HOME > KANROKANRO > 荒木経惟ページ > 荒木経惟写真全集 > Aの愛人
 

荒木経惟写真全集19
Aの愛人 A’s Lovers

 カメラを手にしたとき、どんな被写体にレンズを向けるかは人によって変わってくる。イイ女が目の前を通りかかった時、話し掛ける人もあれば、カメラを向ける人もあり、ジーっと見つめる人もあれば、ただうつむいてしまう人もいるだろう。普通は見つめるくらいが関の山だ。写真を撮るという行為は、「イイ」と思った感覚を一歩踏み込んで、相手をカメラという装置を介して自分のものにするわけだから、その関わり方は一番強いように思う。そうして撮影した写真を、作品として発表するということは、被写体に対してまたさらに一歩踏み込んでいる。被写体を撮影した結果、自分と被写体の間には”写真”という関係が出来上がることになる。この巻は、荒木さんの”写真”という私的関係をまとめた私小説なのである。

 「長い期間付き合って何年間も写真撮ってる女性たちを集めた私的関係。アタシは私事とか、相手との関係が写ってないと写真じゃないって想ってるからね。」と、あとがきの冒頭で荒木さんは言う。何年も向き合えるのは好きな証拠。写っている女性の目線の先には荒木さんのカメラがあり、カメラを介して我々は彼女たちに見つめられる。その場の雰囲気がそのまま写し撮られているように伝わってくる。彼女たちと関係を持っているように錯覚してしまいそうだ。これが荒木さんの言う”相手との関係”なのかもしれない。「愛は、シャッター押した回数で決まるっつーか。」ん。わかりやすい。枚数が多いということは、荒木さんのいう相手との関係が多いということになり、それだけ想いも深いということのようだ。

 背景が70年代に撮られたものと、80年から90年代に撮られたもので変化しているのも興味深い。モノクロで撮られている「カズコエロス」や、「別れた女」での写場はアパートで撮られたものも多く、当時あまり撮影にお金をかけられなかった荒木さんの25年前も一緒に記録されている。鈴木いづみの視線の強さにたじろぐ。
 「娼女レナ」「突然の恋人」は筆者も好きな章。二人ともあまり自分のことを語らなかったらしい。そんな彼女たちのことが知りたくて、荒木さんはシャッターを切る。喫茶店でお茶して、ディスコへ行って、ラブホテルで写真関係。普通に好きなコとデートする荒木さんが無防備なくらいそのまま写っている。
 「三千院京子」の由来は、最初に行ったラブホテルが歌舞伎町の「三千院」だったからだそうだが、彼女の持つ空気にぴったりしている。普通に立っているだけ、座っているだけで雰囲気がある。唇が妖しい。

 あとがきを読んでみると、ここに写っている女性たちとの関係はすべて今でも繋がっているというわけではないらしい。荒木さんにとって写真と人生は同義だから、写真の数だけ写っている人に対する愛があり、想いがある。これだけ多くの愛を受けながら、相手はあまり多く自分を語らない。言葉を交わす代わりに荒木さんはシャッターを切りつづける。相手の姿だけではなく、一緒に過ごした時間までも写真に収めようとする荒木さんがいる。
 写真は今を忘れたくないと想う男の女々しさが形になって現れたものかもしれない。しかし、なぜ「女々しい」なのだろう。一人の女をいつまでも忘れることの出来ない男の女々しさに比べたら、きれいさっぱり忘れることのできる女の男々しさがうらやましい。

2000年4月4日記