1日店

快晴。

分散しながらも世間は夏休みに突入しているみたいだ。ウチは特別休み期間を設ける予定はない。
ラジオの交通情報で各地の大渋滞を伝えていたり、月曜日なのに発送荷物が少なめだったり、ああ、非日常が始まっているんだなぁ、って思う。

朝飯を食べてたらトラック。運送屋さんが交換会の落札品を運んで来てくれた。いつもありがとうございます。カーゴに1台分くらい。一週間でこれくらいの入荷量がちょうどいいのかもしれない。出ていくのと入ってくるのが均衡する。そうすると、毎週交換会へ通えるようになる。

先日来ちょこちょこと町山智浩さんの『ブレードランナーの未来世紀』を再読していたら、リドリー・スコット監督の映画「ブレードランナー」を見たくなり、昨夜は遅くまで鑑賞した。ずっと前に買ったディレクターズカットのDVD。この版は劇場公開時に見に行った覚えがある。
実は「ブレードランナー」は映画を見ただけだとその本当の価値に気が付きにくい作品だ。1982年劇場公開作。今ではすでに過去のものと言われている「ポストモダン」の近未来世界を映像化した作品だった。2019年のロスが舞台。それまで語られていたきらびやかな未来世界は現れず、「現在が腐った」ような近未来がそこにあった。
技術だけは進歩する。環境は破壊され植民惑星から運ばれる資源に依存するようになり、そこで働く労働力として”レプリカント”と呼ばれる人造人間が開発される。彼らは人間そっくりに造られ、人間以上の能力を持つ。星での重労働に耐えかねた一部のレプリカントが反乱を起こして宇宙船を奪い、地球へと戻ってくる。そんな危険な存在を野放しにはできないとばかり、”レプリカント狩り”をするために雇われたのがブレードランナーだ。
最近技術の進歩の話題が出るとつい「人型ロボットの究極は人間」ってフレーズがアタマをよぎるのは、いうまでもなくこの作品の影響(^^;。そして、町山さんの本の存在が大きい。人間そっくりのロボットができると人は不安になる。自分が本物の人間であることを証明できなくなるからだ。記憶が移植できる世の中になると、自分の記憶なのか他人の記憶なのか区別ができなくなり、それは結局自分が自分であることさえ証明できなくなることにつながっていく。
映画はエンタメ作品としてデッカードがレプリカントを狩ることに重点を置いている(ようにみえる)ので、人間そっくりのロボットができることの意味(恐怖)までは描いていないと思うが、この本はそれを補うように原作者:フィリップ・K・ディックの作品を例に挙げながら解説をくれる。今リメイク作が公開中の「トータル・リコール」もディック作品。記憶を売り買いできるものにしているが、そのことの本当の怖さまでは描いていないと思う。ハリウッドだとアクションや映像みたいな”面白さ”に映画が流れていってしまうからねぇ。

とても書ききれないのでこのへんで。
7794歩 4.67km 70分 393.7kcal 13.4g

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このページは、甘露日記が2012年8月13日 23:59に書いたブログ記事です。

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