20世紀少年

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早起きして川崎へ向かう。「20世紀少年」を見てしまおう、という算段。

実は原作のマンガを読んだことがない。全く前知識のないままで映画に触れた。
コンビニ経営の40男が同窓会へ出席する。そこで"ともだち"と呼ばれる組織の存在を知る。
子供のころに書いた"よげんの書"の通りに次々事件が起きる。あの"よげんの書"の存在を知っている誰かが事件を起こしているらしい。その"ともだち"が使っている目のマーク。いったい誰が・・・。

それこそ、事件は自分の学区内という狭い範囲から発している。それが世界を破滅させるというところまで話が大きくなっていく。なぜ。なぜ。なぜの嵐。
いろいろな伏線らしきエピソードがところかまわず散らされ、果たして十分に回収されないままに話はクライマックスへと進んでしまった。ワタシの中のはてなマークは出たままの状態でエンドロール。次回予告が出て終わった(^^;。

おそらく原作の面白さがこの映画には十分に盛り込めていないはず。情報量が多すぎて載りきらなかったのでは。映像はさすが凝りに凝っていて、CGながら爆発シーンはかなりリアル。よく羽田空港と国会議事堂の許可が下りたね、と思った。主要登場人物の少年時代を演じる少年たちはバリ似(特にケンヂとドンキー)だ。

先日見たばかりの押井監督の「スカイ・クロラ」も暗かったが、「20世紀少年」も負けずに暗い。でも、物語の組み立て方・描き方が真逆だ。押井監督は中からドロドロと溶けていく内向的な破滅を描いたが、「20世紀少年」は派手に爆発する破滅型、って感じ。

金曜日、「スカイ・クロラ」を見たあと、すぐにビデオ屋へ走って「イノセンス」を再び借りた。さっき見終えたのだけど、攻殻機動隊ではネット空間というどこまでも"自由な空間"に放り出された人間の孤独を描いていた。「スカイ・クロラ」はその真逆で、閉じた世界で終わりなき明日を死ぬまで繰り返す"拘束された時間"に閉じ込められた人間の孤独を描いている。自由でも孤独。拘束されても孤独を感じる人間の、なんと不自由なことか。ある人は押井監督を"鬱映画の巨匠"と評するが、言い得て妙だと思う。人間はどんな境遇に立っても必ず不安にさいなまれる、というのが、おそらく彼の世界観なのだろう。

ただ、ワタシの心に迫る表現は、断然押井監督の捉え方だ。「20世紀少年」は情報不足で途中から完全に置いていかれた。
10046歩 6.02km 86分 506.8kcal 17.6g

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このページは、kanro30が2008年9月 7日 23:59に書いたブログ記事です。

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