今日も交換会

晴れてる。夜には雨の予報。

荷造り作業を終えて今日も交換会へ向かう。大市会で買った分はあらかた整理できた。ワタシの言う「整理」はココにある本を店の棚に収めた、ってことじゃなくて、ココにある本をお客様の本棚に収める、ということ。

車中では飯沢耕太郎著「写真とことば」を読む。写真家25人が著書などで語った言葉の抜粋に対して飯沢さんがコメントを付している。当時の日記などから取ってきている文章もあれば、ガチで写真論を書いている文章から抜いている箇所もある。やはり森山大道さんの文章は鋭いなぁ・・・。森山さんにとっての写真は自分の生とは何か、という命題に対しての自己確認の手段であり、観念や言葉の要素を排して生理的、感覚的なものとして捉えている、という。ひっきりなしにシャッターを切り、構図もピントもおかまいなしとなれば、写したご本人も現像が上がってきたフィルムを見るまで何が写っているかわからない、という状態。芸術・非芸術などという問題とは別次元。主観性・客観性などナンセンス。すべてから自由に撮りたいと思い写真の可能性を追求する。と。
荒木経惟さんの文章は「母の死 あるは家庭写真術入門」からの抜粋。いろいろな評論を読んでも、荒木さんの写真には死の色が濃いと評される事が多い。生(性)を撮っているはずなのに死がそのウラに写ってしまう。その不可思議さはこの文章を読むとなんとなくつかめる気がする。・・・この文章のクライマックスは母上が亡くなられてその遺影のためにポラロイド写真に写った母上とカメラのファインダー上で再会する場面だ。「アサヒペンタックス6x7に接写リング全部つけての複写作業は、母との時空世界であった。ボケの中から現れる母は、またすぐにボケの中に消える。そしてまた現れる。」その前段には家族アルバムをめくる荒木さんが亡くなる前の父上とも再会し、母上のセレクトで貼られた写真を見ながら母上への思いをかきたてていた。やばいやばい。泣いてる場合じゃないぞ。

入札。最終台には『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』が載っていた。こんなにたくさん見たのは初めて。終えて昼飯はカレー。出来てくるのを待ちながら、食べながら、本を読み続けた。お行儀悪い・・・(^^;。

店に戻って荷造り作業の続き。いつもお買い上げありがとうございます。本の整理を進めた。

夕食後、雨が上がっていたので、ちょっと走ってきた。
14863歩 8.91km 122分 818.3kcal 26.0g

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このページは、甘露日記が2011年10月14日 23:59に書いたブログ記事です。

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