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荒木経惟写真全集8
私日記・過去 Private Diary 1980-1995

 カメラを構え、シャッターを切る。その瞬間、「現在」は凍りつき、レンズを通してフィルムに焼き付けられる。「現在」が「過去」になった瞬間である。写真はすべて過去に「現在」だった瞬間を切り取ったものだ。シャッターを切った誰かが、「現在」を忘れたくなくて、記録しておきたくて写真にした。写真は過去の断片である。しかし、断片もまとまって並べればその人の人生が見えてくる。だから写真はおもしろいのだ。

 この巻は日付入り写真が1980年正月から1995年大晦日まで並べられている。ただし、解説でもあとがきでも触れられているように、この日付はすべて出鱈目だという。事実はどうあれ、それはあとがきでのお話だ。作品にはそのようなキャプションは一切ついていない。ただ日付入り写真が並んでいるだけだ。

 昭和天皇、向ヶ丘遊園モノレール、桑原甲子雄、藤田敏八、霊柩車、愛川欣也、レズビアン、竹の子族、鈴木清順、横尾忠則、銀座のホステス、新宿西口、ヌード、原田芳雄、大船観音、八代亜紀、原爆ドーム、ラブホテル、花火、二百三高地、深瀬昌久、山田詠美、雪、三千院京子、ソープランド、葬式、コカコーラ、ガスマスク、バルコニー、中上健次、坂本龍一、聖路加国際病院、アサヒペンタックス6x7、浴衣、便所、ホース、コンドーム、「写真の天才」と自称する荒木経惟、縄、電話、SEX、少年野球、寄席、梨本勝、経堂のホームに立つ陽子さん、チロ。

 よく、荒木さんは写真を「ヘタクソに見せたい」と語っているが、確かにストロボ一発の日付入りコンパクトカメラ写真は、一見写真家の作品には見えない。やはり、大写真家の写真といえば、テクニックを駆使した「美しい」事が大前提のように求められる。「大自然」など、非日常を捕らえるのが写真家の立派な仕事とされるのが一般的だ。そういう意味からすれば、荒木さんの日記写真はテーマが高尚ではない分だけ、貶められやすい。ところが、一見ヘタクソに見える日記写真も、ひとつひとつ見ていくと実に面白いのだ。フレーミングの良し悪し、光線の具合を言っているうちに「現在」はするりと通り過ぎ、「過去」になってしまう。面白いと思ったその瞬間を逃さず写し止める事だって写真家の仕事なのだ。「アラーキーっぽい写真なんて簡単ヨ」と思ったところで、撮り始めてみれば普通の人は「撮れない」とすぐ気が付くはずだ。

 ’80.4.1.には海辺で座り込むヤンキー女子高生を写したかと思うと、テレビスタジオにお邪魔し、銀座4丁目を散歩して銀行のOLを写し、雪の降る町を撮り、ラブホテルでヌードを撮影し、雨の中で傘をさす陽子さんと、招き猫を撮って終わっている。確かにエイプリルフールであって、この写真がその日一日で撮られた筈はない。8.6.では、ヌード、船の形をしたラブホテルと、花火が写っている。アメリカ人には花火のような原爆も、テレビに写ったヒロシマがそれをかき消している。8.15.壁一面に貼られたポスターの中に額装された美智子さまの写真、番傘をさす中年女、縛られた女、アメ車、公園で遊ぶ子供。このあたりは見る者の「戦争観」の違いによって見方も変わりそうだ。

 日付を出鱈目にして撮った膨大な写真を、あとから日付順に編年で並べてみると、全く違った物語に組み直った、と荒木さんは思っているだろう。時間は一直線にしか流れていかないものだが、日付を変えて写真を撮ることで、荒木さんは自分の過ごした時間の順序を適当に組みなおしてしまった。自分の写真表現の一部、と考えるからこそ、荒木さんはわざと日付を変えた。写真にはシャッターを押した人の人生が写っている。これだけいろいろな要素が写りこんだ日記写真を撮れる人の人生がつまらないものであるわけがない。振り返って考えてみて、自分の日々の生活はどうであろう。十年一日のごとく過ごしていないだろうか。

2000年1月18日記