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荒木経惟写真全集12
劇写と偽ルポルタージュ
Dramatic Shooting and Fake Reportage

 「女は、すべて女優なのである。」という荒木さんの言葉でこの巻は始まる。だからといって有名女優を連れてきて次々写して並べる、ということを荒木さんはしない(それは篠山紀信の仕事だ)。普通世間一般が使う「女優」という言葉は、映画、ドラマ、舞台などで”自分以外”の誰かを演じている女の人を指す。しかし、女優は虚構の世界にしかその存在を許されないのだろうか。この巻では、自分が主人公の「人生」というドラマを、”自分自身”で演じている”女優たち”を「劇写」しているのである。

 人気を集める女優と、世間一般の女性とでは女としての立ち上がりが違う、ということはない。無論、人気女優が人気を保つのには、美人だったり、スタイルが良かったり、人様に見せられるだけの演技が出来るなどの才能が備わっていることは間違いないのであるが、それは女としての一面でしかない。むしろ、人気女優が送っている人生が豊かなものであるかどうか、それが問題だ。人気者の宿命を背負い、スキャンダルひとつで”女優生命”が危うくなるため、いつも人目を気にしながらのプライベートは、人生そのものの幅を狭めているような気がしてならない。写真にはそんなことまでがはっきり出る。人気若手女優は”自分の持つ表情”の貧困に気が付かないまま、演出をつけてもらった”営業的な”表情で矢面に立つことになる。世間向けの自分と本当の自分とのギャップに気が付き、悩み始めれば、「現物」としての”女”が立ち上がってくるのだが・・・。
 荒木さんがそう思ったかどうかはわからないが、プロの女優を一切使うことなく、「劇写」は撮影された。荒木さんにカメラを向けられた女性は、シャッターを切られる瞬間、今現在の自分をさらけ出し”演技”せざるを得なくなる。写真に添えられているキャプションは、彼女たちの人生というドラマを興味深く見つめる筆致で添えられている。

 「彼女には、黒い過去があった」と題される「桜井絹子」の章はすごい。妻子ある中年セールスマンと結婚の約束までしたものの逃げられた彼女は、やけっぱちになり、横田基地のバザールで行きずりの黒人、マイケルと寝て妊娠。4ヶ月のところで打ち明けると、マイケルは休暇で本国へ1ヶ月ほど行ってくるとまっ黒な嘘をついて、そのまま帰ってこなかった。本国にも妻子がいたのである、とある。
 ヌードの彼女が、窓辺でその黒い肌をした子を抱いて籐椅子に座っている写真がある。その愛しいはずの我が子をどこか呆然とした表情で抱く姿を演技できる女優は、実際にそれを体験した彼女本人しかいないのである。彼女は「桜井絹子」という女の人生を、荒木さんのカメラの前で本人自ら演じているのだ。あとがきで荒木さんは、「男のほうがセコセコしてて、白人女や黒人女とつきあったりできないでしょ。女は大地でも、男は大地になれない。男なんて空き地だよ。」と彼女にエールを送っている。彼女は荒木さんにとって「女優」だったのだ。

 嘘から出た真(まこと)という言葉がある。もともと嘘とホントは仲がいい。真を写すと書く「写真」に”嘘”が付くと、一体何になるのであろうか。解説の林望氏はそこに荒木さんの本質が隠されていると睨んだ上で荒木論を打っていた。
 偽だと断られてから見せられる写真たち。それはフィクションと断られて見るドラマとは全然違うニュアンスで読者を不安定な場所に突き落とす。何が本当で何が嘘なのか。林氏はそもそも”写真”が嘘だと喝破してしまった。もともと嘘くさいといわれる写真に”偽”がついているという事は、それは”本当”を表すことになってくる。ドキュメンタリーと称したものが得てして演出くさいことへの反発も込められていよう。
 クイズ番組で、ボケたつもりが正解だった芸人にシラケるのは、正解が何かを知らないまま”芸”をしたつもりになっているからではなかろうか。正解(本当)を知った上であえてボケ(嘘)るのが本物の芸人だ。それが彼らの芸であり、売り物なのである。荒木さんは事の本質をしっかりつかんだ上で、自らの写真を「偽」と称して読者を試している。写真が嘘なのか、荒木経惟が嘘なのか。それとも読者、すなわち世間が嘘なのか。

2000年2月15日記