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デジカメの普及が急だと聞く。フィルムカメラが店内でも隅の方に追いやられ、デジカメは目立つ場所にドンとコーナーが設置されている。集客力も大きいようだ。これも時代の流れなのかもしれないが、実は冷静に考えてみると、この両者は全く性質が異なる製品だ。
化学変化を利用してフィルムに画像を定着させるのが銀塩写真とするならば、CCDで画像をデータ化・ドット化させるのがデジタルカメラだ。共通しているのはレンズを通して画像を記録するという機能のみで、出力形態は全く違う。つまり厳密には、最終的に撮影した画像を”鑑賞”するのか、PCに取り込むのか、によって用途を使い分ける必要がある。
デジタルデータは劣化しない。複製を簡単に作れる。というのがデジカメで撮影する理由の大きなものだが、電源がなくなれば撮影はもとより、データの閲覧も不可能となる。紙にプリントして鑑賞する際も、データであることが災いして
大きく引き伸ばししようとした時に弱い。
銀塩写真は撮影されたネガ・ポジはオリジナルとして絶対的な存在となる。物質としての紛失や焼失などの事故リスクは常に付きまとう。そのかわり、ネガからは大きく引き伸ばした画像を得ることができる。35mmネガフィルムからは信じられないほど沢山のデジタルデータが抽出できるという。雑誌の使用記でデジカメの性能を語る際、未だに「銀塩に遜色ない」という表現が使われるほど、銀塩写真の持つポテンシャルはデジカメを軽く凌駕している。画質を要求される
ファッション誌のグラビアページ用撮影現場ではデジカメの出番はない。
ただし、用途の違いはわかったとしても、このIXY DIGITAL30のように小さいカメラを銀塩カメラで作るのはもはや不可能だ。ライカが決めた映画用135フィルムという物質に記録する70年以上前の規格を変えない限りは、デジカメの設計自由度に銀塩はとてもかなわない。そばに置けるモノとしての魅力がデジカメにはある。
「出来上がった写真はサービス判で充分」とか、「要らない写真が増えて困る」という人が大半を占めるとすれば、デジカメの普及も頷ける。銀塩カメラは一時のLPとCDの交代劇のようにシェアが逆転することになるだろうが、用途がもともと違う製品である以上、銀塩の需要も枯れることはないと思われる。
カッコいい、というほとんど衝動買いで買い求めた今回のIXY DIGITAL30。初代はたしか衝動買いなんてできないくらいもっと高価だった気がする。現在はあれもこれも一緒に付いて4万円台。記録媒体の小型化・電池性能の向上がこれからも続くとすれば、性能はもっと上がって価格がさらに下がった新製品が次々出てくるのだろう。カメラとムービー撮影機能を取り込んだケータイ電話との競合がこれからの流れになると思われる。
2003年6月10日記 |