1日店

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くもり空。

昨日の話の続き。
日露戦争での一つの焦点となった203高地攻防戦。組織というか、作戦の違いによって大きく結果に違いが出た。第三軍の乃木希典司令官には砲兵出身の専門家が参謀として付き、作戦を考えた。もともと司令官は統率することが役目であり、作戦にはタッチしないことになっていた。さらに、砲兵出身の参謀だったこともあって、乃木司令官としてはすべて参謀に任せていた。それが司令官として取るべき立場だった。
ところが、時に専門家は、知識があるが故に傍目から見て"どうして"な判断を下すことがある、と著者は言う。この203高地攻撃がまさにその典型例だった。
旅順に入った児玉源太郎は参謀と激論を交わす。28サンチ砲を使い前線へ援護砲撃をなぜ行わないか、と質したところ、前線にはこちら側の兵が居て、彼らを避けて砲撃をすることは不可能。天皇の子である彼らを撃つことはできない、と言った。それをしないから、むざむざと6万人もの兵士が旅順要塞のミキサーにかけられたのだ、ということがわかっていない。逆にその参謀は大本営がこちらの要求通りに兵と弾を送ってこないのが悪いと言い出した。参謀は一度も前線を視察することなしに遥か後方の本部に籠って作戦を立てていたという。その理由は、砲弾の飛び交う音で落ち着いて作戦を考えることができなくなるから、だった。恐るべき視野の狭さだ。
28サンチ砲によって203高地を攻撃せよ、と命じた児玉源太郎には無論砲術の専門的知識などない。でも、要塞には大砲による攻撃が一番効果的だということくらいはわかっている。参謀はこの期に及んでまで、大砲の移動を渋った。理由は移動に大変な手間と時間(1か月ほど)がかかる、ということだった。豊富な専門知識が判断を誤らせることもあるのだな、と思った。実際の大砲移動作業はたった1日で完了したのだった。
こういった戦場でなにより必要とされるのは、専門的な知識よりもまず、広い視野と強い行動力だということだ。

今日は店で写真集がいくつか売れた。「食事」「狩人」「にっぽん劇場写真帖」「蜉蝣」「東京郊外」。本はFEDXで旅立つ。
2480歩 1.48km 25分 112.2kcal 2.6g
280628.JPG

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このページは、kanro30が2008年6月28日 23:59に書いたブログ記事です。

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