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穴の開いた日の丸、潰れたアサヒ缶ビール。河原で、スタジオで絡み合う男女。ゼロックス写真帖にもある矢口栄三郎氏の写真。目が離れていてもともと強い表情の男に、広角レンズをつけて接近写という手法で撮りこむ。中絶した女性の手記の複写。その壮絶な内容に身の毛がよだつ。「膣にブツブツが!」の雑誌投稿記事の切り抜き。体位四十八図の傍らに置かれた往生要集。地獄絵。男色。仮面。乱交。ゆるやかな表現もあれば、激しさをそのまま”コト”として連写して撮ろうとする荒木さん。共通する印象は、全て”死”である。
解説の西井氏はこう書く。「荒木の写真はどれもごく日常的にころがっているものでできあがっている。ただ女のハダカの写真がなんとも無愛想でウンザリするほど大股開きでエゲツない点が他の写真家と異なっている。しかし、荒木のヌード写真は、それを見ながら自慰をするといったものではない。篠山紀信の激写と対象的に、荒木の劇写は性的にイメージ化されることがない。女が着衣をはがされていって裸にされたのではなく、ハダカの女がそこにいるのだ。(中略)つまりすべて風景になってしまうのだ。裸のいる風景、妻のいる風景、家から見える風景。したがって、荒木の写真では、あらゆるものは風景の構成要素となり、小道具となる。そこですでにものとなった母親の死体がそこにあったりすると逆に実に生々しくリアリティを加速するのである。風景の中では生きものがモノ化し、モノが生々しく見えてくるのである。」つまり、荒木さんの写真的”眼”は、モノに付着するイメージをはぎとり、裸をハダカとして、SEXを性行為としてとらえていく。簡単に言ってしまえば、篠山紀信はハダカに”美”という要素を塗りつけて、性的イメージを増幅させて”抜ける”写真に仕立てるが、荒木さんはむしろ写真にすることで余分なイメージを削ぎ落とし、ハダカはハダカのまま写してしまう、というのである。そのため、SEXの描写をしても性的イメージが増すどころか、いい歳した男女がハダカで恥ずかしい格好をして何をやっているのだろう、という滑稽さが際立ってくる。男女の性行為が二人の愛の交歓足り得るには、お互いの「想像力」(西井氏)をプラスする必要があったのだ。荒木さんの写真が本質にこびりついたイメージを剥ぎ、風景として男女の性行為を炙り出したためにわかったことである。 それと同様にして、人の「死」もまた「想像力」によってイメージが増幅されていることになる。
両親、そして陽子さん、と、荒木さんが肉親の葬儀に殊のほかこだわって写真を撮り続けてきたのには、写真家として「死」のある風景を写すことで、「死」とは一体何なのかを探っていく行為だったのではないだろうか。生きている人の数だけ人の死がある。永遠の命など何処にも存在しない。いつか必ず消えていく運命を背負った人間という存在に対して、荒木さんは哀歌(エレジー)を捧げたのだ。 2000年12月12日記 |
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