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人町 荒木経惟 森まゆみ
旬報社 1999年11月25日発行

 いつかどこかで見たような風景というのは誰でも持っている。旅行先で見たのだろうか、それとも小さいころに見た風景だったのだろうか。見渡してもそれらしい風景はもう残っていない。記憶は次第に思い出と変わり、美化されながら徐々に曖昧になっていく。
 そんな、”いつかどこかで見たはずの風景”が現役でがんばっている街が東京にも存在する。「ひとまち」たる谷中、根津、千駄木である。ここの地域雑誌を長いこと編集している森氏と、写真の天才が一年にわたって”谷根千”を撮り歩いた記録が本書である。

 撮影は1998年1月から1年間である。谷根千の魅力が荒木さんのライカによって撮影され、収められている。谷中へ行くにはJR日暮里駅が最寄である。駅を降りて坂を登れば左手には有名な谷中の墓地が広がっている。墓地に入らずにまっすぐ進んでいくと、森氏が命名したという「夕焼けだんだん」という階段に突き当たり、降りていくと谷中銀座商店街が軒を連ねている。谷中墓地は現在も大仏のある天王寺という寺の墓地が前身だという。幸田露伴「五重塔」のモデルにもなった谷中五重塔は天王寺が所有していたというから、当時の威勢がしのばれる。昔の街は寺の年中行事という大きな需要のある門前町が栄えるケースが多く、谷中も天王寺の発展とともに商人が集まり、職人が居を構えて街が広がっていったのだろう。現在もこの街は大小たくさんの寺を抱えている。

 三崎(さんさき)坂途中にある古い二連木造家屋、面六田口人形製作所、千代紙のいせ辰、十代続く伊勢五酒店。たった一本の坂にこれだけ谷中ならではのお店や建物が並ぶ。日暮里駅から谷中銀座へ抜ける道には、佃煮屋、パールケンネルのY字路がある。右に進むと夕焼けだんだんがあり、車にとっては行き止まり。左は「おぢさん」という質屋があって、このだんだん坂を降りれない車がもっぱら通っていく。だんだん坂まで行かずに左へ折れると朝倉彫塑館の黒いどっしりした建物があり、お向かいあたりには吉川錻力(ぶりき)店の硝子障子がある。

 谷中銀座の活気ある商店街を抜けると、突き当たりがよみせ通りとなる。うなぎ屋があって、ラーメン屋があって、駄菓子屋まであるのだ。よみせ通りを抜けると、三崎(さんさき)坂とぶつかり、このあたりが千駄木である。さらに直進すると、通称”へび道”といわれるくねくねと蛇のように蛇行した道が住宅地の真ん中を続く。よく見れば向かって右が文京区、左が台東区なのである。区の境をなすこの道の下には、藍染川が暗渠となって流れているのだ。この道はそのまま根津へと繋がっていく。藍染通りを抜けて不忍通りを渡れば、そこはつつじで有名な根津神社である。

 谷中墓地には猫が多い。森氏も「猫の会議」という文を寄せている。谷中墓地に猫が多いという評判が立ち、猫を見にくる人が増えて地元の人は困っているという。評判は評判を呼んで、ここなら猫も幸せに生きていけるに違いない、と踏んだ人が夜陰にまぎれて生まれたばかりの猫を捨てに来るというのだ。確かに銀座などの繁華街では猫を見なくなった。ゴミ捨て場の生ごみの袋を破ってしまうのは猫と相場が決まっていたが、現在ではカラスが群れをなしてごみを漁っている。今思えば猫のはいたずらくらいで済んでいた。カラスに追われた猫は、こんな谷中のようなのんびりした街で暮らしていきたいと思っているのだろう。

 「その昔、私の子供の頃は猫は単なる愛玩動物ではなかった。屋根裏のネズミたちを捕らえて食ってくれるありがたい生き物だった。夕食のために買ってあった鮭やサンマを二軒おいた向こうの猫に掠め取られても、いやんなっちゃうわねぇと母は嘆息したが、持ちつ持たれつだから飼い主を責めたりしなかった。そういえばネコマタギという言葉があった。猫ですらまたいで通る下賎な魚のアラを買ってきて、人間サマが食うのである。今晩はネコマタギだよ、というと、稼ぎの少ない自分への自嘲と受け取れた。」と森氏は書く。下町で猫がかわいがられるはずである。下水道が普及して猫のシゴトも減ってきたのかもしれないが、それはそれ。下町と猫が長年築き上げてきたこの関係を清算するだけの理由にはならない。

 8月、9月と、このあたりでは諏方神社と根津神社の祭りが開かれる。普段黙々と働いている男たちの晴れ舞台である。商店街のお祭り好きや、大工さんはこの月を待ってましたとばかり発散している。荒木さんのライカの前でいい笑顔を振りまいている。三崎坂を、谷中銀座を神輿が練り歩く。祭りは子供はもちろんのこと、いい年した大人もはしゃいでいい空間なのである。
 「祭りはいいよ。年に一度みこし担いでいれば、そばに神がついているんだからな。うまくできてるよ、精神のコントロールも肉体のコントロールも。偉いんだよ、江戸の人は。祭りをつくって庶民に発散の場を与える。夜這いもさせる。うまくできてるよね。あれがなくなっちゃったから、ストレートに強姦とか殺しに行っちゃう。」と荒木さんが語っている。祭りはなくしてはならない。人が狭い場所に集まって暮らす街だから、良い意味でも悪い意味でも摩擦が多い。それが年に一度の無礼講ですべてをご破算にできるから、また一年間皆が無事に暮らしていけるのである。

 筆者もこのあたりの雰囲気が好きでよく散歩しに行く。しかし、天才のようないい写真はなかなか撮れない。この本を見て、筆者には観光客としての視点しか持ち合わせていないから撮れないのだ、ということに思い当たった。街に暮らす人をひっくるめて好きなのかもしれないが、それは憧れであって、外から眺めた視点でしかないのである。この本は、生まれ育った街を書き続ける森氏と、同じ下町という共通点を持つ荒木さんという組み合わせだからこそできた仕事なのである。

 複雑に入り組んだ路地のような狭い道を歩いていると、妙に懐かしい気持ちになる。空を見上げるといつもより広い空がそこにあった。気がつけば都会では見上げるような空は探さなければ見つからないようになってしまった。”いつかどこかで見た風景”としての谷根千も、不忍通りという大通りあたりから侵食され始めている。しもた屋が取り壊されて馬鹿でかいマンションが立ち並ぶようになってきたのである。

 この写真集の最後、公園のブランコに乗る幼い兄弟が成長したあとの”帰るべき風景”が今と変わらないものであってほしい。失われた風景に辿りついた、という想いを抱く一傍観者の儚い願いである。

2000年11月7日記

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