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荒木経惟写真全集17
花淫 Sensual Flowers

 花は美しい。休日に植物園へ出かければ、三脚かついでマクロレンズを使って、花を見る人を押しのけんばかりに接写している人を沢山見かける。
 確かに花は美しい。接近写するに足る被写体と言えよう。それなら、最新のカメラとレンズを購入し、決して安くないフィルムを買い込み、重い三脚を揃えて、カメラバックを背負って植物園に出かけるその”ヤル気”を支える花の”魅力”について、撮影している人はどこまで意識しているだろうか。そんなことを考える必要はないのかもしれない。しかし、理屈抜きにその美しさに惹かれているから撮る、と言ってしまえば、その花の”写真”の魅力はそこで終わる。誰が撮影しても同じ”花”の写真がそこにあるだけ、という事態に陥り、その写真を人に見せたところで共感してもらう事は難しいだろう。
 接近写することで「関係を持ちたい」と思っている自分を認めることから、自分の写真としての”花の美しさ”が立ち上がり始めるのではないだろうか。

 荒木さんの花への関わり方は単純明快である。「花を女性器扱い」して撮っているのである。言うまでもない事かも知れないが、植物にとって、花は性器そのものである。表紙の写真、真紅の薔薇に乗るヤモリンスキーは、真っ赤な女陰に佇む荒木さんの男根を表している。
 荒木さんのブツ撮り写真はあまり荒木さんらしくない被写体とも言える。街を歩いてそこでかかわった風景を三脚を立ててペンタックス67でバチっと捉えるいつものスタイルとはかなり違って見える。しかし、エロトスと同様に、荒木さんの撮りたいと思っているイメージを想像していくと、実は風景も花も使っているカメラは同じペンタックス67であり、被写体とか気分で使う機材を決める荒木さんにとっては、風景と花のブツ撮りは同等の興味をもって臨んでいることがわかる。この17巻でも、ヤモリンスキーという荒木さんの分身をたくさん登場させて、単なる花写真ではない、「荒木さんの写真」として表現されている。

 いや、よく見れば実は花写真を完全に超えている。撮影している荒木さんが女陰をイメージして撮影しているだけに、見る花見る花みんなエロティックだ。白い花の中心がリキテックスで赤く染まっている。荒木さんはこの写真で「花の処女喪失」をイメージしているのだが、そんなわかりやすい演出をしなくても、枯れかけた花、枯れている花をきっちり撮影すると、これだけエロトスが出てくるのである。今を盛りと咲く花の美しさは誰でもイメージできる。皆撮りたがるし、写真にして美しさを伝えるのは難しいことではない。そのためか、枯れかけの花を撮影対象にする人は少なく、その魅力が理解されているとは思えない。花は枯れかけるとすぐに捨てられて、しっかりと見つめる人は少なかったのではないだろうか。

 あとがきで「花というより、むしろ時間、それも死に向かう「時」に興味があったのかな。」と荒木さんは語っている。死の直前や死の瞬間のエロティシズムがぐっと高まる瞬間を撮りたかったということのようだ。荒木さんは写真家として両親の死と陽子さんの死を経験している。死という人間にとって性と共に目をそむけることの出来ないテーマに取り組む荒木さんの姿勢は、花を撮影するときにも色濃く反映されていると言えそうだ。
 荒木さんの直接の言及は無いが、撮影している場所がバルコニーであることと、美しいものの枯れかけた花や枯れた花にヤモリンスキーをそばに寄り添わせて写された写真が多いことから想像して、花は陽子さんにも見立てられていると思えてならない。花写真を本格的に撮り始めたのも陽子さんの亡くなった後である。
 錆びたテーブルにピンクの百合の花。陽子さんを想った。

2000年3月21日記