
この「愛情生活」は、1997年になって作品社から再刊された。たしかに当時の古書価で最初の「愛情生活」はかなり高価になっていた。見比べるとわかるのだが、収録されている荒木さん撮影の写真に相違があったり、「花の人妻チャンネル」というコーナーが新たに追加されていたり、と各所に工夫が見られて楽しい編集になっている。なにより表紙には惹きつけられた。結婚前に京都ホテルへ旅行に行ったとき撮影された写真と思われる。少し退色したような懐かしいトーンの写真には、超広角レンズを使用した特有の描写で周辺が丸く歪んだ空間の中、非日常に身を浸す若き日の二人が写っている。赤い絨毯と白いシーツのコントラストがいい。
「ねえ、後書きってどんな風に書きゃあいいの?」で始まるあとがきには、初版当時の陽子さんの元気な文章があった。次のページには荒木さん手書きの「センチメンタルな、5月。」という文章がある。今は亡き陽子さんを想いながら、映画の撮影で25年ぶりに訪れた柳川の旅館。あの時の仲居さんに案内され、あの時の部屋に泊まり、あの時に撮影した中庭でシャッターを切る荒木さん。そういえば、「愛情生活」と「センチメンタルな旅」はほぼ同時にスタートしたのだ。
「あと5年?」「この前夫婦で手相を見てもらったのだが、なんと、夫の手相を見て占い師が、今は家庭運が非常にうまくいっていますが、あと5年後くらいに何か起こるかもしれません、と厳かな調子で告げたのである。」 それは確かに妙な出来事だったに違いない。違和感を持ちながらもこういうことは変に引きずるものだ。「<とにかく、あと五年ですからね>などと、私がわざとフテクサレタ言い方をすると、<そうだなぁ、あと五年か、楽しみだなあ、若い女がドッと来るぞ>と、景気よく夫が言い返す。」話の折々にそんな会話が交わされる。
陽子さんの門限は午前3時。ボーイ・フレンドと飲んでいて門限に遅れると、翌朝は荒木さんの説教を受ける。遅くなった事を反省しながらも、朝食の用意はするし、生活に支障をきたしていないんだから良いじゃない、という気持ちの陽子さん。すぐに「家庭に支障をきたしていないのだから浮気したって良いじゃないか」と同じニュアンスになっている、とそのカワイクナサに気が付いたり。
「<そんなに勝手に遅くなってばかりいるんだったら、俺の方も好き勝手にやらせてもらう。お互いに勝手なことやってりゃいいじゃないか>とひどく突き放した調子で夫に言われてしまって、ちょっとショックであった。」いつものようにはしゃいだ気分になれず、静かにしていると、「<ばかだなぁ、何を気にしているんだよ。そんなに深刻に考え込む事ないじゃないか。ちょっとオドカシだけだよ>と今度はやけに軽く言われた。」 お互いがお互いにお互いらしくあるために必要な時間。その比重の取り方が微妙に合わない事もあったのだろうか。そんな感情のちょっとした行き違いも、夫婦を彩る良いエピソードではある。
しかし、占いで言われた「5年後くらい」という言葉は、二人の信じられない別れを予言するものであった。
「おもしろいなあ、と思ったのは、ボンヤリ考えてる時には憶い出せない事が、文章を書き始める段になると、急にムックリと起き上がってきて、細かいディティールまでゾロゾロと這い出してきたりする事だった。(中略)私は原稿を書いている間ずっと幸せだった。愛の現在形である夫と生活し、現在完了形になったメモリーズとじゃれ合っているなんて、こんなにイヤらしく愉しいことはない。」 あとがきには、現在の荒木さんとの生活を楽しみ、過去の荒木さんとの思い出を懐かしく見つめる陽子さんの姿がある。
「最後の最後に、私の写真を撮ってくれた、愛しのカミナリ親父のわが夫に、愛情生活はいつまでも現在形でいよーね!」こんなやさしい彼女の想いを引き裂く運命がこの後に訪れようとは、書いた本人でさえも思いもよらぬ事だったろう。この本の続編が読みたかった。
2002年6月4日記
|