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◆ノスタルジアの夜 荒木経惟
白夜書房 1984年7月7日発行
 7月7日、荒木夫妻の結婚記念日に出版された1000部限定、タブロイド版の写真集。
 この年の5月、荒木さんと陽子さんは六本木の映画館でアンドレイ・タルコフスキーの「ノスタルジア」を観る。映画で興奮したお二人は、冷酒をしこたま飲んで家に帰った。まさにその晩、玄関先から荒木さんの持ったコンパクトカメラのフラッシュは情景を照らし始めた。ソファに横たわって息をハアハアしているうちに二人の身体は入り乱れ始める。そのとき二人の間に起こった”コト”を記録した写真集である。

 表紙が豪徳寺にあるマンションの塀の写真。蛍光灯で中から照らされるはずの器具が壊れたままになっている。玄関の傘置き。荒木さんの書斎天井の電灯、と、帰宅してから荒木さんの行動がそのまま写真になっている。このあたりの情景は陽子さんの著した「愛情生活」の中に詳しい。「酔っ払った荒木が、フラフラした体でソックスを脱ぎ、籐の脱衣籠にポンと放り込むのだが、片っ方のソックスが中に落ちずに、デレンと籠に垂れ下がってしまう。この写真がなかなかカワイイ。」その後、陽子さんはパンティを脱がされ、指を挿入されてソファの上でのけぞっている。生々しい。提出された絵に作為や演出をまったく感じられないだけに余計生々しく感じられる。夫婦の営みの現場にカメラが持ち込まれることの危うさが直裁に伝わってくる。ライティングやアングルなどまったく関係なく、ストロボ一発で行為が描写されているからだろうか。当の荒木さんが撮影しているにもかかわらず、闇の中で行われている二人の行為をカメラという第三者が冷静に記録しているようにも見える。激しい二人の息づかいが不思議にもあまり伝わってこない気もする。

 ところが、当の陽子さんはこの写真群には「私の性悪な部分が、荒木に撮られた写真には驚くほどよく出ている」と述懐する。「私が一人ソファで喘いでいても、私の肉体は単に投げ出された肉体ではなく、彼の肉体としっかり繋がれている肉体」なのであり、「私が写っていても、そこには彼の姿が濃く投影されている。」と書く。行為をしながらの断片的な描写から二人の行為へ場面が進んでいくときの大きな展開。見ている者には唐突と思える場面転換に「生々しい」と感想を述べるものの陽子さんは決して動じない。むしろ行為の最中に見ることの出来ない”自分の姿”を捉える荒木さんの視線に興味を持って見入っている。

 写真集はその後、行為を小休止して夏みかんを食べている姿、TVや「ノスタルジア」のパンフレットを見る様子、壁に掛けられた猫のお面、お風呂にお湯を張る様子を描写したのち、再び二人の行為に戻っていく。「夫の股座に顔を埋め、冷静な眼差しで陰茎を含んでいる。」こういう描写が連続する。
 写真を撮影する荒木さん、撮影される陽子さん。このお二人は写真家とその妻という関係だけでは語りつくせない気がする。なぜなら、これだけ自分たちのプライベートな関係性を進んで作品として発表する写真家が他に見当たらないからだ。
 別の文章のなかで陽子さんはこんな風に書いている。「私が快感の波に溺れ、顔を歪め、身体を捩らせている時でも、彼は冷静にシャッターをきり、「この頃ケツにシワがでてきたねー」などというのである。(この人はいつもこんな風に、冷たく私の身体を眺めているのかしら)と私はゾッとしてしまう。(中略)もう撮られたくない。日々老けていく自分の肉体を、これ以上公に晒されたくない。とゆー気持と、撮られなくなるのは淋しい。自分を興奮させたり、逆に落ち込ませたりする彼の写真機に狙われなくなったら、私はオシマイであろう。とゆー、前とは正反対な気持である。」
 写真機を介して荒木さんと陽子さんは夫と妻、写真家とモデル、そして、男と女の関係性を行ったり来たりする。特に使い分けているのではないだろうが、写真家としての眼のまま”女”としての陽子さんに接する場面もあったのかもしれない。

 この写真集の途中に「小説」と題された陽子さんの文章が挿入されている。
 「「これは結婚記念日のプレゼントなんだよ」「この写真集を作ったってことが?」「そーだよ。」「フツーの夫の感情とは大分違うよね。」「そりゃあ、俺は、オットドッコイだからね。」などと、めんどくさそうに夫は答える。私の真摯な問いかけを彼ははぐらかし、ソファに寝転んで、耳かきで耳の穴をほじりながら、大原麗子の離婚記者会見のTV画面を見つめ、「いいねぇ、大原麗子の声は。」と言った。」 ここで文章は終わっている。
 肉体的にはすべてをさらけ出しても、どこかで互いに明かさない部分を持ち続けるのが夫婦であり、男と女なのかもしれない。

 行為が終わったあと、陽子さんはさっき湯を張った風呂に一人で入りに行く。荒木さんは一人でソファに寝転がりながらドアのノブを写したり、部屋の観葉植物にフラッシュを当てる。余韻に浸っているというよりも、陽子さんが去って手持ち無沙汰という様子に思える。風呂の中で陽子さんはゴキゲンにすごしているらしい。
 お互いを理解していながらも永遠にひとつになることはない。それが男と女なのかもしれない。

2003年1月1日記

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