1998年11月渋谷ハチ公前 ROLLEICORD III XENAR75mmF3.5


ROLLEICORD1

渋谷は筆者の小さい頃からなじみが深い。私鉄沿線の自宅から出かける所といえば渋谷ばかり。帰りに東急の食堂で食事が出来れば、それは大いに満足すべき休日であった。
そんな頃の渋谷はもはや断片でしか思い出せないほど、街は変貌した。内需拡大とは再開発と称した巨大ビル建設の事だった、と知るのはつい最近のことだ。どんなに目を凝らして行き交う人の流れや風俗を見ても、あの頃を思い出させてはくれない。
街は変貌した。変わることで渋谷であると主張しているかのようだ。

ドイツの名門、フォクトレンダーから独立したフランケとハイデッケが、ドイツ・ブラウンシュバイクで作ったカメラ。メーカー名はそのまま「フランケ ウント ハイデッケ社」という。ロールフィルムを使うから「ローライフレックス」と名付けられた見慣れない6x6判を採用したカメラは、後に大ヒットした。その普及機がローライコードである。戦後になって高級機であるフレックス型にはプラナーやクセノタール80mmF2.8レンズが付き、普及機のコード型にはクセナー75mmF3.5レンズが付いた。
ライフの記者にも愛用されたというコード型は、フレックス型と異なり、セルフコッキング仕様ではなく、撮影者が自分で巻き上げ、シャッターをチャージし、レリーズする。つまり、自動でカメラがしてくれる部分を人間がしなければいけないのだ。しかし、その分だけ故障も少なく、人間の操作がダイレクトにカメラに伝わるという利点を生み出した。記者に愛用されたのは安いからという理由だけでは無いような気がする。
シュナイダー・クセナー75mmF3.5は3群4枚のテッサータイプ。普及タイプと思われがちなレンズだが、しっかりした像を結ぶのは作例の通り。やはりドイツ製品は肝心なところで手を抜かない。筆者はフレックスの重さが気になるとき、このコードを持ち出す。価格はフレックス型の半分から1/3以下だ。
二眼レフというカメラは現代ではなかなか馴染みが薄いかもしれないが、日本では戦後すぐの時期に大ブームが起きたことがある。頭の蓋を開けるとファインダー兼ピントスクリーンが現れ、ファインダーレンズから入ってきた絵が一度鏡に反射されて映し出されている。鏡の反射であるから左右は逆像である。ウエストレベルにカメラを固定して覗き込み、カメラを左右に振ると、中で景色が思うところと反対に振れるため、撮影には少し慣れが必要かもしれないが、アイレベルでの撮影に慣れ切った現代では、むしろ新鮮な体験だ。

ROLLEICORD III XENAR75mmF3.5

ROLLEICORD

 最初にローライの二眼レフを買ったのは、かれこれ4年前。高輪のカメラ店でぼろぼろの安い物を買ったため、案の定すぐに壊れた。金額も安かったので保証修理にならず、「安修理」を施してもらってから新宿ですぐに売り払った。それから資料にあたり、安くてよく写るローライコードをこれも高輪で買った。高輪は手頃な値段のローライがよく入荷する。ただし、すべての品物にOHが施されていないため、素人には難しい店だ。保証修理も質がいいとは言えない。おまけにカメラ屋には珍しくクレジットもきかない。現金商売の売りっぱなし、そんな店だ。いろいろと客が不利なようだが、じつは筆者が一番カメラを買っているのはこの店なのである。
ローライコードだが、買った当時はそれなりにきれいだと思ったが、扱いが粗雑なためか、だんだんきれいではなくなってきた。外形も少し歪みが入ってきているようにも見える。もともとローライをはじめとした二眼レフは箱型で首から下げるため、よく物にぶつけられたようだ。奇麗だと思っても中古で売られている特に古いモデルの個体はほとんどショック品とみて間違いない。それでもローライの魅力にとりつかれてしまう。外形が多少歪んでも写りは変わらない。クラシックカメラなのにまだ動かなくなるといった故障が一度もない。タフなカメラだと思う。

1998年11月1日記

2016-03-23 | Posted in 甘露PHOTO日記Comments Closed 

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