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■東京観音

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東京観音
荒木経惟+杉浦日向子
筑摩書房 1998年1月23日発行

  東京には寺が多い。実際に寛永寺や浅草寺のような規模の大きいお寺から、一駅ごとにあるような街のお寺まで、それこそ至るところに存在する。江戸時代の檀家制度という幕府の庶民統治政策が寺を維持発展させたのではないか、と思うが、それはあくまでもきっかけに過ぎない。狭いところにひしめき合うように大勢の人が暮らす東京である。生きている人と同じ数だけ死があるとすれば、その魂を安らげる寺の存在は欠かせない。この伝統は東京がTokyoへと変わりつつある現代にも受け継がれているように思う。

 東京にある観音様を江戸風俗研究家の杉浦氏に案内されながら荒木さんに撮影された”東京観音”のありがたい姿が収録されている。写真には荒木さんと杉浦氏のダイアローグが添えられ、人間の生と死について考えさせられる。

 最初は荒木さんの生家そばにある三ノ輪浄閑寺を訪れる。ここには近くの新吉原の遊女を葬った総霊塔がある。「生まれては苦界 死しては浄閑寺、と詠まれた遊女の投げ込み寺。ここには廓内で死んだ引取り手のない遊女が、二万人ほど「投げ込」まれている。供養塔の台座窓から、おびただしい骨が暗がりに白く散華しているのが見える。 俗に、遊女を「生きた観音様」という。観音はひらく。観音はゆるす。観音はすくう。遊女が客を満足させることを「ぶち殺す」という。女ひとりで千人あまりの男を昇天させる。遊女の赤いふとんの上は天上界で、そこでは現世の約束は通用しない。世間的な体面や地位をはぎとり、一個の肉塊として、なぶり殺しにするのが最高のもてなしだ。殺された翌朝は、まっさらな魂に生まれ変わって、送り出される。そして、死にきれぬ野郎は、永劫の観音詣でにとらわれるのである。」生きた観音にゆるされ、すくわれ、俗世に惑う心を”ぶち殺”されることで、男は再び浮世(憂き世)を生きていくことが出来た。吉原にはそんなからだを張って衆生をみちびく観音が居たのである。百人と寝れば淫売 千人と寝れば観音とはこのことを言うのだろう。杉浦氏の見かけからは想像できない強い文章は、筆者の心をハッとさせた。
 荒木さんは小さい頃、この供養塔に乗ってよく遊んだという。当時は塔の内部にも自由に出入りでき、中に入って骨を投げあったりしたらしい。そんな近所の悪ガキを受け入れていたのは、浄閑寺の方針というよりも、吉原の”観音様”が、ゆるして、ひらいていたからではないだろうか。「それはいいことしましたね、荒木さん。投げ込み寺のおねえさんたちだってうれしかったんじゃないですか。冷たい地下で、ひっそりさみしく死んでいるよりは、少年になぶられてたほうが、華やいで楽しかったと思いますよ」と、女性である杉浦氏は地下に居る観音様を思いやる。

 その後、一行は浅草へ。浅草寺は押しも押されぬ東京随一の大伽藍を誇っている。そのそばにある観音堂の天井に天女が描かれていたとは知らなかった。二枚描かれた天女は微笑をたたえながら我々を見おろしている。「ちょいとねえさん、そんなとこでオツにすまして、おもしろいかえ。地上(した)では、食って糞して寝て起きて。ソウサ、それだけのこと。でもおもしろいんだな。天上(うえ)のあんたにはわからないだろう。」ほほほと笑いを投げ下ろす天女の様子を見て、杉浦氏はこう書いた。天上界は俗世とは違ってさぞや美しいところなのであろう。死ぬことを昇天するというが、業の深い人間はそのままでは昇天できず、実際には地下に入ることになる。火葬場の煙突から立ち上る煙が気になるのは、あれが死んだ人間の魂を連想させるからではないだろうか。俗世の垢がたっぷりこびりついた肉体は焼かれて骨だけになる。やっと身軽になった魂はそこではじめて昇天できるのだ。
 花やしき通りのにぎわった道を抜けて「仁丹」の看板のある大通りまで歩く。なんでも仁丹は昔「人胆」と書き、小塚原の刑場で死んだ罪人の肝を精製して薬にしたのが始まりという。「刑場で露となった人もいれば、投げ込まれる人もいれば、花魁に成仏させられる旦那もいれば。極楽と地獄が紙一重のところだったんです」と杉浦氏。なるほど、浅草一体が今でも人を引き付けるのはそのためか、と納得。

 そのあとも、東京にある俗世と来世を行ったり来たりできる場所を荒木さんは案内され、最後は地元豪徳寺の”猫観音”で行脚は終わっている。なぜ豪徳寺に招き猫が多いのか。もともとここは弘徳院といったが、寛永15年(1638年)に井伊家三代目当主直孝がこの寺の前を通りかかったとき、一匹の猫がうずくまりながら手を挙げて招くようなしぐさをしていたという。猫のあとについて寺院内に入ると、突然背後に落雷があり、直孝は命拾いをした。その後直孝はこの寺の名前を現在の豪徳寺と改め、手厚く保護したのだそうだ。このときの猫は住職が飼っていたタマ。思わぬ福を授けてくれたタマは観音の化身に違いないと、住職は猫観音を作ってお祀りしたのが猫寺となる始まりだそうだ。(巻末「ひとくちメモ」より)
 確かにここには招き猫がいっぱい奉納されている。その奉納場所の前で招き猫の格好をして着物姿の陽子さんが写ったカットがあったなぁ、と思っていると、猫観音の前で招き猫姿をする杉浦氏の写真がこの本の最後のカットであった。「真ん中がホントの猫観音だよ。顔が猫になってるもん。そばにいる観音さまと同じ顔に変化するよなあ、日向子さんは」「観音は感染するんでしょうかねえ」いい写真である。

 俗世と来世は思ったよりも距離は近い。東京の至るところに来世がぽっかりと口を開けている様子が良くわかった。人は生まれた以上、浮世を生き、いつか必ず死んでいく。いや、むしろ永遠の命など与えられたとしたら、それは浮世にずっと留まることを命じられた終身刑のように感じるだろう。年末年始になると繁華街に立ち上がる「永遠の命」と書かれた幟と大きな音で流される神の国に行く方法に誰も耳を傾けないのは、長く生きることが必ずしも幸せとは限らないことを皆本能的に知っているからだ。
 時が過ぎ、まわりにいた肉親も友人も、そして恋人もいなくなった世界にひとり生きることはきっと死ぬよりもつらい経験だ。先立つ不孝さえしない限り、これから死んでいく来世には、きっと知った顔がいっぱいいるに違いない。祖父も祖母も、オヤジもおふくろも、早くこないか、いやまだだ、と気をもみながら待っていることだろう。愛する女房や子供たち、出来ればかわいい孫たちに看取られながら、時期が来たところで死んでいくのが、究極の幸せを感じる瞬間なのではないだろうか。なんとか寿命さえ全うすれば懐かしい顔が彼岸の川っ淵で「よくやった」と笑顔で迎えてくれると信じたい。

 人は死ぬからこそ生きていけるのである。

2000年11月21日記


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