二年

快晴。たしか2年前もこんな天気だった。

ラジオは特別編成で2年前を振り返りつつ、現在とこれからを展望する内容を放送中だった。
2年前のあの時。ワタシは店に居た。あの日は金曜日だったので本の在庫状況によっては神保町に居たかもしれなかった。あの時店に居たのは今考えても幸いだった。ワタシが居なかったら対応出来ていないことがいくつもあった。
ラジコでラジオを聴いていたから、緊急地震速報も入らなかった。ガタガタと縦揺れが始まったと思ったらすぐに大きな横揺れが押し寄せた。地震がおさまらないうちに停電した。非常灯のオレンジ色を見たのは店を新築したとき以来のことではなかったか。
棚にはつっかえ棒をいくつも張っていた。これはオヤジの判断だった。随分オオゲサだな、と工事が終わった直後は思っていた。ところが、この工事のおかげで店の棚は全く倒れなかった。本も一部落下しただけでほとんど無事だった。
停電となり、夜に備えて近所を走り回ったがそのことは詳しく書かない。息子は地震の瞬間お友達と自分の部屋に居た。娘もしばらくして学校から帰ってきた。電池式のラジオをつけっぱなしにしていたが、放送内容はほとんど耳に入ってこなかったから、翌日になって大津波の報道に接した。すぐにラジオに切り替えた。津波の映像は見ていて耐えられなかった。
当日は真っ暗な中で夕食を食べた。あれから2年経つ。この日から5日後に娘は小学校を卒業していた。なぜか地震と卒業という2つの事柄が記憶の中で分断されている。娘の卒業はもう数年前の出来事みたいに思える。

あの日からはっきり変わったことの一つが、交換会の落札品の運搬を運送屋さんにお願いすることにした、ってこと。直後に東日本全体が極度のガソリン不足となり、それならプロに頼んじゃおう、って単純な発想だったけど、震度3くらいの地震が頻発していたから怖くてクルマを走らせたくなかった。もうあれからクルマで落札品を引取りに行くこともなくなった。その時間は仕事に充てたいから。

両親は震災特別編成のラジオを聴きながらもピンとこない様子。あまり詳しくは覚えていないのかしら。14時46分が来ても普通に喋っていた。それも”老人力”といえばそうかもね。でも、2年前の今日も愛書会展を翌週に控えている時期だったはずなのよん。

ワタシが貸した「桐島」のDVDを見た両親。驚いたことにオヤジは「全くわからなかった」という。母親はかろうじて「どの世界でも当てはまる人間関係が描かれてるわよね」って感想は持ったらしい。ワタシがあれこれと話すと「そうそう。私も観ててそう思ったのよ」とか喋りたがるから、少なくとも心のどこかには刺さっているみたいだ。
「ゾンビがリアルだったね」と言ったのはオヤジ。まさに「見た目」だけにしか反応してない(^^;。;。「バレー部の強い奴さ、あいつはイヤな奴だったよね」って3回くらい言っていたから、そこは印象に残っているんだね。「でさ、どのへんがアカデミー賞だったの?」とも聞かれた(^^;。もうメンドクサイから答えないでおいた。
「とにかく共学じゃないからわかんないよね」ってオヤジも母親も言ってて、たしかに母親は高校を女子校に、オヤジは中高と男子校に通っていた。「こういうメンドクサイ想いを高校生の頃にしなくて済んだ」ヨカッタヨカッタ的にまとめていた。なんだそれ。

仕事を終えてから「桐島」を観てしまった。これでいったい何回観ただろう。10回以上観てるのは間違いない。
332歩 0.19km 3分 15.1kcal 0.0g

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このページは、甘露日記が2013年3月11日 23:59に書いたブログ記事です。

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