからね。他会大市が完全ワンフロアで出来たくらいだから、きっと何とかなる・・・はず。

にしても、いよいよだなぁ。

ご注文品の山
■2001/12/11 (火) サーバーダウン

昨日深夜から断続的にウチのHPが入っているサーバーがダウンしている。

まったく、この書き入れ時に・・・。管理会社に文句を言ったが、今修理中です、とのこと。メールサーバーも一緒にダウン。これでウチへのメールでの連絡手段は一切絶たれてしまった。この日記は無料の別サーバーだから書き込めるわけで、本体はとにかく復旧を待つ以外ない。ハードウェアの障害らしく、復旧には少し時間がかかりそうだ。
それでもこの頁に直接リンクを張っている方がいらっしゃるのか、カウンターは少しづつ増えてますね(^^)。

今日は朝からご注文品の荷造りを続けている。オヤジたちはいつものように休んでいるため、店を開ける前と、開けてからは女房に断続的に店番をしてもらいながら作業場で荷造りを続けた。作っては郵便局へ持っていっているので、今日ご注文いただいた荷物が明日届くという方が沢山いらっしゃるはず。スピードも古本屋の商品のうち。
今回は最初から結構な量をご注文頂き、棚は一気にガラガラとなった。おお大変だ。またせっせと入力作業をしなければ。

今日一日で在庫状況が大幅に変わっておりますので、どうかご注意を。
また、サーバーの停止でご迷惑をお掛けしまして、申し訳ございません。

■2001/12/10 (月) ひさしぶり

二週間ぶりの月曜日。

中央市会は先週休会だった。そのため、出品量たるや相当なもの。こりゃあすごいわ。カレンダーの関係で来週が今年最終となるのもちょっと気の毒だなぁ。そりゃあもちろん、休み明けに量がバクハツ的になるからですよ。

入札したあと、開札が終わるまで今年最後のご挨拶のため、神保町1丁目へ。どこへって、修行中お世話になったY書房さんへです(別に伏字にする必要もないかな(^^;)。
ウチもそうだったんだけど、Y書房さんも目録を発行中で、様子から見て丁度今日から受注開始のようだった。電話が切りなくかかってくる。お忙しそうだ。ワタシなんぞが邪魔してはいけない。あれこれとお話したものの、20分ほどでお暇する。そうそう、ウチの目録には注文は入っているだろうか・・・。

市場に戻る途中、東京堂で新刊をあれこれ見る。三省堂は広すぎて専門書は各フロアまで行かなければならないのに比べて、東京堂の1階”話題の新刊”コーナーはその手間を省いてくれる。便利。そういえば石神井書林日録はここで買ったのだった。
夕闇迫る頃店を出て駿河台下交差点。冷たい風が吹き抜ける。急に冬が本番を迎えた。顔が冷たい。

市場ではもうすぐ開札終了というところ。ちょうど明古経営員主任のOさんがいらっしゃり、クリスマス大市でお手伝いをお願いする中央市会経営員の方に渡す案内書を渡すところだった。今回は市会終了後にある程度の荷捌きまでお願いしなければ、地方荷を仮梱包の上で運送屋さんに引き渡すまで作業が進められない。いつもより遅い時間までお願いしますと伝える。申し訳ない。

肝心の市場は高いなぁ。今在庫が山のように店に溜まっているから入札する気持ちも萎え気味だからかもしれないが、強い札を書けない。ウチは年末が決算なので、この時期は買うよりも売らなければならないこともある。とにかく税金というのは在庫にかかってくるのだ。決算セールといって商店が決算前に在庫処分セールをするのはそのためだ。

ウチは?セールはしません(^^;。その分お安いのであしからず。

店に戻ってみると目録からのご注文品が積みあがっていた。早速書類打ち出しして荷造り作業。今日受注した荷物は明日朝には発送する。まだ荷造り作業が終わっていないので、今日はこの辺で・・・。

■2001/12/09 (日) 江戸東京たてもの園

朝から晴れ。寒い。

いよいよ冬本番の天気。今日は小金井公園内の江戸東京たてもの園に出掛けた。これまた1年ぶり。今日のカメラはコンタックスAriaにプラナー50mm。ライカM3にズミクロン35mm。キヤノンイクシデジタル200の3台。

渋谷から井の頭線で吉祥寺。JRで武蔵小金井下車。西部バス5分でやっと到着。片道810円也。交通費もばかにならん。駅前で買ってきたパンを食べた後、入園。入場料は大人400円、子供200円。

この1年の間に展示の追加はなかった。ゆっくりと前回行かなかった農家の方まで見てみる。茅葺屋根の農家。ボランティアのおじさんたちが囲炉裏に火を入れていた。この煙が屋根の虫よけになるのだから良く考えられている。ハリが丸見えの天井。昔の夜は暗かったのだろうなぁ。
茅葺屋根の農家といっても、名家は昭和30年代まで実際に使用されていたという建物。こちらは茅葺屋根でもちゃんと普通の天井があって、なかに入ってしまえば茅葺屋根という雰囲気はない。囲炉裏のある台所とタタキ、土間以外は全て畳の部屋。襖を取っ払ってしまえば柱だけの大広間が広がりそうだ。ただし、鴨居は低い。

息子が各建物に置いてある解説書を全て揃えるなんて言い出したものだから大変(^^;。順路を回って東ゾーンの商店街が出来ている所に辿り着く頃には分厚い冊子のようになっていた。合計27枚。妙なコレクション癖があるのはワタシ譲りか(^^;。

今日は日曜日なので江戸切子細工の実演などを商店の店先でやっている。そういうのに目もくれず、解説書を求めてうろうろする。娘は妙に都電の展示がお気に入りで、目を離すとすぐに「でんしゃでんしゃ!」と言いながら黄色い愛嬌のあるあの車両へと吸い寄せられていく。
中で走り回っている女の子二人の後にぴたりと付いてキャーキャー言いながら走り回っている。こらこら、これは展示物なんだぞー。

昼飯が足りなかったのか、寒さで凍えたのか、小腹がすいたので併設されているうどん屋へ入る。山菜うどんと武蔵野うどんに団子をつけて4人でオヤツ代わり。うまかったし、何よりも暖まった。午後になって日が傾き、風の冷たさが気になってきたのだった。

お約束の子宝湯。高い天井と広い浴槽。ここの中にゆっくりつかるのがウチの子供たちは大好きだ(^^;。いやいや、係りのお姉さんに怒られないうちに出てきなさいよ。

もうそろそろ限界。暗くならないうちに帰路につくことにする。園を出た後、バス停までの道に何箇所か落ち葉のふきだまっているところがあり、そこでひとしきり落ち葉遊び。蹴っ飛ばしたり、落ち葉の中に突っ込んでいったり・・・。手に持って投げ上げたところで「アタマにかかるから止めなさい!」と女房が一喝。それが合図となってバス停へ向かうことになる。

帰りの井の頭線では娘が爆睡。リニューアルされた東急東横店の食堂街でいつものとんかつやに”並んで”入って夕食。やはり新しくなるとお客さんは来るようだ。ワタシは黒豚カツ丼。女房は梅膳(ひれかつ、えびフライ、コロッケに焼き魚、玉子焼き)。息子はお子様ランチ(ここのお子様ランチは割安感あり)。

渋谷ハチ公前の交差点は今日もにぎやか。クリスマスイルミネーションも華やかで、人通りの多さはいつも以上。帰宅は19時少し前。

夕日を浴びる高橋是清の屋敷。
■2001/12/08 (土) 眠いー

全開で働いた昨日の疲れか。

8時にけたたましく鳴った”はず”の目覚ましの音が聞こえなかったらしく、娘に揺り起こされて時計を見ると9時(^^;。そういう時は身体が睡眠を欲しがっているから抵抗しない方がいい。無理は確実に身体を痛めつける。

だからってもうひと寝入りというわけにも行かず、起きて朝飯。アタマが重いものの今日も納豆と海苔に白ご飯がうまい。前金分の荷造り。開店。今日の分の入金。荷造り。
第二土曜日は南部の入札市があり、昨日オヤジが出品してきたけれど、行かず。とにかく店の通路に積みあがっている本をどうにかしなければ仕入れもなにもない。

昼前にS川急便のお兄さんが荷物を持って駆け込んでくる。甘露通信が上がってきたのだった。今日も寒いのにシマシマの半そでシャツ一枚。熱いねっ!

作ってあった封筒で早速発送準備。出来たものからポストへ投函しに行く。全て出し終わったあと、インターネット前金分の荷物を抱えて隣駅の郵便局まで出しに行く。晴れているのに寒い。フリースを一枚着込む。

小杉駅の入り口にあったパン屋はいつのまにか潰れ、おにぎり屋に改装されていた。どうかなぁ。コンビニの主力商品に対抗するのは並大抵の努力では無理。またすぐに潰れそう(^^;。余談だが、現代で黒字を出せる事業を新規開店するのはことのほか難しいらしい。各地でBオフが増えたのは、たとえば紳士服の安売り店をしているよりは本の方が”赤字幅が少なくて済む”という、非常に消極的理由らしい。

Y堂前を通過すると駐車場待ちのクルマが列を成していた。すごいなぁ。そんなに買うものがあるなんてうらやましい。ウチは別段とくに買いたいものもありませんワ。そうか、もうボーナスシーズンなのだね。なんでも12月というのは世界的に見ても一年のうちで一番の需要期に当たるらしい。アメリカでは1年の1/4をこの1ヶ月で売り上げるのだとか。クリスマスってのは文化というよりもすでに商売なんだねぇ。

店に戻る途中、古くからあるのだけど普段はお客を見たこともない果物屋さんにお客様が入っていた。とっさにデジカメで写真を一枚。やはり需要期12月というのは本物らしい。

老舗果物店のふんばり。

しかし、ウチの店にはそういう世の中の流れは入ってこないようで、今日の店売りもまた落ち着いた数字に終わりそうだ。今日発送した目録に期待っ!

■2001/12/07 (金) 勉強会

金曜、明古。

昨日仕入れてきた本を出品する為、今日は朝5時起き。メールチェックし、ご注文へのお返事メールを書き終え、食事を済ませてから7時少し前にクルマで中企センターへ向かう。ワタシは荷を出した後そのまま明古の仕事があるので、クルマを戻す為にオヤジも一緒である。
途中、渋滞を覚悟していたのだが道はすいていた。7時半には到着してしまった。やることがない。ただひたすら待った。

駐車場にクルマを入れ荷をカーゴに積み替える。ただし、荷物用エレベーターは8時半になるまで動かないようになっていた。動き出すまで横浜のNさんとおしゃべり。

開場。昨日まで大市をしていたから残置品もきちんと資料会さんが整理されている。我々はすぐに出品荷物の整理を始めた。しかし荷はガラガラ(^^;。こういう日に出品すると高くなるはずなんだけど。資料会で売れなかったこの間の美術書の口を3点出品。こうなったら捨て値処分だ。

昼前にはいつものように荷が会場に満ちた。昨日仕入れた口には札が次々入っていく。しかし、美術書3点には札が入らない。やれやれ2千円にもならないってこと(^^;?

開札。カーゴ一台の荷物はいい値段で売れていく。しかし資料会売れ残りの3点はやはり思った値段では売れなかった。ううむ、腰痛分だけ損した気分(^^;。

市会終了後、今日は明治古典会の勉強会があった。講師は八木書店八木朗氏。自筆物の真贋についての詳細な解説を1時間半にわたってスライド映写を含めて講義していただいた。公開講義なので明古以外の方の聴講も前回以上。経営員は残置品を整理したあと、市会会場の半分を使って会場設営。映写機の準備、教材置き場、椅子並べなど。

近代作家の原稿の解説では、作家には書き方、特に直し方に特徴が出るとのこと。荷風の原稿は推敲の後が多く、直しが多い為書生が代筆したものが多いことや、山本有三には奥様の代筆が多いこと。谷崎潤一郎は晩年失明したので奥様が代筆したことなど、作家の周辺事情にまで話は及んだ。非常に興味深い講義だった。
値段の高いものに贋物は多い。だけど贋物をつかまされても再流通させないのが業者の良心だ、というのが八木さんの信念。

漱石画賛2枚。さて、どちらが複製か?

終わったあと、靖国通りのイタリアンで懇親会。その後、錦糸町へ会は場所を移したとやら。ワタシは30代3人でジョナった。終電帰宅。2時就寝。21時間にも及ぶ長い一日は終わった。

■2001/12/06 (木) 夕刊から

昨日が大市だったため、今日まで通常市会は休会。明日は明古がある。

オヤジは古くからのお客様まで朝から仕入れに出掛けた。まあ、朝から雨だし、市場もないのでスロースタートだ。引き続き本の整理をしながら目録発送用封筒の製作。住所録をラベルで打ち出し、切手を貼り付ける。一度受け持ち郵便局の外商係が3人店に来て、料金別納郵便で出してくれないかと頼みに来たことがあった。ウチはポストに投函する。目録は少し厚みがあって機械を通らないらしいから、消印をいちいち押すのが面倒なのだろう。
しかし、丁重にお断りした。記念切手を販売する郵便局がそういうことを言ってはイケマセンよ。

夕刊では、今やインターネット界を代表する作家M.R.氏が、自ら編集長を務めるメールマガジンについて語っていた。日本経済が斜陽化し、ここ10年で崩壊の道を辿っていることを自分なりに考えてみたいと思ったのがキッカケとか。各界の専門家に意見を伺い、その成果を発表する手段として無料のメルマガを使ったという。現在の発行部数は10万。スゴイ。
広告を入れても、購読を無料にしているから収支はトントン。だが、やりがいのある仕事として続けていきたいと語っていらっしゃる。”ほぼ日”の編集長もクリエイターとして同じようなことを本に書いていらっしゃったなぁ。やりたいことと儲かることは必ずしも一致しないようだ。

夕方になってもオヤジは仕入れから戻らない。実はそのあともう一件ワタシが出向く仕入れがあるのだ(^^;。外は真っ暗。何してるのかなぁ。

18時少し前。その後一件の方から電話が入る。スイマセン、実はまだ朝出掛けたっきり戻らないのでして・・・、と話していたらドアが開いた。オヤジがクルマで帰ってきたところだった。なんでも200冊くらいと聞いて行ったら500冊くらいあったのだそうだ(^^;。たしかに荷台は本で満載。先様には、これからすぐ伺います、と伝えた。

やれやれ、この何日かでやっと少し片付いてきたのに、また店の通路が本で一杯になってしまった。(^^;。

■2001/12/05 (水) 雑用

市場に行く前に九段下にある印刷屋さんへ甘露通信の入稿に行った。

半蔵門線を九段下で降り、普段ならオレンジの自動改札から出場して「乗り継ぎ」の手続きをとったうえで東西線改札へ再入場する。東西線と半蔵門線のホームが二つの改札口で隔てられているからだ。そこで”はた”と気が付いた。出場から東西線への再入場まで30分以内なら切符は無効にならないのだ。その30分の間で印刷屋さんを往復すれば、九段下から竹橋までの160円が浮くじゃないの・・・!
なんともセコイが、改札を降りてから印刷屋さんまで片道7分ほどしかかからない。戻ってきて東西線改札も通過でき、おお、160円が確かに浮いてしまった(^^)。でもこれはキセルじゃあないよ。

地下鉄は乗換えがあれこれと複雑なので、他の私鉄と違って回数券が料金別に設定されているのが使いやすい。つまり、160円券、190円券で発行されるからどこから乗ってもいいのだ。それに比べて東急は未だに新丸子から渋谷区間、として発行するから、たとえば今日は目黒線で座って行きたいな、と思ってもそれが出来ない。わざわざ目黒までの回数券を別に買わなければならなくなる。パスネットなんて便利なものも出来ているんだから、早く発想を変えて料金区分で回数券を発行してもらえれば、利用客も増えて結局は収益アップになると思うんだけどねぇ。

地下鉄の例を挙げるまでもないが、どんなシステムにもセキュリティホール(SH)はある。MSに限らず他メーカーもソフト制作者は意図的にシステムに対して緊急侵入用SHを作っておくのだという。MSの場合は世界覇権を握っているからそのSHを見つけて侵入・破壊してしまおうというハッカーが多い為に問題になるのだ。だから狙われてしまえばMS以外のソフトを使っているからウィルス汚染の心配はない、などということもない。今日もウィルスメールがたくさん届いている現実(^^;。

店に戻ってから大急ぎで前金分の荷造り作業。まもなく17時の窓口終了時間。7件全て終えて郵便局へ駆け込み。間に合ったぁ。良かった。
やれやれとお茶を飲んでいると、町会の回覧板の仕事がやってきた。(^^;休む暇もない。すぐに印刷物を仕分し、各班長さんへ届ける。一軒、玄関先にクリスマスライトが飾ってあった。そ。もう12月だったんだよね。

玄関先のクリスマスライト

今年ももう暮れていく。何も成さないうちに今年も暮れようとしている。

■2001/12/05 (水) 資料会大市

今日は大市会。

朝は9時開場。開札は13時から。ワタシは11時少し前に到着。
通常市とは方向を違えて本が並んであって、新鮮。今年は下見を日程に入れなかったせいもあって、一日一発勝負。目録外の品物は下調べなしで入札することに。ウチの荷物はどうなっているだろうか。・・・ううむ、見つからない(^^;。

見つからないってことはわかりにくい場所にあるということだ。第一回からウチの荷物がどこにあるか気にしながら入札していく。んんー、まだ見つからないゾ。・・・あ。あった。あ。ここにも。うーむ、札が入ってないなぁ。最後の1点は美術書の下敷きになっていた。封筒は空。腰を痛めながら運んだ本に札がぜんぜん入っていないとは・・・。もう美術書はやりたくない(^^;。

昼飯を挟んで開札開始。うーん、あれもこれも駄目(^^;。やっぱり高いなぁ。大市だからかなぁ。なんだかいつもこんなことばっかり書いているような気がする。でも、市場の相場を考えて思いっきり入札して落札したものに限って売れていないのだ(^^;。過去の実績から考えてどうしてもそこまで入れられない。するとやっぱり落札できない。となれば経験は積み上がらない。足踏み状態が続いてしまうような気がする。よくわからない。ホント、よくわからない。

そのうちウチの出品した品物が開札された。ううむ・・・。期待した値段にはなっていない。どうしてこう買うときは高くて売ろうとするとこんなに安いのか・・・!?再びガッカリ。どうしてなのだろー?

入札が終わった後、15時過ぎに秋葉原までお買い物。この間ソフマップでPCを買い換えたのに味をしめ、デジカメを買い換えたのだ。キヤノンイクシデジタルは1年半前には大ベストセラー機で、買うまで10日も待たされPC接続キット込み67000円もした。質感も使い勝手も良かったので1年半もの間、よく使った。後継機が出てからしばらくたったので、今回思い切って下取り交換したのだ。
付属品を全て揃え、査定してもらうと25300円。買い替え特典でチケット5000円プラス。レジに持っていくと64MBのCFカードをサービスしてくれた。確か1年半前には64MBメモリは18000円もしたはずだ。それがおまけで付いてくるなんて・・・。時代は変わったなぁ。

結局20000円足らずの金額を支払うことで、イクシ200が手に入った。何でも安くなったなぁ。

■2001/12/04 (火) もうすぐ甘露通信

火曜日だが主だった更新を出来ないでいる。

別にサボっているわけではないのだが、先週の水曜日に買った大山がまだほとんど手付かずだったのだ。日記頁を少しいじったほかは表立って何も出来ず。もちろん、裏では本の整理に没頭しているわけ。

店で売れないと書いたからか、今日は天気があまりよくないにもかかわらず店にお客様が多い。ウチはずっと前から日銭主義だから、店で売れてくれるとうれしい(^^)。大きいことを長い準備期間を掛けてドカーンとやる仕事に向いていない性格らしい。うーむ、このままだと落ちていくのかなぁ(^^;。

大きいことはできないが、小さいことを少しづつやることはあまり苦にしない。このHPを毎日更新しているのはわかりやすい(^^;例だし、小さい紙目録の発行もやっている。結局、大きいことをやって思ったとおりに行かないことが怖いのだろう。自分のやっていることが間違っていないかどうかを少しづつ確かめながら前に進もうとする。いや、外から見たら足踏みしているのかもしれないが・・・。ただ、後退はしていないつもりだ。なんとかね。

お客様から「次の目録はまだ?」と問い合わせを頂くようになってきた。もう12月だ。甘露通信師走号を明日印刷所に入稿する。やはりインターネットの画面上で書籍リストを見るよりも、紙に印刷されたもので閲覧したいという方はまだまだ多い。そういう方がほとんどいらっしゃらなくなるまで、紙目録の発行は続けるつもり。

明日は資料会大市会だ。

■2001/12/03 (月) 大市期間中

今日から資料会大市のため、通常市会は休会。

朝から比較的のんびり。しかし、郵便が来てからは前金でご入金していただいた分の発送作業で忙しくなる。今日も10件ほど。ありがとうございます。

昼飯を食べ終わってから資料会大市の出品で市場へ向かう。先週の木曜日に仕入れた荷物で大市向きのものを作っておいたのだ。大判の美術系豪華本が人の背の高さくらい積み上がり、夜になると人が居るのかと振り返ってしまうほど存在感のある本だった。運び出して久しぶりにスッキリした店の通路。いや、お客様までスッキリしなくても・・・(^^;。

とにかく店は9月のテロ以来、開店休業の日が大半を占めている。あれさえなければ、とは思いたいが歴史は決して逆戻りはしない。これもまた運命だ。
こんなとき天を見上げるしかない業種の方々は大変だと思うが、幸いにして古本屋はそういう業種ではない。やればやっただけ自分に返ってくる有難い業種である。店が売れないなら何をするべきか。こういう状況でもまだ他に道が用意されているだけワタシは幸せな立場に居るのかもしれない。

中企センターの駐車場にクルマを入れるとガラガラだったが、3階会場へ荷物を運ぶと結構な品物の量がすでに並んでいた。なかなかですね。出品記号を頂き、カーゴ2/3ほどの品物を出品。帰路に付く。

道中、TVを付けていたら新宮様お誕生おめでとう企画をやっていた。繰り返しの内容だったが、やはりTVがこうして慶祝ムードを盛り上げ、景気を上へ向かせる必要はあるだろう。とにかく真っ暗なムードのまま年が暮れていかなくて良かったと思う。経済効果は14兆円もあると云われている。
12月1日に銀座のデパートでお誕生を知らせる垂れ幕が下がったとき、群衆が幕を見上げながらこぞって拍手した絵はなかなか良かった。やはり日本人はこうでなくてはいけない。

店に戻る。店頭売り上げはたった3点(^^;。どうしようもない現実に引き戻された。

■2001/12/02 (日) 月島もんじゃ

今日は年に一度のもんじゃデー。

なんて別に決めているわけじゃないけど、前回行ってから丁度一年経っていた。そろそろ食べに行こうよ、という感じ。

昨日も2時寝。連日の寝不足を解消しようと惰眠をむさぼる朝。それでも8時半には起きてしまう。結局まだ眠い。朝パンを済ませてメールチェックすると、気合の入った人がハリポタの初日オールナイトを見た感想を送ってくれた。スゴイね。

11時半過ぎに出発。新丸子から目黒線・南北線直通電車で永田町へ。有楽町線に乗り換えて月島まで。おおよそ45分。いつもの招き猫の置いてあるお店に入った。

アタマと手にキャベツ。月島もんじゃ招き猫

比較的すいている店内。それでもとっかえひっかえお客さんが入れ替わる。去年来た時もそうだったが、しっかりと食べるのは家族連れくらいで、若い人は昼ビールのおまけくらいにもんじゃを食べているのかもしれない。

メニューも増えた。今回はウィンナーバター焼き、きのこバター焼きを先に頼み、あとからミックス天(お好み焼き)を食べて、シーフードグラタンもんじゃとミックスもんじゃを頼んだ。もちろん生ビールは忘れない。
グラタン?ってどんな感じだろうと思っていたら、結構イケる。子供たちはかなり気に入った様子。ホワイトシチューの素とチーズであの味を出しているようだ。
混ぜてから、まず具を鉄板にあけ、それでドーナツ状にまあるく土手を作ってから中心にもんじゃの素を流し込むのが常道。しばらくしているうちに水分が少しづつ飛んで、しょうゆのこげた香ばしい香りが立ち昇ってくる。小さいヘラで周りからこそげるように食べすすめる。ビールが合ってなかなか乙な味わい。ほとんど油っけがないからお腹がもたれないのもいい。

ほろ酔い気分で店を出て、佃島へ移動。ここの公園でひとしきり子供たちは遊びまわる。その合間に久しぶりに来た佃島風景にレンズを向ける。今日はコンタックスAriaにディスタゴン35mm。夕日にリバーシティ21が照らされている。よく晴れた青い空。まだ寒くなりきらない晩秋のこの時期は散歩するのにいい季節だ。

佃島から石川島を望む

段々暗くなって来たので動く。住吉神社を見学し、佃小橋を渡って石川島。中央大橋に差し掛かったあたりで、子供たちの「腹減った」攻撃が始まった(^^;。コンビニでオヤツ。子供たちはチョコドーナツにデニッシュパン。女房は肉まん。ワタシはパイ・シュー。

新川、八丁堀と歩いて日比谷線に乗る。17時半に帰宅。

中央大橋夕景
■2001/12/01 (土) 師走

もう12月だ。先生も走る走る。

昨日は日付が変わってから帰宅。寝たのはさらに遅く3時頃(^^;。外で男女の言い合いが延々続いて居たり、腰が痛かったりで寝付けなかった。

で、朝は7時過ぎに起こされる。息子の寝起きが悪くて女房が起こしているうちにワタシまで起きてしまうのだ。その後またウトウトしたらしいが、8時半頃になって今度はバタバタと女房の出掛ける準備で起こされた。「学校で学年委員会があるから」と言い残し、出て行く女房を布団の中で送り出すワタシ(^^;。そういえば一昨日そんなことを言っていたなぁ。お帰りは昼過だとサ。

昨日から腰だけじゃなくて腹の調子も悪い。まだ寝たかったんだけど、女房が出掛ける騒動で娘も起きてしまい、寝ていられなくなった。痛い腰に気を遣いながら起き上がり、トイレに入ると娘も付いてくる。仕方なくトーマスのビデオをあてがって置く。半分眠りながらのトイレ。するとすぐに娘が「おとーちゃん、こちっこぉ!」とドアを叩く。”こちっこ”とはもちろん”おしっこ”のこと。慌てて出てから娘の用を足す。落ち着かない。

朝飯は女房が用意してくれていたパン。ツナとキャベツをマヨネーズで和えたものをコッペパンに挟んである。布団を上げ、娘と二人で食べる。腹が減っていたのか、二人で5本もペロリ。娘もだいぶ量を食べられるようになってきた。

開店してからはワタシの母親が子守をしてくれることになっていた。そろそろ開店しようかという頃にシャッターの開く音がする。結構早く来たな、と思っていたら、なんだ女房だった。学年委員会の後、出て欲しいと言われていた会議にお茶当番をしていて出られず、途中からじゃどうでもよく思えたから帰ってきてしまったと言う。イイの?それで。ま。ワタシは助かったけどね(^^;。
開店途中、ワタシの母親到着。なんだか張り切っていて、子守をしたかったらしい。ちょっと残念そうだった。

師走は毎年忙しい。月末にクリスマス特選市があるためだ。それが片付いてしまうまでは安心できない。心配は年を越すことだってある。それだけにしっかりした前準備をし、当日きめ細かい仕事をしなければならない。

でも、事故は出る。確率は決してゼロにならない。とすれば、出た後の対処方法を誤らないことが最重要となる。

2001年12月31日 | Posted in 甘露日記 | | Comments Closed 

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