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明治通りと表参道の交差点には、サントリー缶ビールのペンギンも懐かしいセントラルアパートがかつて存在した。米軍関係者が居住していた場所、という”羨望”もこの街のイメージをアップさせた。原宿が竹の子族など、若者が集まりファッションの街になったきっかけは、練兵場、ワシントン・ハイツなど、米軍関係の施設がオリンピックを機に立ち退いたことに起因するらしい。アメリカは常に日本の上を行くという錯覚。現代では日本人独自の感覚を大事にする考えがこの街からも生まれているような気がするが。
佃島は日本の一等地・銀座との距離が意外と近いにもかかわらず、開発からは遠のいた存在だった。江戸時代に人足寄場だった石川島、大阪の漁民をルーツに持つ佃島と住吉神社のイメージが残っていたためかもしれない。荒木さんの写真には佃小橋付近の掘割に密集する釣り船宿と、ハゼ釣りする少年たちが見られた。現在はリバーシティ21に代表される大資本が注入され、一杯あった船宿は一軒を残すのみとなり、地下鉄月島駅が開業し、家賃の高い高層マンションが建ち並んで、島の様子も人の流れも急激に変わろうとしている。
浅草の六区にはアール・デコ調の映画館がまだ健在だった。近くには屋台が並び、浅草独特の雰囲気を作り出していたように思う。まだ筆者が小学生の頃、浅草寺に初詣に連れて行ってもらったときにこの通りを通ったのだ。正月という時期も時期だけにとても賑わっていた印象が強く残っている。
そして、筆者第二の故郷、神保町である。小林氏は無類の映画好きなのか、神田神保町といえば東洋キネマと連想したらしい。この映画館は、筆者が神保町の古書店に勤めだしてからも建物はしばらく残っていた。建築史上で言っても日本のダダイズム建築唯一のものとして非常に価値のある建物だったのだが、気が付いたら取り壊されていた。更地(駐車場)にするために壊すなんて、あまりに思慮がなさ過ぎる。東洋キネマの当時弁士をしていた徳川夢声の消息を三國一朗著「徳川夢声の世界」を引用しながら事細かに語る。玄関先に新幹線とD51の頭部が看板になっている「交通博物館」が、かつて万世橋駅だったことは、この「徳川夢声の世界」文中にある地図で知った。 終章を書き終えたあとで小林氏は、「荒木氏からいっしょに町を歩いて欲しい、と言われ、第一章から終章まで、すべて、同行することになった。たんに、文章に写真をつけるのではなく、相互に影響し合わなければ意味がない、というのが荒木氏の説で、まことにもっともであり、青山を歩いた日に、私は荒木氏がエキサイトする対象がわかった。」と語っている。青山や神楽坂の路地裏の細かいところに都市の面白さを発見していく荒木さんの観察眼のスルドサは、小林氏もよく理解するところとなっていたようだ。
そのあとがきで、この連載記事が終わった後にすぐ単行本化したのだが、撮影した時にはあった佃小橋や神田日比谷ホテルが取り壊されて、東京の変化はかくの如く早いとあった。確かにたった20年足らずで、この本に写っている街はほとんど残っていない状態となった。欧州の大都市では「中世の面影を今に伝える」ような街はごろごろしているのに、東京では20年と伝わらないのだ。 ”エキサイト”しながらも冷静に東京を見守りつづける荒木さんの視線。しかし、近作に東京の街を撮った作品があまりないのが気になった。東京の街はこれからも荒木さんの被写体たり得るのだろうか。 2000年10月17日記 |
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