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荒木経惟写真全集5
少女性 Chrysalis

 荒木さんの少女写真は、1984年刊の「少女世界」で幕を開ける。署名入り本の在庫が一年近くあったが、それも今は売れてしまって無い。荒木さんの撮る少女写真には人気があり、古書価も高い。

 「少女」は「女」に無い魅力を持っているようだ。この写真集に写っている少女はいかにも少女ばかり。特別にタレント美少女を連れてきて撮っているわけではない。むしろ普通の少女しか写していないことがこの写真集の価値を高めている。何人かはばっちりメイクをした写真とノーメイクの写真が対比されて並べられているが、「女」を強調したメイク写真に比べ、普段の姿を写した写真にはランドセルが似合いそうな普通の女の子が写っていた。このギャップ、女と少女を行ったり来たりする微妙な瞬間を写し取る事が荒木さんのねらいと見える。

 さて、見る者にとってこの写真群の魅力はどこにあるのだろうか。少女という「女」に成りきっていない未熟な性的部分に対して?少女期の「女」の部分の純粋性に対して?何に対して惹かれるのか。この部分をよく噛み砕いて考えれば、男が女に対して魅力的に思う部分が炙り出されてくるはずだ。性的対象として女を求めているのか、女の美という普遍を追っているうちに少女に辿り着いたのか。

 男にとっては単純に「未熟な性」に対しての好奇心でしかないかもしれない「少女」だが、時間と共に失われていく少女性の脆さに美を感じるなら、女にとって少女期は永遠に記録しておきたい時間になろう。解説の田辺聖子さんは「<少年>は文学的な存在だが、<少女>はカメラが適っている」と述べているが、男からすれば少年は単に少年でしかなく、少女こそ文学的な存在だ。少年はそばにいる少女に「女」を意識した瞬間から男へと成長を始める。少女も普通は少年の中に男を意識することで女へと変わっていくのだと思うが、「女」という”男の意識を集める存在”そのものを目指して変わっていく場合もある。どちらにしろ、男はそのドラマティックな変わり様をどうにかして捕らえたいと思うのが精一杯だ。「少年」としての荒木さんの中にあるそんな想いがカメラを突き動かして作らせたのがこの写真集なのだと思う。

 

 巻末には運命の出会い、秋桜子さんを撮り始めた時期の写真が集められている。これは1998年にその後撮影された写真とあわせて「秋桜子」として一冊にまとめられた。この頃は日記写真を出版することが多かった荒木さんだが、「秋桜子」は筆者の中でも久しぶりのヒット作になった。一人の女性を継続して撮ることでいろんなことが写りこんでくる。魅力的な女は一箇所にとどまることはない。少女から女へと変わっていく様子が荒木さんによって丁寧に記録されていた。

 

1999年12月28日記