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■食事

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食事
荒木経惟
マガジンハウス 1993年1月21日発行

 食事ほど人間の生に直結しているコトはない。

 柳葉魚(ししゃも)の焼き魚にレモンとマヨネーズが添えられ、わかめとキュウリとユズの酢のものが小鉢に盛られている写真が表紙である。これはペンタックスLXにリングストロボを装着したマクロ50mmF2.8レンズで次々に撮影された、荒木さん宅の食卓の様子のうちのひとコマである。

 接写によって写し出される料理の絵。ホイル焼きされたマス、千切りキャベツと和えたカブ、チリメンジャコ、牛肉のたたき、オムライス、トマトサラダ、青菜のゴマ和え、揚げ出し茄子、イカの明太子和え、すき焼き、わかさぎの唐揚げ、歯型の付いたバターたっぷりのトースト、イチゴののった食べかけのケーキ・・・などなど。
 リングストロボで照らされているからかもしれないが、ジャコの胡麻粒ほどの頭からも、牛肉の霜降りからも、オムライスの中のご飯粒からも、マリネのドレッシングからも、生卵の卵黄からも、イキイキとした光を感じることができる。男根を思わせるピンク色のたらこの中からは小さな卵が覗いていて、このひとつひとつから魚が生まれるのである。こんなわかりやすい例を挙げるまでもなく、食卓にはエロスが満ちているのだ。つい先ほどまで生きていました、というようなその生き物たちのエロスをさっと調理して口に入れて咀嚼し、栄養として取り込んでいくのが”食事”である。それは、とてもエロティックな行為と言えるだろう。食事というエロティックな行為を共にすること。これがこの写真集の帯書きにある「食事、情事なり」の意味である。

 『1985年1月27日 笑っていいとも増刊号みながら、あおのりはんぺん、ピーマン、しいたけ、小田原うめやのわさび漬、らっきょう、じゃがいもとみつばの味噌汁、ごはん、大根おろしにカルシュームいっぱいのチリメンジャコ、やっぱり朝食はごはんに味噌汁、パンに牛乳じゃねぇ、ヨード卵光をのみ、高麗人参濃縮液。きしめん鍋、いちご、ヨーコ流にミルクと砂糖かけてつぶして、玄米茶。キリンビール小びん一本、ロゼワイン、ジャガイモ玉葱ベーコン、チキン唐揚げ、グリーンアスパラ、サニーレタス、芝えびドリヤ。(中略)3月17日 ヨーコが楽しみになったとゆー春の波涛みながら、ロバート・ブラウンのペリエ割り、あまえびアボカドかいわれをわさびじょーゆで、串かつ、くるみのアメだき、はすとさつま揚げ、しめじの煮物、綿で買ったとゆーふりそで酒をオチョコロック、玄米茶、梅干し、イチゴ、NHK、ヤクルト2。(中略)8月21日 モディリアニワイン、タコのマリネ、ちちゃトマトと混血レタスきんタマネギのサラダ、ポークソティーにんじんジャガイモなすクレソン添え、バターライス、イトイのてっかんのん、ナシ。(中略)10月20日 にちようびだから、朝から豚汁、うまーい。肉まん二個、てっかんのん。おでん、梅酒、茶めし。(中略)11月6日 食卓に木瓜、キリン小びん、イカ明太子、梅酒ロック、ブロッコリーきんたまソース、イロイロ串あげニンジンひじきゴマ、大根のぬか漬け』

 カラーページの終わったところで、荒木家の食卓のメニューを荒木さんがメモしておいたものがズラリと載っている。とてもすべて書ききれないので、抜粋してみた。バラエティに富んだ食卓が想像できる。食事が情事ならば、メニューの多さは陽子さんの荒木さんに対する愛情の多さを表わしている。

 次のページから突然料理の写真がカラーからモノクロ写真に変わる。『退院してからは、より愛情をこめて料理してくれた。陽子は知っていたにちがいない、あと1ヶ月の命だとゆーことを。 いままでマクロレンズにリングストロボをつけてカラーで写していたのを、モノクロームに変えた。テーブルライト1灯、3脚つけて、F32 1秒。長い1秒のシャッター音が忘れられない。 食事は、死への情事だった。』 荒木さんの手書きの文章が事の次第を語っている。エロスを放っていた料理はモノクロで描写されることによってタナトスを帯び、”エロトス”へと変化していった。

 人間が生まれて最初に口にするものは母親の母乳である。料理は母性から愛情として受け取るのが当たり前だ、と筆者は考える。食事を作って愛する人に与えることは、いわば、天から与えられた女 性の特権ではないだろうか。父親から父乳が出るなどということはない。家事は分担するものかもしれないが、父性の復権が叫ばれる現代である。父親には見落としがちな大切な役割が別に与えられているように思う。
 たまの外食はいいだろう。しかし、理由は色々あろうとも料理を作ることをサボると愛情は確実に不足していく。ただ生きるためだけに食べるものはエサでしかなく、エサを与えられるのは家畜かペットでしかない。 スーパー、コンビニで買ってきたものをそのまま与える事と、ペットにエサをやることの間には違いを見出すことはできない。陽子さんは料理に愛情を込め、食卓を豊かにすることで食事を夫婦間の情事にまで高めた。荒木さんにおいしく食べてもらうことは陽子さんにとって最高の楽しみであり、誇りであった筈だ。

 陽子さんの亡くなる少し前に奇跡が起こった。ずっと昏睡状態だった陽子さんが口を開いたのだ。「サワラのムニュエルが食べたい。ナスの味噌いためをつくってあげたい、クリスマスパーティをやりたい、・・・」生涯の最後に及んでまでも荒木さんに食事を作ってあげたいと話す様子に涙がこぼれた。
 『陽子、1990年1月27日午前11時死去。』奥付に刻まれた荒木さんの手書き文字。陽子さんからの愛を永久に受けられなくなった荒木さんは、いまは誰からの愛情を食べているのだろうか。

2000年9月26日記


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