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荒木経惟写真全集18
緊縛 Bondage

 SMといっても写真に写っているのは、普通、縛られた女である。縛った方は、写真を撮るということでその写真に”写る”ことになる。荒木さんのこのシリーズは1979年から始められているというから、実は隠れた定番だったと言えよう。

 ウィーンのセセッション「TOKYO COMEDY」展が開催されている模様を写したNHKの特集のなかで、荒木さんの作品に対して、フェミニズム団体から批判もある、というようなことが述べられていた。きっと一連の緊縛写シリーズが言われているのだろうと思う。しかし、「最近は」と前置きして、ここに写っている緊縛写のモデルは、「全員応募してくるコ」だ、と荒木さんは言う。現代の弛緩しきった「自由」のなかで浮遊しているうちに誰かに縛られたくなったのだろうか。無論、この写真が撮られた以上発表されるのは彼女たちも承知している。フェミニズム団体は、既定の定規でこの写真を測ろうとしたため、そこに写っている彼女たちの意思までは考えようとしなかった。彼女たちは”縛られたかった”のである。

 あとがきで荒木さんは、「色は西洋、モノクロは東洋」と言っている。モノクロで撮ると、縄目とかいかにも貧乏くさく写るので、カラーにして「ボンデージ」にまで盛り上げると良いらしい。言われてみれば、モノクロの緊縛写には、意識して物語性が盛り込まれている。ブランコがあるラブホテル「シャンテ赤坂」へ行って「七ヶ月目の浮気」。「微笑」を置いて「嫉妬緊縛 微笑の法則」。「アングラ劇団入団テスト」では、応募してきた女の子を吊るしたまんまでみんな飯を食いに行っちゃう、放置プレイ。「トルコ歌麿」の看板を置いて、そこへ売られちゃうことを暗示して。などなど。
 「大光画超東京百景」は、「純情写真小説集」にまとまった。小説に写真が添えられる形で、東京の新しい名所めぐりをする。洲崎パラダイス。広尾のアパート。キャメルを吸う女。浄閑寺のソープ嬢。
 では、「ボンデージ」のカラー写真はどうか。やはり色が意識されており、全裸で縛るというよりも、派手な色をした着物を絡ませたり、色液を垂らしたり、赤い蝋燭を垂らしたり、女陰に花を突っ込んだり、と、物語性のあるモノクロよりも、同じ縛りでも即物的で少し激しいような気がする。

 女の縛られた写真を見て、男は興奮する。解説の町田康氏も、「なんたら破廉恥な。なんたら淫猥な」と見ているうちに「終いには、なんたら気色のいい。なんたら面白い。と、自分は興奮して」しまい、「人間の道徳心などというものは実にいい加減」と述べている。男にしてみれば、女ほど自由に思える存在はない。男は世間に縛られ、仕事に縛られ、家族に縛られる、と思っている。それだけに女を縛って自由を奪う、ということは男の本能を刺激するのかもしれない。いつの世も男は単純である。では、男から自由でうらやましいと見られた女はどうか。この写真を見る限り、”自由”という基準のない現代では、生きるのがつらいように見える。繰り返すようだが、彼女たちは縛られたがっているのである。「何をしても良い」ということは一見自由だが、実は「何もしてはいけない」の反語なのだ。普通に生きたい、という普通の考え方をしてはいけない状況が彼女たちを縛っている。そんな中で何かをしなければいけない彼女たちは、進むべき道を示されないだけ男よりもむしろ自由ではない。
 荒木さんに縛られることで、世間の縛りからは開放される。そんな姿が写っているように思えてならない。

2000年3月28日記