2001年10月神田神保町再開発 CONTAX Aria PLANAR T*50mmF1.4


planar50mm14

 神保町一丁目のいわゆる「神田村」と呼ばれていた書籍取次業密集地だった場所が、近年再開発される事になった。この決議が争点となった区長選挙は推進派と反対派の候補で票が真っ二つに割れたらしい。結局推進派の候補が当選し、去年から作業が開始され現在に至っている。

 票が割れたわけはもちろんわかる。なにしろ街が道路を含めて全面的に作り変えられる計画だったのである。実際にこの地域を縦横に走っていた路地がことごとく廃止され、写真に写っている道もまたこの先で工事にぶつかるところで行き止まりとなってしまった。道は交通量の増大で拡張される事はあっても廃止される事は無いと思っていたから、無くなったときにはショックだった。

 手前でコンクリート注入工事をしている場所は、すずらん通りに面した三慶楽器店の入った三角屋根の建物があったところである。メンズコーナー・ダンの建物は随分前に無くなり、キッチン山田と桃牧舎もこの夏で閉店し、現在は取り壊され更地になっている。昔からある建物が最近急ピッチで軒並み潰されていっている。一般的には汚い建物が無くなって街が奇麗になったと言えるのかもしれないが、年月の重みを感じさせるクラシックな建物や街並みに魅力を感じる人は少なくないはずだ。とにかく、再開発が始まってから一気に街は動き出した。この地域にかなり大きなショックを与えていると言えるだろう。

 ツァイスといえばプラナーを思い浮かべる人は多い。筆者もその一人である。プラナーの歴史は古く、1896年にまで遡る。カール・ツァイスの共同経営者エルンスト・アッベが数学者パウル・ルドルフをツァイスに招聘してから4年後の1890年に写真部門が設立され、ルドルフはその責任者に抜擢される。時を同じくしてツァイス傘下のガラスメーカーであるショット社によって新種ガラスが供給されるようになり、ルドルフはプロターF6.3アナスチグマット(非点収差除去)レンズの開発に成功する。その7年後、ガウスタイプ・アナスチグマットレンズとしては世界初となるプラナーレンズをルドルフは設計するのである。
しかし、当時コーティングが施されていないガウスタイプレンズはレンズ枚数が多い分だけガラス面の反射が多くなり、レンズが暗くなるだけではなくゴーストの発生も招いた。そのため、当時は「鷹の目」と称された万能レンズ・テッサーと、画質の面でライカを終始リードし続けた大口径レンズ・ゾナーの影に隠れ、結局コーティング技術が実用化される戦後までプラナーの活躍はおあずけとなった。
一眼レフが全盛の現代では、バックフォーカスの短いゾナー・レンズは活躍の場を狭められ、テッサー・レンズはコンパクトカメラ分野で主に採用されている。開発されてから実に半世紀も経ってからやっと日の目をみた苦節レンズがプラナーなのである。

 さて実際の写りであるが、ネガカラー、リバーサルフィルムと何本か撮ってみて、状況によっては発色がニュートラルに感じられない写真が上がってくることがあった。作例の写真はコニカSINBIで撮影しているが、快晴の空が逆光で白っぽく写っている。コンタックスの汎用フードは86mm経の大きなものをステップアップリングを噛ませて使う。大げさに見えてしまうからこの撮影では使わなかったのだが、逆光に殊のほか弱い特性を持つようである。 フードの大きさにはやはり理由があるようだ。

CONTAX Aria PLANAR T*50mmF1.4

PLANAR50mmF14

 このレンズもまたヤフー・オークションで落札した。どうも最近は中古カメラ屋を覗いても相場をチェックするだけで買うことが出来なくなっている。それはやはりヤフオクの存在が大きい。一度使っただけ、とか買ってそのままという状態のレンズが元箱付で出品されていると、箱があっても無くてもレンズの写りに関係ないことがわかっていながら、こちらに惹きつけられてしまう。もちろん、”一度使っただけ”なんて方便かもしれないが、実際に届いて触ってみるとほとんど使った痕跡の無い品物もあるので、あながちウソと切り捨てる事はできない。まあ、ライカ用のクラシックレンズと違って量販店に行けば新品が販売されているわけだから、買った状態に近くて奇麗なら安い方へ流れていくのは仕方ないだろう。

2001年10月23日記

2016-02-29 | Posted in 甘露PHOTO日記Comments Closed 

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