幕末

晴れ。

朝飯を食べて仕事開始。荷造り作業を鋭意。いつもお買い上げありがとうございます。

今日は交換会へ行くことにした。車中ではひさしぶりに「峠」を開く。まだ読んでる(^^;。アタマの中は一気に幕末へ飛ぶ。・・・とはいえ、今読んでいるところは幕府瓦解後の戊辰戦争の件。
構図としては、薩長と会津の戦いになっている。本当は薩長と徳川の戦いになるはずだったが、徳川は「錦の御旗」が立った時からひたすら恭順を貫いた。振り上げた拳の落とし所が消えてしまい、そのまま抵抗する会津へ向けられた形。小説の文章も官軍という表記から西軍に改められ、東軍は会津を中心とした旧幕府軍ということになっている。
その西軍が長岡藩に迫ってきた。恭順するか、するなら援軍と軍資金を差し出せ、と。一方で会津は長岡藩の周りに展開し西軍と会戦することとなった。当然、長岡藩に対して早く同盟するように迫った。
総督となった河井継之助が下した判断は「中立」。そのために軍備を最新の洋式に改め、領内に侵入する者はすべて敵として攻撃するように命じていた。
この期に及んで中立を目指すことに対して藩内では異論も出た。尊皇派は早く恭順するべきだと主張した。恭順するにしても時期の見極めが必要、というのが継之助の考え。早すぎると会津との戦で先陣を受けなければならなくなる。そういう事態を避けるための軍備刷新だった。できるだけ時をかせぎ、互いの様子を見て和睦仲裁の役を長岡藩が務める。これが継之助の目指した形だった。相手に自分たちの主張を聞いてもらうための軍備。事態を見越した上でのこれまでの継之助の差配は際立っていた。
相手のある仕事だけに非常に難しい舵取りが必要。西軍からも東軍からも”敵”と認識されるおそれがある。継之助は西軍に使いを出し、明日陣中に伺う旨を伝えた。使者はその時の西軍の様子を継之助に伝えた。感触は悪くなかった。「中立」を認めさせることができるかもしれなかった。
ところが、会津は諜報によって継之助が明日西軍に赴くということを知ってしまった。翌日、会津は決死の覚悟で西軍に攻撃を仕掛けた。激しい攻撃によって敗戦した西軍は継之助と会見するどころではなくなった。と同時に、会津が仕掛けた謀略によって継之助の作戦は水泡に帰すこととなる。その謀略とは、戦場に長岡藩の軍旗をばらまくことだったという。

入札して昼飯。すぐ店に戻って荷造り作業の続き。ニュースの編集とツイート。

夕食を食べながら「ビブリア古書堂の事件帳」を見る。本というのはなんとも不思議な存在で、テキストでありながらモノでもあって、というエピソードだった。この「機能」はたしかに電書では再現不可能だね。
神保町の古本屋さんがでてきた。

夕食後、半額券を持って娘と二人でビデオ屋さんまで。やはりボカロがいいのね。
ワタシも昨夜からずっと初音ミクを聴いている。

夜、雨。
3777歩 2.26km 33分 201.2kcal 5.1g

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このページは、甘露日記が2013年1月23日 23:59に書いたブログ記事です。

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