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甘露(593) タマゴンさんへ 題名:Re[3]:ありがとうございます

書きこみありがとうございます。

お探しの本が見つかるといいですね!
http://www.kanroshobo.com    

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98) 投稿日 : 2001年5月28日<月>20時18分


タマゴン(592) 甘露さんへ 題名:ありがとうございます

本当にありがとうございます。
出来る限り、今も自分なりにではありますが、
アラーキーさんの出版物リストなどを拝見して
これかな?などと探してはいるのですが、
やはり、そこはリストだけにタイトルなどしか解らなく、
途方にくれているしだいです。
お金に余裕があれば、片っ端からこれかな?といった本を買うのでしょうが…   

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98) 投稿日 : 2001年5月26日<土>17時08分/逆立ち中/おさる/思春期


甘露(591) タマゴンさんへ 題名:Re:探し物

はじめまして。

お話をお伺いしていて、自分の無力さを思い知りました(^^;。タマゴンさんがお探しの雑誌が何なのか、ワタシにはわかりません。申し訳ないです。

本屋は本のタイトル、出版社などを索引に自分の記憶を引き出そうとします。逆にいえば、そのあたりの情報が提供されなければ探しようがないのです。

ホント申し訳ないです。
http://www.kanroshobo.com    

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98) 投稿日 : 2001年5月26日<土>00時49分


タマゴン(590) 題名:探し物

突然ですが私は、アラーキーさんの作品をよくは、知りません。最近あるきっかけで、作品を探しています。約10年位前に撮影されたのですが、コンビニなどに出回るヨウナ雑誌では、ない。縄で縛られた女性が、写っているらしいのです。その中に当時のお弟子さんの写真も載っているらしくその作品を探しています。
どうか教えてください。お願いします。   

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98) 投稿日 : 2001年5月24日<木>18時34分/逆立ち中/おさる/思春期


甘露(589) 題名:甘露通信の在庫をアップデート

本日、甘露通信の在庫をアップデート致しました。

HDクラッシュの影響が残り、一部在庫状況に誤りがございますが、どうかご了承くださいませ。ご迷惑をお掛けし、申し訳ございません。
http://www.kanroshobo.com/TUSHIN/    

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 95) 投稿日 : 2001年5月23日<水>20時47分/神奈川県/男性/30歳代


甘露(588) 題名:16万ヒット

本日、16万ヒットを記録いたしました。

いつもご来場頂き、ありがとうございます!
http://www.kanroshobo.com    

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 95) 投稿日 : 2001年5月21日<月>20時20分/神奈川県/男性/30歳代


甘露(587) おにりんさんへ 題名:Re[3]:何をもって一流か

おにりんさん、まいどです。

>たんにブランドですね。

そうなんですよね、今回そこに気が付いたんです。
http://www.kanroshobo.com    

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 95) 投稿日 : 2001年5月20日<日>21時20分/神奈川県/男性/30歳代


おにりん(586) 甘露さんへ 題名:Re[2]:何をもって一流か

>冷静に考えてみれば、日本製PCでもCPU、OSなど最重要部分は日本製ではありません。他のユニットだって表向きは日本のメーカー製と表示されていても下請けは海外だったりしますから、何一つ日本で作られていないんじゃないか、ともいえます。コストカットの錦の御旗の下、重大なことを日本は手放してしまっているのではないか?と危機感を募らせます。日本ではたかがHDユニット交換するのに1ヶ月もの期間を要求するんです。それがアタリマエとしてしまったら、日本という国の存在さえ危うくなる思うんですね。

はれ?

設計は、日本じゃないですけれど、作っているのは、やっぱり日本じゃなくて台湾だったりしますか、、。
液晶は日本製が多いとか。IBMのパソコンはほとんど台湾製だし、メモリーとかは日本製が多いとか、
CPUはっていうと、韓国あたりのほうがすごそうですね。日本じゃあコストがかかって。
OSは、っていうと、アメリカ製のOSっていうか、でも、作っているのはアメリカ在住のインド人多数、中国人多数とか。
結局、大メーカーのパソコンなんて、アセンブリがどこで行なわれたか、程度の意味しかないし、それもよくわからない。
たんにブランドですね。

ここんところメーカー製のパソコンはもう何年も使っていない(あ、職場の借り物がGateWayだったか)ので、よくわかりません。
HDは、秋葉原で買えばむちゃくちゃ安いし、即交換できますよ。

カメラの場合、既にあらゆる部分が技術的進歩を必要としないってところに来ています。
ようするに、今の技術を使っても、せいぜいAF,ATをどうするか、っていう程度になってしまう。
で、レンズのほうも、プレス加工の非球面レンズなんかが普及してきちゃうと、設計の自由度も高くなりますので、
コンピュータ設計のどうのこうので済んでしまう。で、もちろん、球面レンズの段階からかなり煮詰まっていたこと
でもあります。
明るいレンズが!っていうのが一時話題になった時期があったけれど、明るいレンズはどうしても被写界深度が
ないから、フォーカシングが難しいし、ピントのあった部分以外のボケが酷いから、そういう写真になってしまう。
暗いところをとりたかったら、感度の良いフィルムを使うほうが良い。で、ある時期から、ASA100よりも、ASA400
くらいが主流になって(もうそーとー昔ですけど)、その後は、ズームでF2.8のお手軽レンズのカメラが増えて
きて。
そうなると、個々のカメラの個性は趣味の問題で、どういう写真が撮りたいから、どういうカメラということになるので、
進歩云々じゃなくなります。

パソコンは相変わらずムーアの法則が有効だし、ハードディスクの容量は年々倍増していますから、2年もたったら
もう使えません.
でも、それも、「そろそろスピードアップの必要なし」という時代にきつつあるんです。動画処理が落ち着いたら、PC
の速度向上の必要はなくなります。それとともに、半導体設計の限界も物理的にみて、0.01um が限界なんです。
素子あたりの電子数が1個になっちゃいますので。そろそろ、0.1um でしょ。まあ、十年後でしょうか。私が6年前に
半導体開発やっていたころは、0.35umが主流でしたが、6年で3倍くらいの集積度ですから、あと10年だと、確実に、
0.03くらいには行きます。たぶん、そこで限界が来ます。そのあとしばらくは、安定化まで数年かかるでしょうけれど、
今、多くの人は、CPUの速度よりも、もっと別の「利用方法」に興味が移ってきているから、PCそのものは進歩しない
時代になるでしょう。   

Mozilla/4.61 [en] (Win98; I) 投稿日 : 2001年5月20日<日>14時54分/でんぐりがえり/うさぎ/花盛り


甘露(585) S.K.さんへ 題名:Re:何をもって一流か

S.K.さん、まいどです。

愛機といえば愛機なんですけど、やはりカメラなどとは違いますよね。パソコンって最初から寿命が決まってますから、買ったその日から”目減り”が始まるんです。カメラにはむしろ年月とともに思い出が詰まっていく。同じ工業製品でもこの違いは興味深いです。

冷静に考えてみれば、日本製PCでもCPU、OSなど最重要部分は日本製ではありません。他のユニットだって表向きは日本のメーカー製と表示されていても下請けは海外だったりしますから、何一つ日本で作られていないんじゃないか、ともいえます。コストカットの錦の御旗の下、重大なことを日本は手放してしまっているのではないか?と危機感を募らせます。日本ではたかがHDユニット交換するのに1ヶ月もの期間を要求するんです。それがアタリマエとしてしまったら、日本という国の存在さえ危うくなる思うんですね。

日本の消費者だってバカばっかりじゃない。いずれ名前だけの大メーカーには顧客管理を怠ったツケがまわっていくでしょう。必ず。

駄目なところは潰す。そうしていかなければ日本の構造改革なんて一歩も進みっこないと思うんです。
http://www.kanroshobo.com    

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 95) 投稿日 : 2001年5月20日<日>09時26分/神奈川県/男性/30歳代


S.K.(584) 題名:何をもって一流か

こんばんは。おひさです。愛機のPCが不調とのこと、なにやら大変ですね。店を出たあとの『変な薄笑み』、私もその感覚わかる気がします。
>大メーカーを疑え
この教訓はどんなものにもいえますね。これからの時代、製品そのもののクオリティ以外で(顧客サービスなど)勝負できるところが良いかも。どんなに大きなメーカーのマスプロダクトよりも、弱小メーカーのちっぽけな製品のほうが満足度が高い場合があるんですよね、うん。一流メーカーの定義とはいったい・・・。
   

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90) 投稿日 : 2001年5月20日<日>01時35分/徹夜中/パカボン/おやじ


甘露(583) 題名:東京愛書会

5月18日(金)、19日(土)の2日間、東京愛書会展が神田駿河台下交差点そば、東京古書会館2階で開催されます。当店も文学書はもちろん、キリスト教書、カメラ書、写真関係書も廉売させていただきます。どうかご来場くださいますよう、お願い申し上げます。
なお、会場にて2万円以上お買上げいただいたお客様には、送料サービスで発送も承りますので、どうぞご利用願います。
http://www.kanroshobo.com    

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 95) 投稿日 : 2001年5月17日<木>22時25分/神奈川県/男性/30歳代


甘露(582) おにりんさんへ 題名:Re[17]:良い写真?

おにりんさん、まいどです。

どうもでした。

この一連の話があれこれ展開していく中で、カウンター数は結構上がったように思うのですが、ワタシとおにりんさんの会話に参加してくださる方がいらっしゃらなかったのが少し残念ですねぇ(^^;。
http://www.kanroshobo.com    

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90) 投稿日 : 2001年5月16日<水>23時23分/神奈川県/男性/30歳代


おにりん(581) 甘露さんへ 題名:Re[16]:良い写真?

>きっとそのあたり曖昧な部分が白日の下に晒されれば、そのやり方で「天才」になれると、真似を始める人が出てくるんでしょうね。言ってみれば「荒木経惟の作り方マニュアル」です。ワタシは荒木さんの写真を”見て楽しみたい”と思ってますので、知りたいとは思えませんけども・・・(^^;。

それとも、荒木さんの写真における表現の仕方、撮影テクニックなどの多くは
他の写真家でも十分に持っているものであり、荒木さんだけが特別なわけでは
ないが、荒木さんの写真集は、なんせ、特別に卑猥、猥雑、SM系、出版され
ているものも、発禁ぎりぎりなので、他の一般写真家の写真集よりも、なんと
なく目にする人が多いので、結果として、その「よさ」を知る人も増えてしま
うという理由なのか、ってところですね。

ま、結果論なのか、最初から狙ったのかは別にして、意地悪く解釈すれば、
荒木という写真家は、きわめて巧妙にプロデュースしてきて、その結果とし
て有名な写真家になり、その後は、その地位を利用して、さらにさらに、
とやってきたようなことにはなりそうです。

どうも、ながながとお騒がせしました。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/7202/OkinawaIndex.html    

Mozilla/4.75 [ja] (Win98; U) 投稿日 : 2001年5月16日<水>15時45分/サボリ中/うさぎ/思春期


甘露(580) おにりんさんへ 題名:Re[15]:良い写真?

おにりんさん、まいどです。

>荒木さんには、「制限された条件の中での最大の効果を
>得る写真を撮ろう」という気持ちはないようだというのは正しいと思いますが。
確かにそうですね。

>その後は、その天才であることを良いことに、やりたい放題の写真を撮り、ときに
>信者をつなぎとめ、時には、また、いろいろな写真をとって「こんな写真もとれ
>るぞ」ということを認識させつつ、きわめて巧妙にやってきた、というだけなの
>か、それとも、氏には、それらインパクトに基づく売名的な行為によらずに、
>すごい表現力や素晴らしい写真の撮り方というものがあるのか、、です。
確かにそういう側面もあったでしょうねー。
ワタシの好きな荒木さんの写真は、陽子さんを撮りつづけた一連の作品群と、東京写真です。あ。秋桜子さんの写真も好きですね。それは一度オリジナルを扱えたからかもしれませんし、一度直接お会いしたからかもしれません。好きだという言葉には色々な経験や想いが含まれています。SM写真は正直、そういう世界もあるのか・・・という程度の興味しか持てないですね(^^;。

>そこを知りたいと思うんです。私はなんかあるような気がしていますが、それが
>信者になっていない人にも分かるような、なんというか、氏の写真の撮り方、
>写真そのものの見方について、なんかあるのでしょうか?
きっとそのあたり曖昧な部分が白日の下に晒されれば、そのやり方で「天才」になれると、真似を始める人が出てくるんでしょうね。言ってみれば「荒木経惟の作り方マニュアル」です。ワタシは荒木さんの写真を”見て楽しみたい”と思ってますので、知りたいとは思えませんけども・・・(^^;。
http://www.kanroshobo.com    

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 95) 投稿日 : 2001年5月12日<土>22時00分/神奈川県/男性/30歳代


おにりん(579) 甘露さんへ 題名:Re[12]:良い写真?

>金にも株にも相場があります。高いときもあれば安いときもある。良い、悪いなんてその時点での一時的な評価に過ぎません。

とすると、私には、千年の時を越えて、ずっとだれも壊そうとせず、のこされた、
古代の彫刻などに「普遍的な美」というものを感じますが。

荒木さんの写真の中に緊縛その他が多いです。最近ではSM文化のようなものが、
ウラのほうでは、かなり盛んだし、人間にはそういうのを趣向する本性がある
のかとも思っていましたが、あの手の文化って、最近西欧の近代初期における
魔女裁判の本を読んだところ、「なーんだ、これの亜流ね」ってことで、すで
に昔から使い古されたものであることも分かった。

魔女狩では、年老いた女性を逮捕して、陰毛をそり、そこにただれとかそういう
「魔女の印」を発見して、拷問し、その拷問はまさに今のSMなどでよくでてくる
ような方法の数倍激しいやつですね。それから、自白させて、すっぱだかで
火あぶりする。それをみんなで見る。

悪魔に取り付かれたうら若き修道女を、すっぱだかにして十字架に貼り付け、煙
でいぶしつつ、鞭で叩いたり、本人が修道女あるまじき「悪魔の言葉」としての
下品で卑猥な言葉を吐き出すのを、衆目が眺めていた。これが悪魔払いで、近代
初期の一種の「娯楽」だったわけです。しかも、正しいキリスト者としての、
正義の名のもとになされた、とんでもないSMショウ。

全てが、異端を排除するという正当な正義によってなされていたわけですが、、
で、これについて、正義のキリスト教異端審問官のランクルなんて人は、正義
正当とした上で、エロ小説よりもすごい内容のことを、もっとも教養のある知識
人として、絵入りの本として書いて、それが当時、結構読まれたとかね。そういう
絵ってすごいですよ。

っていうか、もう、使い古されたテーマなのでは、ってね。
http://plaza.harmonix.ne.jp/~onizuka/KyotoNara/index.html    

Mozilla/4.7 [ja] (Win98; I) 投稿日 : 2001年5月12日<土>16時32分/綱渡り中/うさぎ/思春期


おにりん(578) 甘露さんへ 題名:Re[14]:良い写真?

>インパクト=売名なんだ、というロジックにおにりんさんはどうしてもこだわりますよね・・・(^^;。表現として成立していない程度の稚拙なインパクトならきっと無視されて終わりです。法律違反=評価する価値なし、と簡単に終らなかったのは一体どうしてなのか。考えてみる必要があります。なぜ荒木さんは法律違反して事情聴取され、罰金刑を受けながらも評価が地に落ちなかったのでしょう。頭っから否定してしまっては理解の生まれようもありません。

いや、それは簡単です。既に、そのインパクトにはまった「信者」が多数いたから
です。評論家の中にもね。あるいは、その前にインパクトによって十分の評価を
えて「天才」として祭り上げられていたからだ、とも言えるし、また、その信者
のみなさんの中には、荒木氏の本来の意図とは別に「なんらかの良さ」を自分なり
に発見していたからかもしれません。

どっちにせよ、女性を針金で縛って卒倒するほどの苦痛を与えて写真を撮る。
法律違反までして、写真をとる。

というあたりからして、荒木さんには、「制限された条件の中での最大の効果を
得る写真を撮ろう」という気持ちはないようだというのは正しいと思いますが。

ようするに、最初の段階でインパクトの強い写真を撮り、それをいろいろな人
たちに見せて、「自分は天才なんだ」と言う形でプロデュースし、そして、その
斬新だと思わせ、すごいとおもわせることで、一応の信者を獲得し、評論家の中
にもその信者を増やし、一応の「天才」としての名をはせることに成功。
その後は、その天才であることを良いことに、やりたい放題の写真を撮り、ときに
信者をつなぎとめ、時には、また、いろいろな写真をとって「こんな写真もとれ
るぞ」ということを認識させつつ、きわめて巧妙にやってきた、というだけなの
か、それとも、氏には、それらインパクトに基づく売名的な行為によらずに、
すごい表現力や素晴らしい写真の撮り方というものがあるのか、、です。
そこを知りたいと思うんです。私はなんかあるような気がしていますが、それが
信者になっていない人にも分かるような、なんというか、氏の写真の撮り方、
写真そのものの見方について、なんかあるのでしょうか?
http://plaza.harmonix.ne.jp/~onizuka/KyotoNara/index.html    

Mozilla/4.7 [ja] (Win98; I) 投稿日 : 2001年5月12日<土>16時22分/綱渡り中/うさぎ/思春期


甘露(577) おにりんさんへ 題名:Re[13]:良い写真?

おにりんさん、まいどです。

>荒木さんは少なくとも法律違反はしているわけです。

法律違反で取り締まられても表現したかったものがあったわけでしょう。そうすることで売名したいと思ったのかどうか、は、我々外野には知る由もありません。そしてなりより、法律が永久不変であるなんてこともありません。

インパクト=売名なんだ、というロジックにおにりんさんはどうしてもこだわりますよね・・・(^^;。表現として成立していない程度の稚拙なインパクトならきっと無視されて終わりです。法律違反=評価する価値なし、と簡単に終らなかったのは一体どうしてなのか。考えてみる必要があります。なぜ荒木さんは法律違反して事情聴取され、罰金刑を受けながらも評価が地に落ちなかったのでしょう。頭っから否定してしまっては理解の生まれようもありません。
http://www.kanroshobo.com/    

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90) 投稿日 : 2001年5月12日<土>01時47分/神奈川県/男性/30歳代


おにりん(576) 甘露さんへ 題名:Re[12]:良い写真?

どうもお付き合いいただいています。

>それは極論というものですよー(^^;。奇をてらったのかどうか、インパクトがあるのかどうか、はあくまでも受け手の印象です。表現者が何を意図してそれを発表したのかどうかは、その本人にしかわからない事です。

たとえば、レストランで、すごいいろいろなダシを上手く使い、食べた人が
「うーむ、これはおいしい」とうならせる料理人がいて、それゆえに非常に
多くの人がそこに足を運ぶようになったとしましょう。

このようなレストランと、味はさておき、「むっちゃくっちゃ激辛で、対して
美味しくもない料理を出すが、激辛であるが故にとっても繁盛しちゃった
レストランがあるとしましょう。

っていな話です。で、後者のレストランに「激辛であるが故に通いつめた人たち」
のうちの何人かが、激辛以外の要素で、どーってことない味に、なんとなく「良い」
とはまって、さらにさらにその料理が好きになっちゃった、、、。

てなことがあるかもしれませんですよね。

あるいは、その激辛料理屋で、食べた人の何人かは病院に運ばれ、それゆえに、
その料理人が警察から呼ばれて、逮捕されて、しばらく営業禁止命令を受けたと
いうニュースが巷に流れたが故にさらに有名になったとか。

ってな話ですよね。

荒木さんは少なくとも法律違反はしているわけです。
http://plaza.harmonix.ne.jp/~onizuka/KyotoNara/index.html    

Mozilla/4.7 [ja] (Win98; I) 投稿日 : 2001年5月11日<金>23時15分/布団の中/うさぎ/思春期


甘露(575) おにりんさんへ 題名:Re[11]:良い写真?

おにりんさん、まいどです。

>とすれば、やっぱり甘露さんがここでおっしゃる芸術とは、悪い言い方をすれば、
>奇をてらった、インパクトの強い、ある人からは嫌悪感をもたれて嫌われる可能性
>もあるが、そのインパクトと「異常性」によって、幾分かの「好きもの」が興味
>を示すことにより、知名度があがることで、成り立つもの、、ということになり
>ますよね。
それは極論というものですよー(^^;。奇をてらったのかどうか、インパクトがあるのかどうか、はあくまでも受け手の印象です。表現者が何を意図してそれを発表したのかどうかは、その本人にしかわからない事です。

ストリップのつもりで踊ったお姉さんを「芸術的舞踊」と評価した文化人、芸能人の反応というのは象徴的ではないですか。全く逆に、本人が「芸術的舞踊」のつもりで踊ったのにストリップとしか評価されないこともあり得ます。
彼女が何のためにその踊りを踊っているのか。ストリップ劇場でこれをすることでギャラが頂けるから彼女は踊りに磨きをかけるわけですね。それを「芸術」だと評価してもらっても彼女にとって何にもならないと「彼女自身」が判断したわけです。それはそれで彼女の生き方です。

有名になることで自分の影響力を広げたい、と考えて写真を撮る人も居るでしょう。その傍らで、自分の納得できる写真だけ撮りたいという人も、食べていくために写真を撮りたいと思う人も、単なる趣味として写真を楽しみたいという人も、居ます。荒木さんは初期の複写集団ゲリバラ5で森羅万象のすべてを写真で複写しようとしていたようです。

インスタントラーメンを美味しく作るのが得意な人が居たとします。煮る時間や入れる具の組み合わせが良かったのか、彼は遊びに来た友人の誰からも「うまいうまい!」と絶賛されたので、自分にはラーメンの才能があるんだ、と思いました。よし、今度は本物志向で行ってみよう!と決意し、麺も手打ちでスープも自分で作ることから凝りだしました。自信満々で友人に試食してもらい、正直に感想を言ってみてよ、と彼は言ったのですが、友人からは「これならラーメン屋に食べに行くよ」と言われました・・・。
譬えが適当かどうかはわかりませんが、ここでは「うまい!」という基準が明らかに動いています。ラーメン屋と比べたらラーメン屋の方がうまかったのです。当たり前といえばアタリマエですが、物事の評価というのは相対的なものであることが多いのです。

金にも株にも相場があります。高いときもあれば安いときもある。良い、悪いなんてその時点での一時的な評価に過ぎません。
http://www.kanroshobo.com/    

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90) 投稿日 : 2001年5月10日<木>12時04分/神奈川県/男性/30歳代


おにりん(574) 甘露さんへ 題名:Re[10]:良い写真?

こんばんわ。
やっぱりいろいろかんがえちゃいました。

>昨日は一日亀山湖。俗世間と隔絶された場所で一日浮かんでまいりました。

あ、そういうのやっぱりいいですよね。下のページに、私の京都奈良の写真も
掲載中です。
>日仏学院の展示の感想は興味深いですね(^^)。ワタシは見に行かなかったから何ともいえませんけど、少なくとも誰かの心に突き刺さる写真いうのはそういうものですよ。「写真」は「芸術」と言い換えることも出来ます。一般人から見てキ印でなければ到達できない境地もあるでしょう。芸術は常に万人に受け入れられるべきものではありません。

とすれば、やっぱり甘露さんがここでおっしゃる芸術とは、悪い言い方をすれば、
奇をてらった、インパクトの強い、ある人からは嫌悪感をもたれて嫌われる可能性
もあるが、そのインパクトと「異常性」によって、幾分かの「好きもの」が興味
を示すことにより、知名度があがることで、成り立つもの、、ということになり
ますよね。

以前、東京のどこぞのすトリップ劇場の踊り子さんが、独特の裸踊りをして、
テレビなどで有名になりました。名前は忘れましたが。何度もテレビでその
踊りの様子が放映されて、しかも、結構いろいろな文化人とか芸能人とか、
その手の番組の司会者などが、「これは、素晴らしい舞踏ですね。芸術的な」
みたいなことを言っていた。

ところが、その踊り子さん、テレビ出演しているときに最後の最後まで、
「私のやっているのは、ストリップです。」ときっぱりと言い張り、自分の
やっている裸踊りに対する賞賛などで喜ぶわけでもなく、それが芸術といわれ
たことを喜ぶでもなく、「私はストリッパー」を強調していたんで、司会者とか
がしらけちゃった。

この場合、彼女が、自ら「私は天才的な舞踏家です」といって、さらにインパクト
を求めて、いろいろ開拓したら、彼女は天才舞踏家となったのかもしれませんね。
http://plaza.harmonix.ne.jp/~onizuka/KyotoNara/index.html    

Mozilla/4.7 [ja] (Win98; I) 投稿日 : 2001年5月10日<木>01時02分/布団の中/うさぎ/思春期


甘露(573) 題名:女旅情歌

一ヶ月ぶりに荒木さんページを更新しました。今日は「女旅情歌」です。日本各地を女旅する荒木さんと女性たちのエピソードが詰まった写真集です。

150,000Hitありがとうございます!いつのまにか達成していました(^^;。
http://www.kanroshobo.com/KANROKANRO/ARAKI/    

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90) 投稿日 : 2001年5月8日<火>19時31分/神奈川県/男性/30歳代


甘露(572) おにりんさんへ 題名:Re[9]:良い写真?

おにりんさん、まいどです!

昨日は一日亀山湖。俗世間と隔絶された場所で一日浮かんでまいりました。

日仏学院の展示の感想は興味深いですね(^^)。ワタシは見に行かなかったから何ともいえませんけど、少なくとも誰かの心に突き刺さる写真いうのはそういうものですよ。「写真」は「芸術」と言い換えることも出来ます。一般人から見てキ印でなければ到達できない境地もあるでしょう。芸術は常に万人に受け入れられるべきものではありません。

>こういう要素を全く排除した場合に、荒木さんが現在もっているような「知名度」を確立していたと思いますか?

歴史に「もし」はありません。両親、生まれた環境、時代、そのすべてが荒木さんという写真家を生み出しています。全てが写真家荒木経惟を構成する要素です。おにりんさんの言いたいことはわかる気もしますが、それを検証したとしても、その結果には何の意味もありません。

「グロい写真」とは何を指すのかがはっきりしませんが、荒木さんのなかでは写しながら「グロい」という意識があったかどうかはわかりませんよ。売れるために発表したのかどうか、というのも我々外野には知る由もない。
「グロい」「気分が悪い」「キチガイね」は観客の見た感想です。映画でもそうですが、すぐにその劇場から退場すれば済むことです。別の気に入る作品を選びましょう。「嫌いだ」という気持ちを否定出来ないように、作品を製作・発表する作家の表現を規制できるのは法律だけなのです。
http://www.kanroshobo.com/    

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90) 投稿日 : 2001年5月6日<日>15時21分/神奈川県/男性/30歳代


おにりん(571) 甘露さんへ 題名:Re[8]:良い写真?

>小説と同じです。文章はうまいのに話がつまらないってことがあるでしょう。一流の作家と同じ環境に置かれればいい小説が絶対に書けるわけではないのです。

小説の場合、文章が上手いとかもありますが、そもそも、整合的で、まっとうな
ストーリーの展開を組み立てるだけで、ものすごい労力が必要です。登場人物の
関係、どのときのどこにそれぞれの人物がいて、どういう人とあっていて、という
ストーリー発展の整合性をきっちり考えてチャート作ってプロットつくって、最終
的に、きっちりやるのはかなりの労力が必要です。実際、小説家さんはこういうこ
とやっています。もちろん、文章も、多くの人がうけつける程度であれ、文法的に
まっとうなものをミスなく書こうとすると大変な労力と技術が必要です。

ようは、小説が、読んでみてつまらなくても、しょーもない小説でも、上に書いた
ような最低限の「小説がもつべき整合性」とか「健全性」がなければ、ダメなんで
すよ。いかにストリー展開がおもしろくても、時間の関係がぶっこわれていて、
べつに、そのぶっこわれているのが主題となっているパラドックスものなら、いい
わけはできますが、それでも、そこにきちんとした合理的、整合的なストーリーの
糸をこわさないようにしていなければ、どんなに面白くても「駄作」です。

で、写真の場合、たしかに、ピントと絞りとシャッター速度とそういうのが適切
でとるべきものが、枠にきっちりきれいに入っているという構図になっていれば、
これらは、「良い写真」のための必要条件になっているか?なんて話かな。

まあ、ボケボケ真っ暗、ぶれまくり、を「良い写真」とするなら、それはそれで
もう私にはわからない世界ですね。もちろん、沖縄で秋桜子さんをとったもので
マーケットで撮ったものは、そういうのですが、偶然の幻想性があって面白い
かもしれませんけどね。   

Mozilla/4.7 [ja] (Win98; I) 投稿日 : 2001年5月5日<土>03時33分/布団の中/うさぎ/思春期


おにりん(570) 甘露さんへ 題名:Re[8]:良い写真?

>「最高」という定義は非常に曖昧です。

では、こう理解してよいですか?

荒木さんは、本来撮りたい写真があって、たとえば、日常の中にある物語と
おっしゃるようなものとか、そういうの。
でも、それを人に知らせるには、知名度が必要で、そのためには、まず、
ファンを獲得しなければならないから、そのために、きわめて、グロい写真
をとって、時には、罰金刑を受けたりもしつつ、有名になるために努力し、
で、結果として、ファンがあつまったので、そういうファンを喜ばせる
インパクトの強い写真もつぎつぎ出しつつ、ときには、自分の本当に撮りたい
写真もとり、いろいろな写真集を大量にだしているのだと。

>また、誰が最高と評価してくれれば「最高の作品」になるのでしょう。荒木さんの「センチメンタルな旅」は当時写真評論家から酷評されています。しかし現在はその価値も表現も「最高」と評価されています。荒木さんをいいという大勢の人が評論家の評価をも覆したのです。

少数の宗派が政権をとったのです、、カルトですね。
批判らしいものが、聞こえてこないのがどうもカルト的ですよねー。違いますか?   

Mozilla/4.7 [ja] (Win98; I) 投稿日 : 2001年5月5日<土>01時52分/布団の中/うさぎ/思春期


おにりん(569) 甘露さんへ 題名:Re:つづきです

>一番わかりやすいのは写真館で撮るハレの日の写真です。

これは分かりやすい例ですね。

いや、絵画ならデッサンのよしあしや色使いなど。
歌手で、音痴ならどうにもなりませんよね。
世の中に、某Kがプロデュースしている、KMみたいな音痴もいるし、
もとアイドルで演歌歌手の、NYも音痴だし、中年バンドのAの高音パートのT?も音痴で、
まあ、結構こういうのがいて、商売になっているらしいのは、なんだかなーと思います
が私は、特別に音感が良いので(絶対音感なんていう超能力はありませんが)、こういう
人たちの音痴の音程のズレを聞くと耐えられないわけです。

>その写真家を天才と思って信奉する人がいる限り、思わない人も確実にいるのです。何をもって天才とするかが曖昧である以上、凡才であると規定することも出来ません。裸の王様という言葉もあります。

たとえば、荒木さんの写真展が、日仏学院で開かれたときに、私もいってきました
が、日仏学院に通っている、30代から40代を中心とした学生さん(おもに、
在仏経験があるとか、仏文科を出たとかの既婚女性が多いですね)には絶不評で、

「なんで、あんなに気持ちのわるい写真を学校の中にあんなに貼るかなー。
見ているだけで、気分が悪くなるし、どうしてこうまで変な顔の嫌な写真ばっかり
とるのかなー。きっと撮っている人の気持ちが捻じ曲がっていて、キチガイね。」

というのが一般的な感想だったわけです。

荒木さんの写真には、女性ファンが多いですが、生理的に荒木さんの写真に、
嫌悪感を示す女性もかなり多く、どうやら、これは、爬虫類を平気で手でさわれ
るか、あるいは、みただけで卒倒しそうになるか、その中間か、くらいの感覚の
違いに相当するようです。どうしても受け入れられない女性がかなりいる。

>ワタシが荒木さんの写真を信奉するのは、日常の何気なく過ぎていく時間の中に物語を求める荒木さんの写真に対する考え方に感銘を受けたからです。どんな女の人でも脱がしてしまう撮影テクを持っているからではありません。

たしかにそういう部分はありますね。物語を求める。
でも、荒木さんが、最初に人をひきつけ、すくなくとも男性の多くが、でっかい
本屋で多少なりとも写真集の立ち読みの経験があるのは、その「エロさ」が、
芸術写真家の中では突出しているからであり、また、彼自身が、規制を超えた
非合法写真を撮っていることも事実で、これによって、また派手な行動をして
いるのも事実です。
甘露さんにとって、こういうおにりん的には「邪道」な行動をする荒木さんに
対して、こういう要素を全く排除した場合に、荒木さんが現在もっているような
「知名度」を確立していたと思いますか?   

Mozilla/4.7 [ja] (Win98; I) 投稿日 : 2001年5月5日<土>01時46分/布団の中/うさぎ/思春期


甘露(567) おにりんさんへ 題名:Re[7]:良い写真?

おにりんさん、まいどです!

渋滞なしのドライブというのは気持ちのいいものですよね。ワタシが亀山湖までわざわざ遠回りして陸周りで行くのもその理由があるからです(^^)。

さて、写真の話ですが、

まず「最高の作品」という定義は非常に曖昧なものだと思います。

言ってみれば人の数だけ「最高」があるわけで、万人が認める最高はきっとインチキだと疑ったほうがいいと思います(^^;。いっそその人ひとりに”写真家”という称号を与えれば済みます。
撮影者とモデルさんにとって「最高の作品」を撮ったとしても、見る人までがそう思う保障はどこにもありません。写真集として発表した場合「いいとは思ったけど、買わない。」というような反応ばかりなら失敗と評価されるでしょう。

最高にきれい撮るのか、最高に売れる写真を撮るのか。どの最高を目指して写真を撮るのでしょう。目指す目的へ到達する手段として写真術があります。手段でしかない写真術を極めたとしても、最高の写真が撮れるかどうかは全く別問題です。

いい機材から何からすべて揃っていればいい写真が撮れないはずはない、とおにりんさんはおっしゃいましたが、ワタシはそうは思わないんですね。これがお互い微妙に論点がズレたまま話が進む原因と思われます。機材や技術が全てではないのです。小説と同じです。文章はうまいのに話がつまらないってことがあるでしょう。一流の作家と同じ環境に置かれればいい小説が絶対に書けるわけではないのです。金持ちなんだけどケチだ。いい人なんだけど愛する対象ではない。帯に短し、たすきに長し。いろいろあります。

「最高」という定義は非常に曖昧です。

また、誰が最高と評価してくれれば「最高の作品」になるのでしょう。荒木さんの「センチメンタルな旅」は当時写真評論家から酷評されています。しかし現在はその価値も表現も「最高」と評価されています。荒木さんをいいという大勢の人が評論家の評価をも覆したのです。

教科書的写真術の極みは芸術写真とは違う頂きに我々を導きます。一番わかりやすいのは写真館で撮るハレの日の写真です。あの写真には写真術のプロとしての数々のノウハウが込められ、家族にとって最高の写真になるために生まれます。この写真を最高ではないという権利は我々にはありません。もちろん売れるような写真でもありません。しかし、その家族にとっては家族の時間を記録した「最高」の写真なのです。

>いわゆる常識的なセンス、あるいは技術としての写真術の中でその天才写真家のもつものが、本当に天才であるといえるのか、それとも、そういう部分はまるで凡才であるが、撮るもののすごさ、インパクトをもってその写真家の価値がきまっているのか、そのあたり、甘露さん自身はどう考えますか?

その写真家を天才と思って信奉する人がいる限り、思わない人も確実にいるのです。何をもって天才とするかが曖昧である以上、凡才であると規定することも出来ません。裸の王様という言葉もあります。
ワタシが荒木さんの写真を信奉するのは、日常の何気なく過ぎていく時間の中に物語を求める荒木さんの写真に対する考え方に感銘を受けたからです。どんな女の人でも脱がしてしまう撮影テクを持っているからではありません。すごい機材で作品を作っているからでもありません。他の写真家のように非日常を捉えることが写真だとばかり、あっちこっちへ出かけて写真を撮らなくても、わざわざキレイな人を連れてきてキレイに撮らなくても、自分の身の回りにまず撮るべき被写体がある、と表現し続けた荒木さんの写真が好きなのです。だからってこの人が撮った写真は全て好きだと言っているわけではありません。荒木さんのページで取り上げようと思わない写真集もあります。荒木さんの写真には正直ツマンナイ作品もあるとワタシは思っています。

女性を”キレイ”に撮るテクニックなら篠山紀信の方がきっと上でしょう。しかし、女性はキレイでなければ写真に撮るに足らない対象なのでしょうか。女性はキレイに撮らなければならないなんて誰にも決められません。では誰の為に写真を撮るのでしょう。被写体になってくれた人のためでしょうか。

少なくともその写真が最高かどうか最初に決める権利は撮影者に帰属します。自分が最高と思わなければ他人が最高と思う機会さえ奪われるのです。その現実が動かない以上、写真は撮影者自身が自己表現のために撮るという事実を確認することまでしか出来ないようにワタシは思います。

答えになってないですよね(^^;。フクザツすぎてワタシの頭ではここまでがやっとです。
http://www.kanroshobo.com/    

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90) 投稿日 : 2001年5月4日<金>20時49分/神奈川県/男性/30歳代


おにりん(566) 甘露さんへ 題名:Re[6]:良い写真?

どうもです。
>旅先からの書き込み、ありがとうございます。京都・奈良ですか、いいなぁ。

でき心でいった旅なので計画性もありません。結局奈良は、もう三度目の古墳巡り
でした。京都奈良合わせて500枚くらいとってきました。帰りもすいすいと
高速が渋滞もなく(連休中なのに)、3日よるのうちに、っていっても、12時
ちょいと回りましたが、戻ってきました.

>、、、ことが逆に表現の制約に繋がることもあると思います。

いや、制約の中で、最高のものを目指す努力はしないのだろうか?ということ。
戦後くらいのアメリカのハリウッド映画では、キスシーンは3秒までという制約
があったが故に、当時のバーグマンなんかが出たようなすごい名作の中の、
すばらしいキスシーンがあったわけです。
卑近な例で、アダルトビデオなどは、制約がある日本もののほうがはるかに、表現
が凝っている。だから印象としてすごいです。アメリカものは、みせりゃーいいん
だろーみたいな、安直な作りのものばかりです。

>AFに自動露出となれば、撮影者の自由になるのは構図とシャッターチャンスだけです。

だったら、それに最大の努力をして、最高の作品を作る方向性にいかないのだろう
かという疑問です。

>つまり、自分で自分の写真を”いい”と思い、発表し続けていく意欲なくして写真家にはなれないでしょう。常に発表して世間の目に触れさせる努力抜きには食べていける写真芸術家にまではなれないような気がしています。

とすれば、その写真家は、ある意味でカルトの教祖様のようなものではないかと。
信奉者は信者であると。

いわゆる常識的なセンス、あるいは技術としての写真術の中でその天才写真家のもつ
ものが、本当に天才であるといえるのか、それとも、そういう部分はまるで凡才で
あるが、撮るもののすごさ、インパクトをもってその写真家の価値がきまっている
のか、そのあたり、甘露さん自身はどう考えますか?

>よくカメラ雑誌などで写真教室,,,,,,,中略、、、、、そんなことに気が付いてからそういうコーナーを読むことを止めました。

この間、本屋で、「見れば分かる、良い写真と悪い写真」とかいう内容で、写真の
良い悪いを見せている本がありました。

結局、その本のいっていることは、適正露出と、捉えるものを、きちんと捉えた
構図と、そしてシャッターチャンスということで、そんなんはちいとばっかり写真
とれば分かるだろう、みたいな。

>もちろんカメラという道具を用いる以上、取っ付きとしてはこういう教科書的知識は必要でしょう。

プロとアマの違いを考えますと、、

1)プロは、アマが持たない、高級なカメラやいろいろな付属品、交換レンズを持っている。
2)プロは、一般に、それら高級な「装置、機械」を使いこなす経験をつんでいるので、それらを使いこなせる。
3)プロは、アマにくらべて、同じ状況でも撮る写真の数が一桁か二桁多い。
4)プロは仕事だからということで、撮りたい写真に必要な状況を作ることができる。
たとえば、名声があれば、良いモデルを選べるし、また設定するのが大変な、
スタジオを使えるし、また、小道具もいろいろそろえられるし。
5)プロは、助手をつかって、写真を撮るべき舞台設定をいろいろ作れる。
レフ板つかったり、複数のフラッシュを設定したり、いろいろ。

まあ、ほかにもあるでしょうが、これだけの差があれば、良い写真がとれないはずは
ないので、その意味でもプロはよい写真を撮らなければならない存在ですね。
AFで、ATなカメラ、いわゆる「バカチョンカメラ」が出て、かつ、デジタルカメラ
は、枚数もたくさん撮れる。とった写真の仕上げにレタッチが使えるとなると、
1)、2)、3)と、5)くらいは素人との差がつきにくくなってきました。

>しかし、写真芸術ということになれば必要のないことです。むしろ意識してそういう教科書的な常識を破っていかなければ人からの注目を集めることも出来ません。

そこですよ。意識して破っていくこと、これが本当に必要なのか。
正当な写真で、人を驚かせる、すごいと言わせる写真が撮れないが故に、意識して
規制概念、倫理、道義を破っているとしたら、邪道ですね。そこが難しい。

クラシック音楽はマーラー、ブルックナーの時代にやるべきことはやり尽くして、
もはや破壊以外には、あらたな音楽を創造することができなくなった、という
ことで、シュトラビンスキーあたりが、いわゆる現代音楽の方向性を打ち出した
わけですが、もちろん、彼の最初のその手の音楽が演奏されたときは、腐った
果物とかが、客席から投げつけられたそうです。

ま、写真は最初からそういう要素があるのかもしれませんが。 

Mozilla/4.7 [ja] (Win98; I) 投稿日 : 2001年5月4日<金>17時48分/布団の中/うさぎ/思春期


甘露(563) おにりんさんへ 題名:Re[5]:良い写真?

おにりんさん、まいどです。
旅先からの書き込み、ありがとうございます。京都・奈良ですか、いいなぁ。

写真を自己表現の道具として考えている人にとっては、おにりんさんのおっしゃっているように、写真が「写実的」になってしまうということが逆に表現の制約に繋がることもあると思います。
いいかげんに写そうとしてもカメラがそうさせない。AFに自動露出となれば、撮影者の自由になるのは構図とシャッターチャンスだけです。つまり同じシチュエーション(カメラ・レンズ・フィルムも同一、三脚も同じ高さ)でプロの隣に居てシャッターを切ったら、風景写真であればほとんどというか全く同じ絵が上がってくることになります。

そうなると、何がプロとアマを分ける要素になるのか、となりますよね。同じオリジナル写真でもファンを抱えるプロが署名すれば立派に売り物となるほど価値がつきます。その一方でアマの人がサインしたとしても、普通は何も起こらないでしょう。

おにりんさんもおっしゃった
>しかし、実際のところ、芸術写真家が、芸術写真家として、成り立つには、その
芸術写真家の写真を「良い、好きだ」というファンなりなんなりがいないといけ
ません。
という部分にこの問題の全てが集約されているように思います。

ワタシは幸運にして古書店主という立場から一人の天才写真家が生まれていく過程を実際の活動(写真集・写真展)の記録から概観することが出来ました。
身近にいた編集者は彼を「なる天才」と称し、彼は「努力して天才になった人だ」と言いました。メディアに自分を売ることが出来なければ、自分がメディアになるしかない、とばかり、コピーした自分の写真を綴じて著名人に送りつけることも彼は売れない時代にやりました。それが著名なプロのすることかといえば答えはNOでしょう。アマの自分の良さをどうやって売っていったらいいか、どうやってファンを獲得すればいいかというプロデュースの才にも長けていなければなりません。
つまり、自分で自分の写真を”いい”と思い、発表し続けていく意欲なくして写真家にはなれないでしょう。常に発表して世間の目に触れさせる努力抜きには食べていける写真芸術家にまではなれないような気がしています。

よくカメラ雑誌などで写真教室やカメラ教室というコーナーに講師として登場する”写真家”が何人かいます。こうすればいい写真になる、と彼らはいかにももっともらしく解説を施していますが、その人たちの写真集をワタシは見たことがありません。教えている事の結果としてこういう写真集が出来ました、ということがないその人たちの解説って一体何なんだろう。そんなことに気が付いてからそういうコーナーを読むことを止めました。
もちろんカメラという道具を用いる以上、取っ付きとしてはこういう教科書的知識は必要でしょう。しかし、写真芸術ということになれば必要のないことです。むしろ意識してそういう教科書的な常識を破っていかなければ人からの注目を集めることも出来ません。
ただ、それによって表現のエスカレートを余儀なくされるかどうか、は別問題でしょう。期待されているものと自分の表現の進んでいきたい方向性は常に葛藤を生みます。芸術家にとってなくてはならない要素です。一箇所にとどまるかどうかも含めて悩みながら進むべき道は表現者自らが選択します。それでいいのだと思います。

>写真の世界にも、合成、レタッチの「非現実を描いた写真」が出てきた。
「tokyo nobody」という真昼間なのに人っ子一人居ない渋谷ハチ公前交差点などが表現された”非現実”世界を表現した写真集が売れているそうですね。S.K.さんに伺いました。これなんかデジタル画像技術がなければ表現できなかった世界でしょう。興味深いです。

「表現したい」という強い想いを反映させる道具として、カメラやデジタル技術が存在します。カメラがあるから写真撮らなきゃ、というのではやはり本末転倒なワケですよね。>ワタシの事です(^^;。
http://www.kanroshobo.com/    

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90) 投稿日 : 2001年5月3日<木>11時40分/神奈川県/男性/30歳代


おにりん(559) 甘露さんへ 題名:良い写真?

京都でせっかくとった写真のうち30枚以上をうっかり消してしまって
真っ青のおにりん@奈良南部橿原です。

車で、「関西いってみるか、オレの車も関東出たことないし」とおもって、
30日の午後になって、ぷらっと出て、中央高速にのったら、全くの渋滞なしで、
あれよあれよという間に京都に到着。宿もすぐに見つかって、一泊。でも、さすが
に2日の夜は宿がないそうで、夜中には戻ろうかと。
一泊目は京都で、今日は、奈良南部の橿原市に来ています。

で、京都の平安神宮と南禅寺とその関連の庭園写真撮りましたが、そのうち、
あーっと30枚か40枚、うっかり消してしまってショックです。
結構綺麗な庭園写真があったはずなのに、、。

良い写真とはなにか、ということについて、わからないっていうのは、ようするに、
写真として、マトモな写真という基準はなにか、ということがあると思います。
一つには、露出がマトモでシャッター速度が適切で絞りが適切でピントがあって
いる写真です。で、これはオートでかなりよいものができてきたし、デジカメなんか
はそれが最初からデフォールトでついているのが多い。

さて、もちろん、ピカソなんかは、写実的な絵がかけるのに、わざと破壊的な絵を
描いて、抽象画っていうか、なんともいえない画風を作り出したわけですけど、
その場合は、写実的なんてどうでもよいというか、もちろん、かなり技巧的に、
写実的要素をぶちこわしたといえなくもない。

そもそも絵画が「写実的」から「抽象的、印象的」になった理由は、写真が登場
したことと無縁ではなく、写真は、最初から「写実的」ですから、とったものは、
すくなくとも、確実に、物理的に存在した現象をそのまま写し取っているわけで
凝るとしたら、その設定としての、スタジオ、演出、そして、シャッター速度と
絞りと露出をあわせて、ピントをしっかり合わせるだけです。
演出の妙はありますね。

で、写真は最初から、芸術写真としては、絵画が抽象絵画になった時代にうまれ
たものですから、最初から、ある意味で抽象的、印象的なものを目指す方向が
運命付けられていたともいえる。しかし、写真そのものは、きわめて写実的な
ものでして、人間の写実的絵画をはるかに越えちゃった写実的映像表現を可能に
するのに、そこに、「抽象的、印象的」なものをすりこまないといけないという、
ものすごい矛盾したものになっているといえますね。

さて、そういう中で、写真芸術において、甘露さんがおっしゃるような、「自分
がいい写真ならいいんだ」という単純にして明快な価値基準もあるわけですが、
しかし、実際のところ、芸術写真家が、芸術写真家として、成り立つには、その
芸術写真家の写真を「良い、好きだ」というファンなりなんなりがいないといけ
ません。

いったん、ファンになってしまった人は、その芸術家の作品を追いかけますから、
追いかければ、やがて、その中に作風の変化とか、技術の発達とか、表現方法の
進歩といったものが系統的に理解でき、それぞれの発達、変化、進歩を発見する
ことが喜びとなり、その芸術家の作品が、好きとか、嫌いとかいうよりも、その
作品の系統的な変化や断続的な変化を求めるようになるでしょう。
これは、オタクですね。良い悪いを越えた。

で、最初にどっかで、その芸術家の作品が多くの人の目に触れて、そして、ファン
を獲得しないと、上の「オタクを獲得する」こともできず、よって芸術家そのもの
が存在できない。っていうか、その人が活躍する場が得られない。

で、どうするかというと、最初に、「いままでの人がやらなかったようなことを
して、インパクトで有名になる」というプロセスが必要になるのではないか、と
思ったわけです。その人がやらないこと、というのは、道義的にやらなかったこと
技術的にやらなかったこと、倫理的にやらなかったこと、なども含まれるのかも
しれません。

で、最初に「いままでやらなかったことをした」ことでインパクトのある芸術を
発表し、そして、それによって、名声をえて、その人が「天才」とか呼ばれると、
今度は、「天才のやることは正しい」ということになって、世間の趣向がちがって
くる。道義的、倫理的に「まずい!こんなことをしてはいけない」とおもって、
多くのそれまでの芸術家がやらなかったことをやってしまったことで天才になった
芸術家が、天才とされたことで、その道義的、倫理的なことが「いいじゃないか、
これも芸術だ」ということにされる。

問題は、その芸術家が、さらに新規のことをやろうとすると、さらにインパクトを
ださねばならず、そこで、エスカレートが起こる、とまあ、こういうモデルを考え
てみたわけです。

ピカソ美術館にいって、ピカソの絵が、一般に、でっかいキャンバスにかかれて
いることを知りました。で、絵はキャンバスがでかいほど高い値段がつきます。
使う絵具の量が多いのと、キャンバスを塗りつぶすのに、時間がかかるからです。
#これは、一般的な画商の態度としては、正しいです。

でも、ピカソの絵は、刷毛のでっかいので、どばっと塗っただけの部分が多い。
それと、キャンバスに塗り残しが多い。とすれば、うがった見方からすればです
が、ピカソは絵を高く売り、また大きさによってインパクトを出すために、主と
して、でかいキャンバスに乱雑に絵具をぬったくっただけ、ともいえる。これを
「新しい芸術だ。オレがやったんだからそうなんだ。オレは世界が認める天才だ
からだ」といってやったとしたら、これは、私的には、邪道です。

もちろん、これが私の、「うがった見方」であるとは思いますが。

さて、絵にも、破壊以前の正当的な絵があった。
たぶん、理性的、合理的な意味で、写実的であり、そして、さらに、人々の多くが
みて、「良いと思うものを目指す」絵がありました。

その時代の絵は、遠近法を使い、正しいデッサンを取り、そして、美しいものを、
そのまま美しく描こうとする態度であり、また、表現でもあった。

ただ、写実的なものは、現実そのものだから、やがて刺激に乏しいものになる。
最初は、みたものそのものに描かれることで素晴らしいといわれたけれど、
そのうちに、「現実的にありえるけれど、至極異常な状況を描いた写実画」が
増える。小説でも、猟奇性や異常性愛をあつかった「現実に起こりえるけれど、
実際にはかなり異常なものを描いている作品」が次第にふえてきた。

写真は最初から、写実だった。
で、小説の分野では、ふたたび、幻想やファンタジーが増えてきた。
その中で、写真の世界にも、合成、レタッチの「非現実を描いた写真」が出てきた。
なんか面白いですね。

結論は、なしです。   

mozilla/4.7 [ja] (Win98; I) 投稿日 : 2001年5月3日<木>00時50分/旅先/うさぎ/思春期


 

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