亀山湖激シブ!

HOME > KANROKANRO > BASS > 2000年8月その2

 8月は暑いし本も売れないので、そんな時には無理をしない、というのが、ここ2,3年の過ごし方である。店はお盆だろうが一日も休まないようにするものの、親と交代で3日間の夏休みをそれぞれがもらうことになっている。8月16日はワタシのもらえる夏休みの最終日。女房と子供は千葉の実家へ里帰りしているので、亀山へバス釣りに行った帰りにお迎えすることになっていた。

 16日は亀山湖も湖上祭を催すということで、花火なども打ち上げるらしい。そのため、ボートは12時で終了と先に言われていた。当初は終わった後にオカッパリでもしようかな、と考えていたが、「花火で車が混みますよ」と言われて、考えを改めた。
 館山道の姉崎袖ヶ浦ICから下りると、あたりは真っ白になっていた。すごい霧である。走っても走っても真っ白で、一台の先行車が慎重に運転してワタシの車を導いてくれた。朝5時に到着すると、駐車場はガラガラ。しかし、午前中で終了ということもあるのか、受付時間が20分ほど早くなり、のんびりとタックルの準備をしていたほかの人たちを急かした。減水の程度は相変わらずで、全く増える気配は無い。いつの間にか霧も晴れ、天気はいいので気温が上がりそう。どう考えても条件は6匹釣った13日の日曜日とは比べ物にならないくらい悪い。

 太陽が上がりきらないうちに島周りの釣れたパターンを探っておこうと思い、まず日中日向になってしまう立ち木を丹念に攻めた。しかし、反応は無い。カットテール、ケイテックストレート、ミートヘッド、センコーをノーシンカーやスプリットで投げ分けるが駄目だった。

 仕方なく、島周りのシェードへ行き、ツネキチで過去に実績のある場所に投げるも、反応なし。これを確かめた後、範囲を広げることにした。笹川の方へまわってみた。島周りと比べてボートが多い。9:30を過ぎてすでに日が高く上がり、じりじりと照りつけてくる。笹川入り口の巨大立ち木群にはヘラ師が陣取り、小型の日除け傘で顔に直接当たる太陽を遮りながら、エサで外道のバスをいとも簡単に釣り上げ続ける。ルアー釣りのボートにヒットの快音を聞くことは出来なかった。

 思った以上に暑い。太陽はどんどん高くなり、減水してシェードが減っているために日陰もどんどん減ってくる。条件は終了の昼に向けて徐々に悪化し続けていた。

 結局暑くて他の場所に居られず、なぜか空いているよりとも島周りに帰ってくる。この時点で「今日は駄目だな」という気分がワタシの頭の中を支配していた。
 日陰に陣取り、今日はここを動かないぞ、と決めた。ポイントが良いからというよりも、暑かったからである。しかし、そばの日陰には気持ちよさそうに昼寝をしているアングラーが居たり、腰を据えてみると風が通って涼しかったり、意外に湖流もあって水通しも良いようだ。ここならイケルかも、というそんな最後の望みを砕くかのように、ノーシンカーで投げているにもかかわらず根がかりを連発した。しかし、今日はどこへ行っても状態が悪い。むしろここが一番良いのだ、と言い聞かせ、腐らずにノーシンカー投げ込みを続行した。
 根がかり、枝釣りを繰り返したその時、「また根がかりかよ」とよっこらしょ!とロッドをあおった瞬間、ビビビッと魚信を感じた。水面下に木が多いため、潜られると厄介と思い、引っ張りあげるようにして釣り上げた。10:35のことだった。

 カットテール、ノーシンカーで31cm

 日陰、立ち木、水通しという基本的な要素に忠実なバスだった。

 ワタシの釣りはほぼ100%ワームであるが、ツネキチをあまりやらないので根がかりをしてのロストの回数が少ないようだ。そのため、ワームボックスには去年買ったワームがまだ残っていたりする。それが湖上で太陽に照らされると脱色し、ウォーターメロンシードのカットテールはまるでシナモンシード色に変色していた。触った感じも新品より柔らかく、食い込みが良いなどの利点があるようだ。この古漬けワームは鍋でゆでることで簡単に出来るようなので、今度やってみようか、とも思っている。

 結局はこの1匹で終了した。「夏は釣れない」という風評はこんな日がモデルになっているのかな?と思う。確かにこんな日は釣れないだろう。12時になり、桟橋であがる人たちの表情は判で押したように皆暗かった。

 昼過ぎに帰るなんて牛久じゃあるまいし、初めてだ。バス釣りしている時には腹が減らないのに、館山道を走っているだけで腹が減る。市原SAで何か食べようと思い、寄ってみるがすごい混雑で空いている席が全然無い。昼時だったので混むのも道理なのであるが・・・。マクドナルドのバーガーをテイクアウトし、くそ暑い外のベンチで食べた。半ズボンで行ったため、足は赤く腫れ上がってヒリヒリしていた。お土産をひとつ買い、女房と子供の待つ千葉市内へと車を急がせた。

2000年8月20日記