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空景/近景
荒木経惟
新潮社 1991年11月25日発行
『妻が逝って、私は、空ばかり写していた。』 この言葉から第一分冊「空景」は始まる。
朝起き、カーテンを開けて空を見た時から一日は始まる。抜けるような青空の日も、今にも泣き出しそうな曇り空の日も、焼け付くように暑い日も、凍えそうな寒い日も、カーテンを開けて空を見ることでその日は始まるのだ。
白いテーブルに白いパラソル。晴れた日は気分良くバルコニーに出て食事をした。森山大道氏との対談も、このバルコニーで陽子さんを交えて行なわれた。この場所で過ごすことが大好きだった荒木夫妻は、ここから見える空も大好きだった。晴れた日も雨の日もここから見える風景を一緒に見ることが日課になっていただろう。
しかし、荒木さんには思いもかけない運命が待っていた。この見慣れた大好きな空をいつも一緒に眺めていた陽子さんが、子宮肉腫という病気によって他界してしまったのである。天気が良くても悪くても、それを一緒に喜んでくれる、文句を言ってくれる人がそばにいれば、その日もまたイイ日のうちに暮れていくはずだった。それが日常であり、大切な帰るべき場所だったのだ。なのに、その相手がいなくなってしまったのである。日常を失ってしまったショックと哀しみをわかるはずもない空は、荒木さんの気持ちとは関係なくいつもと変わらない表情しか見せない。そんな薄情な空が憎くなったのだろうか、荒木さんは写した空の写真にカラーインクで着彩してしまった。
ぽっかりと浮かんだ白い綿雲も、冬の真っ青な空も着彩され、空は泣き出した。まるでここから見た空が大好きだった人が亡くなったことを知ったかのように。
「妻が逝って、部屋の中から空ばかり写していたわけではない。 部屋からバルコニーに出て、バルコニーから、空、風、光、となりの柿の木とか、テラスにからみついた蔦とか、バルコニーの隅の忘れてたモノとか、バルコニーを写場に、ヨーコの好きだったグラスにビールをついでその光と影とか、枯れてゆく花とか、小鳥がつついたりんごとか、ヤモリのみいらとか、ヨーコと私のジョギングシューズを並べて写したりしていた、チロと。 A 」 これは第二分冊「近景」がデジャヴ4号に発表された時、冒頭に掲げられた文章である。
すべて自宅とバルコニーで撮影された写真である。雨上がりのバルコニーを覗き込むようなカットで始まる。絡み合う飛行機雲、雲間の青空、チロ、陽子さんの遺影。バルコニーにある陽子さんを感じられるモノに対して、写真家荒木経惟としては珍しいブツ撮りの手法で撮影を試みる。朽ちた白テーブルに、ヤモリのみいら、割れたリンゴ、枯れた花を活けた花瓶。静寂な時間を陽子さんを感じる被写体とともに過ごす荒木さんが写っている。
バルコニーからみた空。ここではむしろ表情豊かな空のある風景が提示される。流れていく雲を見ながら一日中空と向き合って過ごす荒木さんが、ペンタックス67の大きなシャッター音を響かせて空の表情を取り込んでいく様子が目に浮かんでくるようだ。
「空景」があまりにも荒木さんの心象風景をストレートに表現した作品で、詩人の吉増剛造氏が詩を寄せることが精一杯だったのに対し、この「近景」ではアルトゥーロ・シルヴァ氏、飯沢耕太郎氏がコメントを附している。
シルヴァ氏の文章は「死なないために死ぬ」と題された。「性を可能にすること。荒木はたいていの場合それに成功する。だが、この本において、彼と死が闘い、いまのところこれ以上はやり合えないと決意して引き分けたらしいということは、彼の苦悩の痕跡の一つとして見てとれる。」 荒木さんは陽子さんの死を悼んでいるだけではなく、むしろ写真行為をすることで充分に闘ったと氏は見る。
飯沢耕太郎氏は、「癒しの庭」と題し、このバルコニーが最愛の妻であり、写真家としてパートナーだった陽子さんを失った荒木さんの精神的リハビリテーションの役割を果たしたと述べた。近親者の死といった心的外傷を受けた時、世界と自分との関係は断ち切られ、知覚対象は石のように凍り付いてしまうという。動的な被写体を追い求めつづけた荒木さんも、すべて手を伸ばしてもいつものように捉えることが出来ず、凍り付いているようにしか感じられない、というのだ。
”コト”を写してきた写真家が”ブツ”にしか向き合えない事態。そんなとき、自分を取り戻していくための精神的リハビリにあてられたのが、このバルコニーという写場を「癒しの庭」とすることだったのである。飯沢氏は、荒木さんが立ち直る必然としてこの写真集が存在する、と見る。
「LAMENTS」(悲嘆)と題されたこの作品の最後は、雨上がりにも見えるトーンの豊かな空の写真で終わっている。解説のシルヴァ氏は「荒木のもっとも深みのある写真」と述べ、「荒木のこの一年を、その喪失感を、さらにこの写真集のすべてを見事にまとめあげる」と絶賛している。
「近景」の冒頭には「To Yoko」とある。何度か読んでいるうちにこの写真集が陽子さんへ宛てた荒木さんの手紙ではないだろうか、という印象を持った。こんな素敵な空を”写真”して過ごす荒木さんの日常がこの写真集からは垣間見ることができる。
写真家として出発した頃から二人三脚で走ってきた陽子さんの死は、荒木さんにとって大きな衝撃だったはずだ。それでもカメラを捨てることなく、再び歩みだす力強さに、先にリタイアした陽子さんは胸をなでおろしたことだろう。
2000年9月19日記
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