◆水着のヤングレディたち 複写集団ゲリバラ5 刊年記載なし(1971年)


水着のヤングレディたち 複写集団ゲリバラ5 刊年記載なし(1971年)

 複写集団ゲリバラ5とはいったいなんだろう。そのあたりは荒木さんの「天才になる!」(講談社現代新書)に詳しい記載がある。
 「最初につくったのは、「ゲリバラ三銃士」。池田福男っていうのは、スタジオマン。電通の社員じゃないんだけど、オレの専属アシスタントだった。しょっちゅう遊びに来て、そのうちどんどん髪切って、モヒカン刈りから坊主になっちゃった。八重幡(浩司郎)は、電通に出入りしてた下請けの会社の出向社員。その二人に高瀬(芳夫)って、写大から入ってきた生意気なカメラマンでなかなかいけるのと、演劇の台本を書いてた田母上尚久、そいつらを入れ込んで「ゲリバラ5」になった。」とある。

では「複写集団」の「複写」とは何を意味するのか。
「要するにね、「複写」っていうのは、よくオレは「ひざまずいて複写せよ」って言ってるでしょう。表現者は向こうなんだよ。表現しているのは被写体っていうことなんだ。だから向こうが表現しているものを複写すればいい。」そして実際に大きなホワイトボードを銀座の歩行者天国などに持ち込み、荒木さんがボードを持ち、ゲリバラ5のメンバーが通りすがりのカップルを「複写」した。
 この「複写」という概念は、当時から現在に至るまで脈々と荒木さんの写真の中に貫かれている。とにかく撮ること。撮れば撮っただけ、写っている被写体がどれだけ豊かな表現をしているかに思い当たるのだ。
 たとえば、この「水着のヤングレディたち」には300人あまりの湘南海岸に海水浴にきた”ヤングレディ”が水着姿で写されている。表紙の写真は文中に載っている馬場喜久代さんと加藤光恵さんのトルソである。「被写体が表現している」とすれば、構成もいらないとばかりに、奥付もないまま終わっている。当時流行っていたのか、ビキニスタイルの水着姿が目立った。
「一日で一冊作ろうとしたら、枚数を集めるのに一人じゃだめだろ。手分けしないと。だいたい複写だからね、誰がやったって似たようなもんだよ。」という手法である。
「「いいか、(海から)あがってくる女の子を、みんな撮れ」「絶対に電話番号訊こうぜ、訊くんだぞ」って言って、撮りまくった。」やはり撮影に関するコンセプトは荒木さんが付けているようだ。
 幼稚園生から高校生。20代から30代。果ては70過ぎのお婆ちゃんまでがヤングレディとして複写され、その脇には電話番号や住所、名前まで書き込んである。美人かどうか、スタイルが良いかどうか、ということには一切関係なく、声をかけて写真を撮らせてくれた人がすべて載っているといった趣きだ。
 当時荒木さんを写真の師と仰いだ寺山修司は、この写真集に載っている電話番号にすべて電話をかけた。半分くらい電話口に本人が出たと師匠である荒木さんに報告したという。

 複写集団ゲリバラ5の仕事はほかにもあった。
1.便所<ゲリバラ宣言> 高瀬芳夫
2.水着のヤングレディたち ゲリバラ5
3.Five Girls ゲリバラ5
4.情事 八重幡浩司
5.リアリズム 池田福男
 以上が現在の映像シリーズであるが、実際には4と5は出なかったらしい。
 手元には「Five Girls」があり、オフセット印刷された4人の写真が載っている。巻末に荒木さんが写真を寄せた「股旅お万恋唄」が載っており、これで5人である。

 「おー日本」に解説を書いた内田栄一氏が序文を寄せている。ここではプロの作り手が陥り勝ちな”食べていくための写真制作”によって毒されている写真界を批判した上で、ゲリバラ5の仕事の”鑑賞者として写真を見る目”を捨てない立場を評価している。
 ”自分はどんな写真を見たかったのか”、”虚偽の写真を見せられてはいないか”などのテーゼが提出され、ゲリバラ5はありのままに複写する撮影手法によって、我々の目の前に「真実の複写として見せてくれる。」と語っている。

 詩人である鈴木士郎康氏は「森羅万象丸め込み五人男」という文中でこう語る。
 「ここに並んでいる300名様の海水浴スタイルの女性写真は、何という退屈さであろうか。美人はいないか美人はいないかといくら頁をめくってみても無駄である。すべてそこらにいる美人がそこらあたりにいるポーズをして立っているまでのことだからなのだ。しかし、このことは、本当は重大なことなのである。これ程までに馬鹿正直に、そこらにいたりあったりするものを、そこらあたりにあったりいたりするような具合に虚構化したものはいないのだ。彼らは、意味ありげな意味に挑戦したものなのである。全く、森羅万象が、現に森羅万象が存在しているその通りに退屈でナンセンスに写真に撮られて、目の前につきつけられたら、そしてその意味を読んだら、その人間は完全に虚構そのものになってしまうであろう。ゲリバラ5は、私らをそのような虚構に追い込もうとしているのであろうか。それは恐ろしい試みである。 きっと挫折するに違いない。」

 ありのままを撮られてしまうと、ありのままが写った姿は自分のコピーとして対等な位置に立ち始める、というのが鈴木氏の論理展開である。現物が写真と対等になってしまうというのはまさに虚構の世界であるから、ゲリバラ5の仕事は現物を虚構の位置にまで追い込む結果につながっていく。もし日本人1億2千万人をすべて彼らが「複写」してしまうと、日本という国は虚構の世界へ引きずり込まれるのだ。それが怖いという意味でもあり、”挫折する”という予想をも導いている。
 かの「センチメンタルな旅」は、この複写集団ゲリバラ5の番外編に分類されている事は興味深く、荒木さんのこのバンドへの思い入れの一端をうかがい知ることができる。

2001年4月10日記

2017-01-22 | Posted in 荒木経惟写真集Comments Closed 

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