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◆東京は、秋。 荒木経惟
三省堂 1984年10月25日発
 荒木さんが銀座の電通を退社したのは1972年のことだった。この年がプロ写真家としてのスタートになったわけだが、コマーシャル写真はやらないと決めていた荒木さんに当座の仕事が入ることはなかった。ヒマだったからというよりも「初めから写真をやりなおそー」という気持ちで、退職金で買ったペンタックス6x7に50mmレンズをつけて三脚を立てながら東京を写して歩いたという。その記録が「東京は、秋」ということになる。

 東京の1972年から73年の風景が、ネオパンSSに定着されたデティールたっぷりの描写で記録されている。写真には「夫」荒木さんと「妻」陽子さんが、その写真について対話するという形式でキャプションが付いている。
 都市のディティールを撮っていく、というのがこの写真群を撮影していた当時の荒木さんの主眼であった。そのため「なんだか、どこだかわからない、そういう撮り方をしてる。どこだかわからなくてもいいわけよ。東京のどっかが出るだろう、それでいいわけ。」と、新宿ゴールデン街にあった都電の線路とそばの建物の裏側が写っている写真にコメントを附している。確かにキャプションがなければ此処が何処だかわからない場所、という絵が大半を占めていて、東京という都市が過ごしてきた時間を感じることができる。最初に出てきたこのコンセプトは写真集全体に貫かれていて、荒木さんの面白いと思う風景やモノにレンズを向けて「ポーン」と撮っていく撮影手法によって”東京”が切り取られていく。

 荒木さんの好きな風景、新宿南口は何枚も登場する。「酒處丸山」は、営業中の「札幌ラーメンどさん娘」の二階だが、まだシャッターは下りている。「大衆酒場お染」の店頭にはゲタ履きの女将が佇んでいる。「台湾料理味王」の看板には「明日のスタミナは当店のお料理で・・・」の文字。「サントリーバーピリカ」と「早苗」の店頭には洗濯物が干されていて、「白龍味噌ラーメン」の手書き看板は赤い堤燈で枠取りされている。荒木さんは「一種の存在感ていうか、街を散歩するときに非常に魅力的な、ノスタルジーをそそるものがあるわけ。惚れた女に何回でも会いたくなるのと同じなんだよ。ここんとこに惚れてるわけだな。今でも東口で人に会うとき、南口で降りてここを通ってゆく。それぐらい魅力的なとこだね。午後の二時頃だと、ちょうど看板に陽があたるわけだ。これもみんなベニヤみたいな建築の写真だろう。」荒木さんは特に午後2時のこの場所が好きだと言明している。この”夜の街”は、荒木さんにとって昼間に出会うべき風景なのだ。ヌード個室ボニータの看板も昼下がりの日差しに照らされている。

 新宿コマ劇場裏の「50円玉で立飲みの殿堂」、「上野松竹デパート」のポルノ映画看板、新宿「富士銀行」のシャッター越しの”富士”、渋谷「天井桟敷」、湯島の手書き看板地図、湯島の洋品店店頭、玄関先の植栽、サントリービールのびんに差された菊、廃屋に張られたチョウチョの紙、マンホール、食堂の商品サンプル。ごちゃごちゃした街並み、ごちゃごちゃした店頭、ごちゃごちゃした看板。街を歩いていて荒木さんの心に引っかかってきた”ディティール”のあるものたちが収められている。

「夫■もうひとつね、新宿の御苑に向う途中に電信柱がぼんぼんとある。この写真が気に入ってんだ。
 妻■電信柱が一杯あって、うっとうしいけどねー。
 夫■さえぎるもんが一杯あるのが好きなんだ。この線がなぜかいいんだなぁ。いいなあ。(机をたたいた)原風景だなあ。まったくあたり前なんだよ。全てが原写真。いつも通ってる、なんでもないいつもの所を、なんでもなく撮る。それが欲しいんだよ。
 妻■それなかなかできないでしょ。できないと思う。だからそういう写真見ると、すごいと思っちゃう。
 夫■だいたい街が表現してるのに、それを複写すればいいのに・・・。
 妻■自分を表現したくなっちゃう。
 夫■そうじゃないと表現者とみられなくなっちゃうと思ってる。それがダメなんだよ。」(82頁)
 この会話の中に荒木さんの都市写真に対する考え方の全てが集約されている。
 普段見ている風景はいつまでもそこにありつづけるような気がして特別な感情を寄せることもない。だんだん朽ちていくその様子を見て嫌悪さえ感じ始め、早くきれいにならないかな、などと考えたりする。それが再開発されていざ目の前から消えてしまい、そのあとに全く無機的で機能的なだけのビルが立ち上がれば、消えてしまったあの風景のことがむしろ懐かしくなる。小さい頃、あの家の木に登って叱られたとか、あのブロック塀から落ちて怪我をしたとか・・・。その風景がなくなることは、自分がその風景と関わって出来た経験が”思い出”になってしまったことを意味する。
 電信柱も、陽子さんにとってはうっとうしいだけのようだが、荒木さんにとっては、誰がなんと言おうと”原風景”なのである。人の想いとはそういうものだ。

 筆者が生まれ育った新丸子駅が高架になる前は、木造の田舎然とした駅舎だった。急行が通過しようものならその振動は店を揺さぶった。ガタガタいう音で電話が聞き取れないほどだった事は今でもはっきり覚えている。丁度店の目前には鉄筋コンクリート造りの陸橋があり、東横線の線路を跨いで西口と東口を繋いでいて、幼稚園へ通うため毎日渡った。それが、高校の頃新丸子駅の高架工事がはじまり、陸橋の袂の臭い公衆便所は廃止され、陸橋は地下道に変更となり取り壊し。夕方になると全く開かなくなった踏み切りも徐々に廃止されていった。汚い駅、不便な陸橋と踏み切り、臭い便所。早くなくならないかと思っていた物ほど印象は深い。ディティールが詰まっていたと言うことなのだろうか。

 忘れられない人がいるように、忘れられない風景というものは人の数だけ存在する。今見慣れている風景が思い出に変わるのも時間の問題だ。あの頃は良かった、と振り返る人が大抵老人なのは、彼の上に降り積もった”時間”が、彼の中にあったものを全て思い出に変えてしまったためではないだろうか。自分で撮った写真を陽子さんと一緒に語ること、撮るよりも楽しいと言った荒木さんの写真行為もまた、この本の中の思い出となった。

2000年10月24日記

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