交換会

腰痛の薬は1日3回塗っている。

症状はみるみる安定した。いつも悪化する直前に気がつけばいいのだけど、大抵不調が”本気”だったことに気がつくのって朝起きた時なのよね。つまり「寝りゃ治る」と思って放置すると翌朝には取り返しがつかないことに(^^;。快方に向かうのか、悪化するのか、の分岐点に気付いてさっと薬を飲めば(塗れば)朝起きたら治ってたかもしれないのに・・・。
こういう場面には何度も遭遇しているが、一度として悪化する直前のタイミングを制したことはない。これって”もったいない病”のたぐいなのか、”寝れば治る教”の影響なのか。

荷造り作業を鋭意。いつもお買い上げありがとうございます。なかなかご精算いただけない方がいらっしゃるなぁ・・・。いずれタイミングを見てブロックさせていただきますので。

昼過ぎに出て今日は交換会へ向かう。車中では「義経」の続き。壇ノ浦で平家を倒した義経。鎌倉に居る頼朝の不興を買っていることもわからず、後白河院から官位をもらったりする。頼朝は東国武士たちの所領安堵の願いを後ろ盾に武家の棟梁となっている。義経の「官位」を公卿化→敵化として扱った。全く政治に疎い義経はいずれ後白河院に操られて敵対する勢力となる。そう頼朝は読んだ。
義経にはそんな気持ちは全くなく、目付役の梶原景時が自分の讒言を兄・頼朝に送っているのが悪いと思っている。平家を倒し、官位を受けたことは何より源氏の名誉であり、兄は喜んでくれるだろう、と考えた。
平家の捕虜と関東の軍を鎌倉へ引き上げるため、頼朝は義経を酒匂まで寄越した。そこで兵のみを義経から分離した。腰越にて有名な「腰越状」を書いて頼朝に許しを嘆願をしたが、もちろん聞き入れられず、頼朝は義経追討に乗り出す。
あとは、義経が京都から九州へ向かって落ち、後白河院からも見放され、官位を剥奪されてただの九郎となってとうとう自害するまでを触れる程度に描写して物語は終わっている。
戦場に出れば軍神の如く活躍する義経に政治力が備わっていなかったのは、義経の歴史的役割が尽きていたってことなのかしら・・・。
政権を確立した頼朝もまた三代で北条氏に取って代わられる運命ってのも深い話だ。

入札を終えて昼飯。今日はよく晴れて暑い。そばを食べたい気分だったが、吉野家でカレーを食べてみた。

店に戻って荷造り作業の続きと本の整理。夕食を食べながら怒り新党。仮面ライダーって懐かしいねぇ。おやっさんはウルトラマンでも隊長だったなぁ。
4500歩 2.69km 41分 228.2kcal 5.2g

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このページは、甘露日記が2012年6月 7日 23:59に書いたブログ記事です。

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