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AKT-TOKYO 1971-1991 荒木経惟写真展
Edition Camera Austria 
1992年6月17日~7月11日開催
 荒木経惟的写真世界は1992年にひとつの画期を迎える。 オーストリア、グラーツのフォルム・シュタットパルクにて荒木さん初の回顧展が開催されることになったのである。その展覧会は「AKT-TOKYO」と題された。「これには東京を裸にし、女を裸にし、荒木を裸にするという意味がこめられ」ており、「ドイツ語でAKTとは、行為、儀式、演技、歌劇の一幕、寄席などの出し物、美術史における裸体画、性交、またグラーツ地方(南オーストリア)の方言として、文書、書類、保存用の記録といった意味もある。これらすべてのAKTの意味を含んだ展覧会名である。」と下記「AKT-TOKYO Documents」には記されている。 「AKT-TOKYO」の写真展カタログには効果的に伊藤俊治氏や伊藤比呂美氏、富岡多恵子氏の解説が挿入されているのだが、すべて独語と英語で掲載されていた。

「AKT-TOKYO Documents」は日本のフォトプラネットから出版された解説本で、文中の外国語がすべて日本文に直され、また、原カタログでは掲載し切れなかった展示作品の全点が縮小版ながら載っている。また、この展覧会が開催されるまでの経緯などがY.S氏によって書かれ「ドキュメント:AKT-TOKYO」として掲載されている。
 展示された作品は、回顧展であるだけに1971年からほぼ編年で進められていく。最初にくる写真はやはり「センチメンタルな旅」の表紙を飾る青学会館での荒木さんと陽子さんの結婚式の写真である。新幹線車中の物憂げな陽子さん、柳川の旅館での夜の夫婦の営みと進んだあと、写真は「愛情旅行」に移る。旅館蓬莱でくつろぐ陽子さん、奈良ホテルのベットに下着姿で座っている陽子さん。初めて見た写真ではないのにどれも新鮮に見えてくる。
 そこからは日付ダイヤルを使ったデタラメの偽日記写真である。撮影したのは1980年頃のものが多いはずだが、日付だけは85年からあとになっている。赤坂プリンスホテルから見た風景。焼けたネガ。男二人に広げられた女性器の小股。バルコニーで物干し台の紐に首を引っ掛ける陽子さん。東京ラッキーホール。

 89年の写真からビッグミニを使った「平成元年」掲載の日付写真が多くなり、89.8.11.の陽子さん入院写真から「冬の旅」写真へと移っていく。バルコニーに夜まで干されたままの布団。黒猫を抱いた少女。最後の握手。道端にへばりついた残雪。そして、棺に入った陽子さんの写真がくる。この写真には荒木さんの手書きの文章が添えられている。
 「すでに昏睡状態だった。なんか言葉が欲しくて、陽子、陽子、陽子と声をかけては口もとに耳をあてた。アナタ、と言った。その後は、呼吸音だけ、泣き声のようだった。  手指をにぎりしめると、にぎりかえしてきた。お互いにいつまでもはなさなかった。午前3時15分、奇跡がおこった。目をパッとあけた。輝いた。  死にぎわに、顔をなんどもなんども横にふった。イヤ、イヤ、死ぬのイヤ。  90年1月27日午前11時。陽子は逝ってしまった。   陽子が楽しみにしてた写真集「愛しのチロ」を入れてあげた。」
 次のページには浄閑寺のご住職の隣で骨壷を抱いた荒木さん、陽子さんのお母さん、桑原甲子雄氏が写っている焼き場での写真がある。

 「東京物語」「冬へ」「TOKYO NUDE」へと写真は移っていく。都心の発掘作業、新幹線の食堂車、路上の”スペルマ”、ベットに横になる妊娠している断髪の女、東急ハンズ、”墓場”へと続く階段、消えていく子供たち、ゴム跳びする少女、東急109、廃屋ヌード、佃島住吉神社鳥居、昭和天皇一般参賀、縛られ逆さ吊りされた女二人、神楽坂バルテュス、三千院京子。
 その後に「空景/近景」に掲載されたバルコニーでの写真が中心になり、最後の「色景」へと至る。荒木さんが描いたナン・ゴールディン氏の絵を写した写真のあと、陽子さんの好きだったアマンドピンクのコートに身を包んだ荒木さんが遺影の陽子さんを抱えてレリーズした夫婦の写真で終わっている。当初キュレートを担当したマンフレート・ヴィルマン氏と古屋誠一氏に写真の選定とレイアウトを任せていた荒木さんだったが、当初の案ではこのナン・ゴールディン氏の似顔絵が最後にきていたものを「最後はこれでなくっちゃ意味が違ってしまう」と、最後の写真を入れ替えることを提案したという。確かにこの写真が最後にこなくては「センチメンタルな旅」表紙の結婚式の写真が生きてこない。荒木写真の一番の理解者は、まず荒木さん本人であるということであろう。

 富岡多恵子氏は「「読まれる」写真」という文章の中でこう述べている。「「読まれる」ための戦略として、アラキは「日常」と「非日常」の間に、そのどちらにも属し、またどちらにも属さない「風景」という空間を用意した。「日常」はいうまでもなくアラキ夫人であり、「非日常」にはハダカの女たちが配置された。ハダカの女たちの異形ぶりはアラキ自身の演出による虚構である。この両方を同じ重量にしてぶらさげるのが「風景」である。ぶらさげられたどちらかが、少しでも重くなれば「風景」は大きく揺れる。アラキが、夫人を亡くしたあとしばらくは、自宅のベランダから空という「風景」ばかりを撮って『空景』という写真集をつくったのは、妻の死で「日常」の時間空間が消失し、片方のオモリがひと時はねあがってしまったからだ。」

 ヴィルマン氏と古屋氏が荒木さんの写真をセレクトする上で「妻・陽子との関係をめぐる作品、東京やヌードを主題とした作品」に主眼を置いたという。富岡氏の解説はこの展覧会の編者二人が持つ荒木写真への認識に対する解説にもなっている。もともと荒木さんの写真には文学的要素が多量に含まれている。その表現の仕方においても、写真一枚で表現を完結させるというより、写真集として組み上げることでひとつの表現を展開するという手法を取っており、氏の言うように”私小説的な写真構成”として表現は昇華されている。

 風景としての陽子さんの写真とハダカの女。日常と非日常。ウソとホント。荒木さんの表現するこれら対極の要素の写真を見るにつけ、コトの本質とはそれらすべてを内包したカタチで存在しているような気がしてくる。はっきりとしたカタチの無いままで全てを包み込む”存在”とは一体なんだろうか。荒木さんが「東京:TOKYO」を描き続けるのは、そのひとつの答えと見るべきだろう。

2001年1月16日記

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