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渋谷ハチ公前スクランブル交差点は、何時行っても人混みでむせ返る。通過する時間を誤るとJR渋谷駅の混雑と相俟ってとんでもないことになる。あまりの人の多さに、この交差点をただ行ったり来たりしている人が半分は居るのではないか?と思うことさえある。
これだけ人が行き来する空間である。いろいろと思惑を持ってこの場所に目を向ける人は大勢居る。このスクランブル交差点で信号待ちをしていれば、声を掛けられている人の多さにいやでも気が付くはずだ。
この立て看板も、この空間を行き来する人を目当てに作られたものだ。にっこり笑ってカメラに収まった鈴木京香も、まさかこんな姿でハチ公前スクランブル交差点に置かれるとは思ってもみなかっただろう。本人はこれを見たとき何を思うだろうか。こういう「物件」をカメラに収めようとするには、目立たないヘキサーが最適だ。
赤瀬川原平氏ほか、路上観察学会の方々は、過去に人間によって造られ、いつの間にか忘れ去られたが偶然残されているものに価値を見い出し、「物件」として珍重したが、主にひっそり佇む”静物”が中心だった。この看板は同じく人間によって生み出され、時を経ることもなく壊れるか新しいものが出来れば消えて無くなる、いわば”動物”と言えよう。風俗店やラーメン屋の新規開店の立て看板など、街を見渡すと”動物”的な物件は結構多い。街が活動している目安にもなっている。時代を反映して出来たこうしたものは、後で見てみるとその時代を振り返る格好の資料となる。日々の暮らしに追われ、”思想”するヒマを持てない現代日本人が未来に残していけるものは、意外にこんなつまらないものなのかもしれない。いや、これが現代人の生きた証なのだ。
ヘキサーというレンズの歴史は古い。昭和6年に製造されたヘキサー135mmF4.5は国産第一号写真用鏡玉である。製造元である小西六は、創業明治6年と歴史が古く、杉浦六三郎が薬種問屋小西屋六兵衛店において興した写真用材料を扱う会社である。なんとも「6」に縁のある会社である。昭和62年に「コニカ」と社名変更をしてしまったため、「6」にまつわるヘキサー、ヘキサノンの由来が、社員でさえいずれわからなくなるのではないか?と心配だ。
小西六は明治時代には日露開戦の直前にカール・ツァイスからプリズム式双眼鏡を5個取り寄せ、その中の一つが東郷大将に収まり、有名な日本海海戦での勝利に影ながら貢献した。大正時代には、フォクトレンダーの写真用鏡玉を輸入販売し、大正天皇を撮影した「へリア」の販促広告を大々的に打っている。そんな伝統ある会社の作ったレンズを付けた現代AFカメラがこのヘキサーなのである。
ヘキサーはパッと見ただけの者にはその価値を語らない。中古市場に流通している量を見る限り、店頭では銀色に輝くポルシェのボディとツァイスの目を持つコンタックスT2を選んだ人ばかりであったようだ。しかし、手に取って外に持ち出してみれば、ヘキサーはゆっくりとその価値を語り出す。AFは機敏でなかなかはずさない。絞りはほぼ円形である。室内では開放から何とも言えない良い描写をする。サイレントモードを使えば、ライカを凌駕する静かなレリーズ音で撮影できる。電池を食わないのも隠れた利点だ。
筆者が本格的にカメラを始めたきっかけは、このカメラの写りの良さにのめり込み、偶然同じ名前のレンズを持つ小西六の「パールII」をカメラ屋の店頭で見つけたためである。やはり筆者の人生にコニカは深く関わっている。 |