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荒木経惟写真全集4
ニューヨーク New York


 表紙の写真は「エンパイア・ステートビルから見下ろしたニューヨーク」である。あとがきではこの光景が「墓地」に見えると荒木さんは述べている。子供の頃、三ノ輪の浄閑寺にある木の上から見た光景と同じイメージだというのだ。四角い石造りの建物が林立するイメージ。確かに墓石に違いない。

 人が集まり、活動することで都市は発展する。ある段階を超えると手狭を感じるのか人間は空へと活動の場を求めてビルを建てる。高層ビルは都市発展の象徴だ。建てろ建てろとエスカレートし、どんどん増えてゆく。大方建ち並んだところで、気が付いてみれば人間は随分狭い空間の中での活動を強いられている。その瞬間、ビルのイメージはマイナスへ転じ、容易に取り壊すことのできない大きな石の塊は墓石のごとく人間に重くのしかかる。墓石の建ち並んだ都市は当然墓場と化すわけだ。都市発展の行き止まりは墓場。進化の最終形態は「死」となって現れるということと妙に符合する。

 東京もニューヨークと同じ道を歩んでいる。内需拡大、景気回復という錦の御旗のもと、再開発と称して旧市街を破壊し、高層ビルを建て続けている。「墓穴を掘る」という言葉ではないが、それに近い。莫大な税金は自らの墓石を立ち上げることに費やされているという皮肉。ニューヨークと同じ道を歩んでいるなら景気が良くなる筈、と言えそうだが、「公」の意味を履き違えている現代日本では、同じというわけには行くまい。

 さて、この第4巻。グランド・セントラル駅でエスカレーターから流れ落ちてくる人波のイメージから始まっている。続いて街頭での人のアップの写真。しかし荒木さんのカメラに目線をくれている人は少ない。髪の色、肌の色、目の色など、写っている一人一人の人種は違うように見える。これがスタンダードなら、きっとまだまだ日本は単一民族と見られよう。これだけ多種多様な人間が集まっている場所というのは脅威を感じるが、よく考えれば休日の渋谷や新宿も実は負けていない。カメラを向けただけで人の波が映し出される。ただし、ニューヨークが人種の坩堝としての「必然」な状態であるのに対して、渋谷にはファッションという作為を感じるが。

 荒木さんの写真集で「ニューヨーク」という題のものはない。第4巻は「自写像:日本」というグループ展の初日に出席するために訪れたとき撮影した写真群なのだ。そのためか、ニューヨークを見つめる荒木さんの視線は東京を撮影する時の視線とはちょっと違うように感じる。言ってみればビジターの視線なのだ。目線が外れた写真が多く、街にもまだ受け入れられていない印象がある。そんな中でもハーレムや夜の街へと撮影場所を移していく荒木さんの写真家根性にはマイッタと言うほかない。

 

1999年12月21日記