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■ズミクロン35mmと歩く谷中

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谷中は山の手線円内に残る数少ない東京の昔を語ってくれる街だ。古い街にはライカが似合う。M3にお気に入りのズミクロン35mmF2を付けて、東京日和の昼間に散歩した。 

谷中の起点はJR日暮里駅である。この写真は、駅を出てすぐの谷中墓地へ上がる階段から撮影した。山の手線、京浜東北線、新幹線、高崎線、京成線など、沢山の電車が橋下を走る。大ターミナル駅である日暮里だが、谷中への起点でもある。奇跡的に大資本から守られている谷中。

 ビルの立ち並ぶ東口とは対照的に、坂があって大きな道を作る事が出来ないからか、昔乍らの商店街が西口には残っている。この坂を下っていくと、夕焼けだんだんを下り、谷中銀座商店街へ出る。

 昔乍ら、というのはここでは誉め言葉になる。商店街に張り出す樹、高くない建物、雑然と置かれた”商売道具”。管理が雑なようでいてすべて把握しているんだろうな、と思わせる。

 日暮里駅からまっすぐ進んでくると、「夕焼けだんだん」という階段に当たる。たしかにここから見える夕焼けは見事であろう。以前よりは空が狭くなってしまったため、その見事さも減ってしまったかもしれないが、空を写したくなる風景である。
あまり語られる事はないが、空を覆う高層ビル建設も、れっきとした環境破壊である。

↑拡大図があります。クリックして下さい。

 夕焼けだんだんには居着きの猫がいる。そばにあるすし屋さんがえさを与えているためだ。
 猫のいる街は人間にとっても住みよい街だ、という人がいる。確かに猫も住めないような街では人間だって住みにくい。以前は繁華街にいた猫もカラスに追われてこういうのんびりした街に落ち着いていくのではないだろうか。

谷中の墓地の広大な敷地は、天王寺というお寺の元境内だった。その天王寺の隣にあるアパート。いかにもアパートである。東京では「これでは家賃が取れない」、と小奇麗にした上で名前も洒落たものをつけているのが普通ではないだろうか。立て直さず、家賃を低く抑えて貸し出す。これも昔乍ら。

谷中の墓地の中ではあまり写真を撮らない。が、これは別格。墓地のど真ん中にある公園に佇むラクダ3頭、ウマ3頭。もちろん公園には人っ子一人いない。そんな公園のなかでまるで主人を待っているかの如く整列している動物たち。そうか、ここはこの世の人の為の公園ではないのか、と合点し、「お騒がせしました」と、退散する。

←拡大図あり。クリックして下さい。

 別格その二。墓地の中でそそり立つ銀杏の樹。なかなか立派である。墓地には墓石が立ち並んでいるため、一見無機的な印象を持ってしまうが、墓の中に入っているのは昔人間だった人たちである。この銀杏の血管のように張られた有機的な枝ぶりを見てその事に気が付いた。このそばに幸田露伴の小説にもなった五重塔跡がある。昭和34年に焼失したのだが、若い男女が恋を清算するため火を付けて心中したためらしい。やはりここは無機的な場所ではない。

 墓地になくてはならないお店。花屋である。墓地の大通りを抜けきったところにある。昔乍らの建物で商売をしている姿は、同じ商売人としてうらやましくもある。8枚玉ズミクロンの弱点は逆光時のゴーストだ。ただ、この写真では花屋のイメージがやさしく表現されているので、ズミクロンの気遣いかもしれない。

 墓地を出るとこんなトイレがあった。家族をデフォルメした像が印象的だ。歩いてみればわかる事だが、この街には家族が存在する。東京といえば生活感のないワンルームマンションの一人暮らしが普通になってしまった。それだけに家族の存在する東京の街は貴重だ。

 いよいよお寺銀座の中へ入ってきた。見事な築地塀である。お寺は大小沢山ありすぎて、メモを取らない限り、とても覚えきれるものではない。カメラを片手に持っているため、メモも取れず。
 ちなみにこのお寺は観音寺という。

 塀の出来に感心しながら塀沿いを歩いていくと、向こうからキャッキャッと声がし、バタバタばたッと小学生が走り出てきた。とっさにノーファインダー、目測でシャッターを切る。そういえば子供のころは普段から走り回っていた。歩く事は増えたが、走る事はほとんど無くなった。走れなくなるとき、人は大人になってしまうのかもしれない。

 筆者が東京を徘徊するのは、決まって午後2時から3時頃。その時間はちょうど下校時間に当たるようだ。これから何処へ行こうか、と相談をしているのだろうか。

 人形を作るお店である。通り過ぎるとき、誰かに見られているような気がして気が付いた。一瞬ぎょっとするほど造りがいい。荒木経惟の東京日和という本にこの場所を写したカットがある。「木村伊兵衛さんちどこかなぁ」

↑拡大図あり。クリックして下さい。

 人形屋さんのとなりはお寺の経営する幼稚園。その隣にはお地蔵さんが遠慮がちに佇んでいた。隣が花屋で、その隣が和菓子屋。お供えには事欠かないはず。いいトコにいるねぇ。

昔乍らの生け垣である。剪定を必要とするため、現代では少なくなってきた。そう思えば、ずいぶん立派な生け垣である。

 この樹は以前エルマーでも撮っている。ほぼ同じ場所から撮影したが、画角の差で樹は少し遠ざかり、レンズの描写の差で幾分雰囲気も違っているようだ。

 元風呂屋さんの建物をギャラリーにしている所があった。外観は風呂屋のままで、天井のひろびろとした内装を生かし、ギャラリーにしたのだ。外観を保存する、という意味では非常に良いと思う。が、ギャラリーでは興行面では難しそうだ。維持費がペイできない、とならない事を祈る。

 お寺が立ち並ぶ街には、古い佇まいの和菓子屋が良く似合う。岡埜榮泉という名前の和菓子屋は、わが街新丸子にもある。ひとつのブランドなのかもしれない。

↑拡大図あり。クリックして下さい。

 岡埜榮泉の前には「愛玉子」と書いて「オーギョーチー」と読む台湾にルーツを持つ甘味やさんがある。その前を通りすぎると、いよいよ谷中から上野へと移ってゆく。上野桜木の交差点には佐野屋という酒屋があるが、正面にある冷蔵庫の中、ビールケースはすべて「キリン」。看板には「キッコーマン」。なにか江戸東京たてもの園の展示のような不思議な雰囲気だ。

 東京芸術大学を通り過ぎ、いよいよ上野公園にさしかかる。これは京成線の「博物館・動物園駅」だった建物である。利用者の少ない事を理由に閉鎖されたが、京成線で通う芸大生には便利な駅だったはずだ。京成線友の会と名乗る者が「この駅の復活を待望する」と入口に蓋をしている板に落書きしていた。建物が残っているだけよしとしなければならない。

国立博物館でドラクロワが公開された。国宝展以来のすごい行列を見た。行列を撮っても仕方ないので、上野公園に遊びに来た子供たちと看板を合わせた。

 上野にはいくつか映画館がある。最近は映画館が遠くなった。2時間映画館の座席に座ってすごす余裕が無くなってしまったのかもしれない。このポスターにある「スターウォーズ」は映画館で見たいと思いながらも、きっとビデオで済ませてしまうのだろう。

 変化のめまぐるしい東京の繁華街の中にあって、この上野松竹デパートは変わらない光景のひとつだ。帝都復興事業で整備された上野公園入り口に、戦後露店が並び立ち、その収容に困った時の東京市長がこのような形にまとめたのが始まりらしい。
 上野駅から地下鉄で帰る事にした。撮り終えたフィルムを巻き戻す。指の腹が痛いものの、M3を使っている、使いこなしている、と思わせてくれるこの瞬間が好きだ。

↑拡大図あり。クリックして下さい。

 谷中から上野まで、JRの駅で二駅あるが、歩いてしまえばそれほどの距離を感じない。きっと街の表情が豊かで、見ていて飽きないからなのだと思う。
 谷中にはクラシックカメラが似合う。クラシックカメラがまだクラシックではなく、現役だった時代から実質的な時間があまり過ぎていないからだ。そんな谷中ではズミクロン35mmは最新鋭かもしれないし、M型ライカも見慣れない新型に映るやもしれない。

1999年4月27日記


 

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