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荒木経惟写真全集7
旅情 Sentimental Travelogue

 思えば荒木さんの写真集には「旅」と名の付くものが多い。人生は「センチメンタルな旅」だ、と言う荒木さんにとって、旅の終着点である「死」へと向かって人生を歩む人たちを写した写真にはすべて旅情を感じるのであろう。東京で撮影した写真にも「旅情」を感じている荒木さんの想いが写真からジワーっと伝わってくる。やはり写真には情感が無くてはならない、と思う。

 

 荒木さんにとって旅には女がつきもののようで、写っている人物の大半は女だ。静岡の女は富士山を背にした海辺で写す。神戸のマダムは洋館で写す。芸者は勿論芸をしているところ。団地妻は団地で、と、それぞれが生きている、もしくは生まれ育った故郷(くに)を背景にすることでその女の人生が写りこみ、見る者を楽しませる。彼女たちの生き方を尊重し、一緒に人生の一部を過ごしている荒木さんがカメラを握って撮影している写真を置いて、的確に彼女たちの魅力を表現する方法は他に無い。この荒木さんの演出を気に入るかどうか、で、大きく好き嫌いが出そうだが、解説の柳美里はどうもその演出が気に入らないようだ。感情的になり、写真を読み間違っている。荒木さんの写真はヌード、SEX表現が多く、わざと直接感情を刺激するように作ってある。彼女には少し刺激が強すぎたのかもしれない。

 

 筆者の好きな写真は、「亀頭火の東京行乞(とうきょうアッジェ)」である。自分の撮影した写真がどう見られるか、というのは、やはり気になるものだ。もちろん、いい写真だと思うから発表しているのに、である。そこで、写真家はキャプションをつける。少しでもシャッターを切ったときの気分を写真に添える。できれば全体的にそのときの気分を面白く表現する書き方で添えたい。このとき荒木さんは放浪の俳人種田山頭火に傾倒していたのであろう。パリの放浪写真家アッジェにもなぞらえている。この気分、よくわかる。

 東京は荒木さんの故郷である。どこをほっつき歩いても面白いものや楽しいことにぶつかる。月島を歩く段があるが、筆者もよく月島へはお邪魔する。面白いと思うものはいくらでもあるような気がしていたが、ここでは銭湯に入りたかったからであろうか、抑制を効かせて絞り込んでいる。しかしその分だけ、写っている5枚の風景はこのとき荒木さんと深くかかわった筈だ、などと想像するのも楽しい。この表現方法は、全く足元にも及ばないものの、筆者の「甘露紀行」に強い影響を与えていることは言うまでも無い。

 

 「旅少女」も好きだ。男の一人旅は、女に世話を焼いてもらわなければとても情けないものになってしまうのだが、少女の一人旅は明るい。友達や家族と旅行をしたときには見つめる事のなかった部分を発見する。空が青い。それだけで充分だ。流れていく白い雲を見つめながら、少女は家族から離れてみて初めて家族を意識する。この小さな旅が終わった時、彼女の旅(人生)は少し深いものになっているだろう。青春18きっぷはまだ発売されているのだろうか。ローライを首から下げてふと旅をしてみたくなった。

 

 解説の柳美里は、この写真集のなかで自ら「一番好きな写真」と断った上で50頁の写真をこう解説している。「(前略)そこに在るものは、荒木経惟の喪失感のみである。この写真をじっと見ていると、場所を喪ってしまったひとの寂寥感が痛々しいほどに胸に迫ってくる。(後略)」 写真はコワイ。写真評論は時として写真という鏡に自分を写す事と同義になる。そんな寂寥感漂うと自ら評したこの写真を一番好きになってしまったということは、そっくりそのまま寂寞とした自分の心情を吐露した事になってしまったのだ。心の空洞に彼女自身は気が付いているのだろうか。

 

2000年1月11日記