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HOME > 甘露旬報バックナンバー > 甘露旬報2003.10−12

2002年10月から2004年03月までトップページに連載いたしました。すべて当店にて取り扱った本です。

2003.12.21.

「仲治への旅」森山大道写真集 
1987年 蒼穹舎 初版

 森山大道氏が敬愛する写真家・安井仲治氏へ捧げた写真集。氏は「仲治へのシンパシー」という文章の中で「安井仲治とは、写真そのものなのです」とまで書いている。 森山氏が見せてくれる風景を見て、いつも頭に浮かんでくる感覚がある。それを言葉にすると”風景が刻み込まれている”ということになろうか。
 まるでレリーフのように風景が印画紙に固着されている。引いて風景を撮影したカットの白く抜けた空も印象的だが、街に散らばる数々のオブジェクトが氏が惹きつけられた視線そのままで提示されると思わず見入ってしまう。
 光と影を意識することで見えてくるコト・モノ。写真でしか表現できない世界は存在する。
(奥付少シワ)

2003.12.12.

「冬へ」荒木経惟写真集 
1990年 マガジンハウス 初版

 東京風景を撮り続ける荒木氏の身の周りに変化が訪れたのは年号が昭和から平成に変わった頃だった。入院した愛妻陽子さんにはもはや助からない病であるという診断が下っていた。 写真には気持ちが直接反映される。その瞬間から、氏の撮影する東京風景に変化が起こった。以前「写真への旅」で否定した逆光で撮影された風景が多くなり、街行く人たちの姿は”この一瞬あとにはフッと消滅”してしまうようにブレ始めた。 好きだった東京の風景が、陽子さんとともに自分の前から姿を消す。そんな寂しい極近い近未来を、荒木氏は予感しながらシャッターを切っていた。 季節は冬へと向かっていた。 「誰もがみな死者たちの列に加わることを、死へ向かう列車にのっていることを『冬へ』はある官能のうねりとともに知らせてくれる。」解説の伊藤俊治氏の言葉である。
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2003.12.02.

「続にっぽん劇場写真帖」森山大道写真集
昭和53年 朝日ソノラマ 初版

 森山氏の処女作「にっぽん劇場写真帖」の出版から10年を経てこの写真集は出た。 氏の持つ旅人としての視線は10年のうちにますます研ぎ澄まされ、事物への踏み込み方には氏独自の思想が反映されているように思える。 マネキンのようにみえる女性。廃墟のような街。そして日々日常を過ごす人たち。日常は退屈と思えば退屈となり、戦場と見れば戦場となる。 「森山の写真には粒子と、トーンがある。そしてもののありようをとらえる能力がある。森山の心には、孤独や猜疑、欲望や落胆、そして感傷もある。ときには希望さえある。」森山氏の才能を見出した解説の山岸章二氏はこう述べた。(カバー背少日やけ有)

2003.11.21.

「少女物語」荒木経惟写真集 
1988年 白夜書房 初版

  荒木氏の写真世界の中で異彩を放っているのが少女を撮影した作品だ。この写真集に登場する少女たちは7歳から17歳までの32人。皆メイクされ衣装を着て氏のカメラの前に立っている。荒木氏は中判カメラで少女たちのすべてを写し撮ってしまおうとする。 いかにも少女という幼さが残っている子もいる反面、まだ7歳だというのにすでに大人の女の表情をしている子もいる。
 女になる前の”少女期”。成長することで得るものと失うもの。過ぎていく時間。彼女たちの少女期は荒木氏のカメラが捉えることで永遠のものとなった。 「少女は 間もなく程なく 毛が生える 正直なカラダではない」ねじめ正一

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2003.11.12.

「ヨーロッパ・静止した時間」奈良原一高写真集 1967年 鹿島出版会 初版

  パリのリュクサンブール公園を奈良原氏が訪れたのは秋の始めだった。並木道を歩いていると、彼の前を20代、30代のカップルが黙ったまま腕を組んで歩いていく。なぜか順に50代の二人が歩き去って行った時、氏は人間の一生を見せられた思いがした、と語っている。次に来るのは”死”。人の一生は死で完結する。 ヨーロッパの長い歴史。そして過ごしてきた時間。その一瞬一瞬が果てしない流れへと繋がっている。絶対的な時間と相対的な人の存在。「一枚一枚の写真が近づいて来るみたいに、彼らはあまりにも遠い時間の吹き抜ける瞬間に落ち込んでしまっているようだった。」 よみがえるべき一瞬の刹那。その瞬間を氏は「静止した時間」と名づけた。(アクリルカバー付)

2003.11.01.

「おお!新宿」東松照明写真集
昭和44年 写研 初版

 「新宿をとらえようと試みた言語は無数にある ところが 新宿と言う街は いかように細かく言語の網をかぶせても どじょうのような素早さでつるっと逃げてしまう 新宿ほど不可解な街はほかにない」東松氏があとがきに書く新宿像である。 「新宿という街は たとえそれが幻想だとしても 何か<自由>を感じさせる雰囲気につつまれている」氏の言う幻想かもしれない<自由>とは一体どんなものだろうか。突き詰められた究極の自由とは?
 「1969年の冬 新宿の街を吹き抜ける風はめっぽう冷たく ’70年から逆流して現在に荒れ狂う鉄の暴風によって<自由>は吹きちぎられようとしている 国家権力の重い影が・・・おお!新宿」荒れ狂う”鉄の暴風”たる国家権力の正体とは何か?

2003.10.21.

「おー日本」荒木経惟写真集
昭和46年 幹出版 初版

  現代日本を代表する写真家・荒木経惟氏の最初の写真集。スタジオで撮影された二人の女性のヌード写真が連続する。氏の代表作「センチメンタルな旅」の影に隠れ、写真評論からも無視されがちな本作品であるが、解説の内田栄一氏は「”芸術作品”の持っている虚妄の<管理欲>のようなものを本質的に一切放棄している」と積極的に評価する。自分の見たかった写真にまっすぐな荒木氏の写真姿勢に共感している。 女性の持つ”造形美”を主題にしがちなヌード写真。これだけ美しくない”女性”を美しくなくそのまま捉えようとする視点は確かに珍しい。若き日の荒木氏の決意を見た。さらに詳しい解説はこちら (背少痛み有)

2003.10.11.

「美の呪力」岡本太郎著
昭和46年 新潮社 初版

  「美」とは何か。 岡本太郎氏は”美術品”を「狭い枠の中に窒息してしまっている」と指摘する。「人間の生活はいつも全体であり、幅いっぱいにあふれ、ふくらんでいるはずなのに、その一部だけを引き抜いて固定し、形式化して味わう」事を批判する。 美は人間の根源にまで直結している、とする。 残ったものと残らなかったもの。例えば石器・青銅器時代には石器や青銅器が残る。しかし、呪術に用いられたであろう歌も踊りも残らない。その時代時代に生きた人間の活動から生まれたもの・こと。その「残らなかったもの」を掬い上げ、「残ったもの」と合わせることで、その時の人間がどう生きたか、を考えなければ「意味がない」と岡本氏は説く。 「美」とは人間が生きる事そのものの表現なのだ。
(毛筆献呈署名入

2003.10.01.

「TOKYO SUBURBIA」ホンマタカシ写真集
1998年 光琳社 初版

  「東京郊外」という名の写真集。分厚いボール紙でこの本は構成されており、一見絵本のような装丁に見える。近年になって立ち上がった東京郊外の風景が全編にわたって描写されている。ロードサイドのマクドナルドにゲームセンター、ファミレスとディズニー・ランド。極彩色の看板が眼に突き刺さる。 歴史の浅いこの街で育つ若い人たち。彼らにとっての”帰るべき故郷”、”帰るべき風景”は今から50年経ってもこの人工的な街以外にあり得ない。やがて年老いた彼らが懐かしく眺める風景が、この”絵本”としての写真集「東京郊外」には記録されている。ホンマ氏は50年後の絵本をこの写真集で編んでしまった。 恐ろしい事態である。
(附録
冊子付)

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