◆愛情生活 荒木陽子 白夜書房 1985年7月7日発行


◆愛情生活 荒木陽子 白夜書房 1985年7月7日発行

 荒木陽子さんといえば、かの写真家荒木経惟氏の奥様のことである。二人は電通で知り合い、結婚してご夫婦になったわけだが、普通の夫婦と違うところがあった。荒木さんは陽子さんをモチーフに作品を撮り続けた。そして、陽子さんは荒木さんとの夫婦生活を文章にして書きとめたのである。
この本には、陽子さんから見た二人の”愛情生活”の様子がとても生き生きと面白く描写されている。

 「あの日の赤ワイン」には荒木さんとの出会いがその心の動きとともに描かれている。「あ、笑わないで、さっきのムスーッとした表情の方がいい」 電通の社内報のために写真撮影に来た”変テコな格好をした、ケタタマシイ大声の男”荒木さんは、陽子さんにそう声をかけた。「「えっ笑わなくていいんですか」私はキョトンとしてしまった。「そう、君は笑わない表情の方がステキだよ」彼は私の瞳を覗き込むようにして言う。彼のこの芝居かかったセリフに、二十歳の胸はときめいてしまったのだ。」 「わが愛、陽子」にも登場する二人の出会いの場面である。
これがきっかけで付き合うようになった二人だったが、荒木さんは当時から「特別製の<変な男>だった」らしい。友人の結婚披露宴のお祝いに「モジャモジャした陰毛のような線が、マジックで描かれている」ケン玉を贈って断られたり、陽子さんをモデルにエキセントリックな写真を撮影したり、といった様子だ。「しかし、彼は、センシティブでナイーブ」だということに陽子さんは気付いた。「モディリアニの杏型の瞳の女や、ゴダールの映画や、インドシルクのスカーフや、ニーナ・シモンの弾き語り・・・の魅力を私に伝えてくれたのは彼である。 彼は私の中に眠っていた、私の大好きな私、を掘り起こしてくれた。彼に遭っていなかったら、そんな事には気づかずに過ぎたか知れない。ごくフツーの感性の男の人と結婚し、寝ぼけ眼のまま一生を送ったかもしれない。」 荒木さんに出会ってから自分は変わった、というはっきりとした自覚が陽子さんにはあったのだろう。二人の出会いはとても幸運なものであった。

「夫は結婚の翌年に電通を辞めた。辞職を決めて来た日、彼は赤ワインを一本買って来た。「今日はね、とても良い事があったから、ワインを買ってきたんだ」「なーに、良い事って?」「まあまあ、それは後でワインを開けた時にいうよ」」食事の時に荒木さんはワインを注いでから陽子さんにこう告げた。「実はね、今日会社を辞めて来た、だからお祝い、カンパーイ!」部長に呼び出され、さっちんの頃の写真に戻るか、裸写真を続けるのか、と進退を迫られたのが辞職の理由だったという。「そんな事を快活げに話しながらワインを飲んでいる彼を見ていたら、将来の不安を感じつつも、決然として辞職を決めて来た彼の心が透けて見える気がして、胸がじいんとしてしまったのだ。」 男が人生の岐路に立つことは一生のうちに何度かある(はず)。いざその時に至ってミットモナイ事はしたくないと思っているけど、そんな決心など簡単に崩れやすい。荒木さんはこの大きな岐路をこうして二人で乗り越え、ワインでお祝いした。当時の貯金通帳には6000円の残高しかない日もあったという。それでも夫の進むべき道を信じた陽子さんの姿に、筆者は強い母性を感じた。
「「経(のぶ)ちゃんがこんなに有名になるって、アナタ最初から解っていた?」と母に問いかけられた事がある。「有名になるかどーかは解らなかったけど、この人と一緒にいれば、私は幸せになる、と思ったわ」と私は答えた。彼以外には、私を理解する人間はいないんじゃないかなぁ、と今でも私は思っているのだ。これが幸せでなくて、何でありましょーか。」 結婚することで高められる男女二人。行間からは陽子さんの荒木さんへの愛が滲み出ている気がする。二人の出会いは必然だったのではないか、とさえ思う。陽子さんは荒木さんに父親の姿を重ねていたのかもしれない。
あの日の赤ワイン。一体どんな味がしたのだろう。

 愛の温泉消毒では、ロス、ニューヨーク、メキシコ、ブラジルの娼婦を「ネンネした上での撮影」をするという雑誌の仕事で送り出す陽子さんの心の動きが書き込まれ、キョーフの帰るぞではカミナリ親父としての荒木さんの「帰るぞ」に怯えながらもやさしい視線を投げかける陽子さんが居る。あー夫婦だなあでは、夫婦が生活を共にするときにお互いにさらけ出す”恥ずかしいこと”について(例えば荒木さんが入ったあとのトイレの臭い)、さらっと面白く描写されている。荒木さんを触媒にして夫婦のイキサツを描写する陽子さんの筆は、冴える。

 この「愛情生活」は、1997年になって作品社から再刊された。たしかに当時の古書価で最初の「愛情生活」はかなり高価になっていた。見比べるとわかるのだが、収録されている荒木さん撮影の写真に相違があったり、「花の人妻チャンネル」というコーナーが新たに追加されていたり、と各所に工夫が見られて楽しい編集になっている。なにより表紙には惹きつけられた。結婚前に京都ホテルへ旅行に行ったとき撮影された写真と思われる。少し退色したような懐かしいトーンの写真には、超広角レンズを使用した特有の描写で周辺が丸く歪んだ空間の中、非日常に身を浸す若き日の二人が写っている。赤い絨毯と白いシーツのコントラストがいい。
「ねえ、後書きってどんな風に書きゃあいいの?」で始まるあとがきには、初版当時の陽子さんの元気な文章があった。次のページには荒木さん手書きの「センチメンタルな、5月。」という文章がある。今は亡き陽子さんを想いながら、映画の撮影で25年ぶりに訪れた柳川の旅館。あの時の仲居さんに案内され、あの時の部屋に泊まり、あの時に撮影した中庭でシャッターを切る荒木さん。そういえば、「愛情生活」と「センチメンタルな旅」はほぼ同時にスタートしたのだ。

 あと5年?「この前夫婦で手相を見てもらったのだが、なんと、夫の手相を見て占い師が、今は家庭運が非常にうまくいっていますが、あと5年後くらいに何か起こるかもしれません、と厳かな調子で告げたのである。」 それは確かに妙な出来事だったに違いない。違和感を持ちながらもこういうことは変に引きずるものだ。「<とにかく、あと五年ですからね>などと、私がわざとフテクサレタ言い方をすると、<そうだなぁ、あと五年か、楽しみだなあ、若い女がドッと来るぞ>と、景気よく夫が言い返す。」話の折々にそんな会話が交わされる。
 陽子さんの門限は午前3時。ボーイ・フレンドと飲んでいて門限に遅れると、翌朝は荒木さんの説教を受ける。遅くなった事を反省しながらも、朝食の用意はするし、生活に支障をきたしていないんだから良いじゃない、という気持ちの陽子さん。すぐに「家庭に支障をきたしていないのだから浮気したって良いじゃないか」と同じニュアンスになっている、とそのカワイクナサに気が付いたり。
 「<そんなに勝手に遅くなってばかりいるんだったら、俺の方も好き勝手にやらせてもらう。お互いに勝手なことやってりゃいいじゃないか>とひどく突き放した調子で夫に言われてしまって、ちょっとショックであった。」いつものようにはしゃいだ気分になれず、静かにしていると、「<ばかだなぁ、何を気にしているんだよ。そんなに深刻に考え込む事ないじゃないか。ちょっとオドカシだけだよ>と今度はやけに軽く言われた。」 お互いがお互いにお互いらしくあるために必要な時間。その比重の取り方が微妙に合わない事もあったのだろうか。そんな感情のちょっとした行き違いも、夫婦を彩る良いエピソードではある。
 しかし、占いで言われた「5年後くらい」という言葉は、二人の信じられない別れを予言するものであった。

 「おもしろいなあ、と思ったのは、ボンヤリ考えてる時には憶い出せない事が、文章を書き始める段になると、急にムックリと起き上がってきて、細かいディティールまでゾロゾロと這い出してきたりする事だった。(中略)私は原稿を書いている間ずっと幸せだった。愛の現在形である夫と生活し、現在完了形になったメモリーズとじゃれ合っているなんて、こんなにイヤらしく愉しいことはない。」 あとがきには、現在の荒木さんとの生活を楽しみ、過去の荒木さんとの思い出を懐かしく見つめる陽子さんの姿がある。
 「最後の最後に、私の写真を撮ってくれた、愛しのカミナリ親父のわが夫に、愛情生活はいつまでも現在形でいよーね!」こんなやさしい彼女の想いを引き裂く運命がこの後に訪れようとは、書いた本人でさえも思いもよらぬ事だったろう。この本の続編が読みたかった。

2002年6月4日記

2017-04-30 | Posted in 荒木経惟写真集Comments Closed 

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