大雨

天気が不安定なかんじ。

今日は朝からオヤジがクルマ屋さんにもうすぐ納車される「クルマの説明を受けたい」とワガママを言い、自宅まで出張してもらっている。クルマ屋さんは試乗車で来てオヤジにあれこれ説明したらしい。たぶんカーナビの使い方に話は集中しているものと思われ。
オヤジが実は機械オンチだった、って知ったのは前のクルマのカーナビを使えなかったことがわかってから。別に無理しなくていいと思うよ。機械に使われちゃうんじゃ本末転倒になるから(^^;。

説明の時間が午前中いっぱいかかってしまったらしく、オヤジは今日の交換会行きを断念してくれた。ワタシだけ電車に乗って出発。

車中では今日も宮崎駿著「出発点」を読む。巻末に差し掛かって作品論が来た。なかでも「未来少年コナン」について語っている箇所はうれしかった。監督はコナンをスーパーマンとしたくなかった、と言っているが、彼のラナを守るという一本通った信念のようなものは、結果として彼に周りの人をも巻き込む力を与えていた。
監督のラナへの思いは、出会いによってその後のコナンの運命を一変させてしまうインパクトを持つ”美少女”として描きたかったという話に端的。作画監督の大塚康生さんにそのことが伝わりきれておらず、第一話だけ”すごいブスラナ(原文のママ)”になってしまい、第二話から第八話まで取り切りに取った、という話も(^^;。
話が進んでいくに連れてモンスリーにも思い入れが来て、可哀想に思えて仕方がない。コナンに触れることで彼女が”浄化”していく過程をもサブストーリーとして描くことになる。浄化とはいろいろな拘りから解放されて”普通”になっていくことをいう、と監督。当初は悪役として徹しさせようと考えていたダイス船長も、モンスリーへの思い入れがつのった結果悪役から降りてモンスリーの結婚相手になる。つまり、”普通”になることで”浄化”は完結する。
ラオ博士とコナンの間で気持ちを引き裂かれていたラナも、最後はラオ博士への思いを小さくすることで漂流するコナンを発見した。ラオ博士が亡くなることでラナからも”問題”が消えた。
最終回でのこされ島へ向かう船に乗った面々には笑顔しかない。「漫画映画」を目指したという監督の物語は人が浄化する物語ということのようだ。
「未来少年コナン」は昭和53年に放送開始、とある。見てたよなぁ、小学生のころリアルタイムで。またコナンが見たくなってしまった。

入札を終えて昼飯。あれだけ晴れていたのに曇空になっていた。帰りの電車が多摩川を跨ぐ時、窓を雨が叩き始めた。その後は大雨。
4184歩 2.50km 38分 210.0kcal 5.1g

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このページは、甘露日記が2011年8月26日 23:59に書いたブログ記事です。

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