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『母の死』では荒木さんのお母さんが亡くなったときの情景が語られる。「母は「ウッ」と呻くと、そのままであった。(中略)母は死んだのだ。私は、死んでしまったのに、まだ暖かい母の胸に、手を置いた。私の冷たい手を、よけようともしない。私はみんなに気づかれないように、乳首に触れてみた。私はざわめいた。そして、私は泣いた。」 喪主となった荒木さんは、葬式の段取りをつけた後、お母さんの遺影を作成する。その写真は、お母さんのアルバム帖から撮る事にした。そのページには、「父の写真、父の死後二年もたたないうちに死んでしまった長男である兄の娘の微笑の写真、末っ子である妹の花嫁姿の写真、その結婚式に私が撮影した母のポラロイド写真」の4枚が無造作に貼ってある。この肖像、編集、レイアウトはどの写真集もかなわない、と荒木さんは語る。 「アサヒペンタックス6x7に接写リング全部つけての複写作業は、母との時空世界であった。ボケの中から現われる母は、またすぐにボケの中に消える。そしてまた現われる。その時空は、ビデオをも、映画をも、そして写真をも超えていた。私は、母と時空世界にいた。」 葬式の当日、荒木さんはカメラを持っていこうかどうしようかとトイレの中で迷う。が、喪主であることを理由に写真を撮るのはやめようと決心してトイレから出る。しかし、式の最中、花に埋められたお母さんの安らかな顔や、霊柩車の後について車から見る街を見ながら、カメラを持ってこなかったことに後悔する。「あまりにもわずかの骨になって熱風とともに出てきた母を見て、私は、またまたカメラを持っていないことを悔やんだ。」撮りたいという気持ちに写真家としての”打算”が混ざっていないか、と自分を疑う荒木さん。しかし、お母さんとの最後の別れである。写真家でなくても何かに残しておきたいという気持ちになるのは不自然ではない。「私は、写真が撮りたかった。打算で、写真が撮りたかったのだ。母の死は、卑小な写真家である私を、批評し、糧となった。」 終始センチメンタルな筆致で綴られたこの文章には「あるいは家庭写真術入門」という副題が付いている。
荒木さんの写真世界で重要な位置を占めるのは、実に身近な存在であることが多い。両親と恋人。それは、荒木さんの写真が人生とイコールであるから出た結果である。個人的感情をむしろ大事にしていく姿勢。それが私写真へとつながる第一歩になる。 2000年8月8日記 |
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