2002年1月丸子橋 LEICA M6 SUMMICRON35mmF2(M3 type)


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ほぼ毎週日曜日は家族を連れてどこかへ出掛けることにしているのだが、師走は年の瀬の仕事と宴会続きのために日曜日寝坊することがある。昼からじゃどこにも出掛けられないね、というこんな時に散歩がてら来るのが多摩川河川敷である。

 生まれて一度もこの川のほとりから離れて暮らしたことはない。むしろ新婚の住居は丸子橋の際に構えたほどだ。それは偶然としても、小学生の頃に新丸子東町会の野球部に所属し、河川敷にあった少年野球場で毎週土日には走り回った。試合では打てず守れず。いくら練習してもうまくならないので野球はあまり好きではなかった。それでも家が商売をしていて日曜日に休めなかったから、辞めても何にもならない。結局小学生のうちはついつい続けてしまった。6年生の時にはチームが大会で一度も負けず、とうとう川崎で一番になったりした。我々の世代は町会でいまだに有名だ。

 小学生になって初めての遠足は、この丸子橋を歩いて渡って行った対岸の亀甲山だった。5世紀頃この辺りに君臨した豪族が亀甲山に古墳群を築いたようで、10年くらい前には古墳資料館も作られた。桜の名所として有名になった場所の傍には、言われなければわからないくらいの小さい古墳群と、木々の生い茂った見上げるように大きい前方後円墳の亀甲山古墳がある。ここの展望台から見る多摩川の夕景はすばらしい。

 昭和9年に造られた旧丸子橋が架け替えられることになったのはショックだった。交通量の増大で上りの渋滞原因となってしまったのだ。取り壊される前に建て替え期間中の仮橋が姿を現した。頑丈に出来ていた旧橋と仮橋の華奢なつくりのコントラストが哀しかった。取り壊しから数年かけて2000年5月に丸子橋の新橋が一部完成した。一部というのは仮橋を含めた工事に必要な敷地面積を川崎側で充分に確保出来ず、仮橋を取り壊してから車線を増やす計画にしたためだ。やっと新橋が一部とはいえ完成したときにはなんとなくうれしくて、初渡りイベントにも家族揃って出掛けた。東京側から川崎側へ。華やかな吹奏楽のマーチングとパレード。大勢の人が完成を喜んだ。旧橋の武骨なイメージはなくなって現代的に洗練されたデザインに生まれ変わった丸子橋。我々はこの風景とともに年を重ねていくことになった。

 ライカM6TTL JAPANモデルを昨年末に購入してしまった。新品ライカである。そもそもデジカメを除けばウチにある新品で買ったカメラなんてここ10年はビックミニ以外に無い。そんな重大な事件だったのだが、買おうと思った直接の動機は「ウィンドウの向こうでライカが呼んでいたから」だった。情けないけど買ったことの理由なんて無いのだ。

 1984年にライカM6が発売されて14年が経過した1998年秋、ライカM6TTLモデルが発売された。それまでのM6も測光はTTL(スルー・ザ・レンズ)方式だったが、ストロボ調光にまで対応していなかった。TTLモデルのマウント内部を見ると、シャッター幕に印刷された測光用白丸を睨むセンサーが一つ増設されていることがわかる。センサーを増やし、マイクロチップを使って露出制御をデジタル化したことにより、ストロボのTTL調光が可能になったのだそうだ。この機能を追加したことでライカはM7と名乗っても良かったのではないだろうかとも思う。今回の改変をただのマイナーチェンジとしたところを見ると、ライカ社はあっと驚く新機軸を用意していると見てよかろう。ただし、R8のような形で驚かそうったって駄目だよ。

 ライカは並行輸入品が入るようになって格段に安くなった。銀座のL社では常に20万円を切る価格でライカの新品が並んでいる。その横に軍艦部に筆記体で「Leica」と記された新品ライカが座っていた。これが今回買ったJAPANモデルだ。日本総代理店シイベルヘグナー扱いのライカにこの「Leica」と文字を入れることで平行輸入品との区別をしたらしい。ただ冷静に考えてみると、同じ機能を持つカメラである。この文字が入っているかどうかで数万円違うというのは考えようによっては無駄と言えるのかもしれない。ライカ社も商売がうまくなった。

 さて、実際の使い心地なのだが、露出計の表示がファインダー像の下に明るく出る為、意識しないで撮影することは出来なくなった。ついつい反射的に絞りをいじってしまう。シャッター速度を設定するつまみの表示がライカの従来モデルとは逆向きになったのは、この内蔵露出計の表示と動作の向きを合わせるためだという。なるほど伝統あるライカもあとから追加された機能とはいえ、改良しなければならないところはちゃんと直すのだ。
以前量販店の店頭に出ていたM6のデモ機をいじっていたとき、ファインダー内の距離計窓が迷走光でテカって測距不能に陥るという不具合を何度も味わった。露出計云々よりもこの点が筆者をM6批判に向かわせたのだが、現在はまったくこの症状も出なくなっていた。同時にM6を批判する理由も無くなってしまった。

 カメラ店のウィンドウに座っているブラッククロームのM6を見ると、どこかプラスチックのような質感に見えてしまうことがある。しかし、手にとって巻上げ、ファインダーを覗いてシャッターを切ってみればそんな想いはどこかへ吹き飛んでしまう。昭和33年に製造されたM3用ズミクロン35mmレンズが何の違和感もなくピタリと装着できた。安心した。このカメラは紛れもなく、あの名機M3の直系たるライカM6なのだ。

LEICA M6 SUMMICRON35mmF2(M3 type)

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 なんで買ってしまったのか。それは未だにわからない。ただ、手許からヤフオクで買い揃えたコンタックスAriaシステムが消えていた。ライカを買うために下取りとして出したのだった。買おうと決めてから買うまでが今回は異常なまでに短い。これも何故だかわからない。ライカには謎が多い。

 2001年12月19日。今日ライカを買う。朝起きた時にそう決めた。それから下取りに出すカメラ(Aria関係一揃い)の準備を急いだ。元箱や取説。付属品にまで細かくチェックを入れる。どうやら亡くした物はない。昼飯を食べて市場へ行くついでに秋葉原のMカメラへ行く事にした。
竹橋から秋葉原まで歩いて20分。査定してもらうと「多少使用感がありますね」と言われたものの、全部で○○万円になった。それに下取り交換で10%増額してもらい、差額を入れてそこでライカM6TTLブラック(0.72)を購入した。店頭価格は238,000円(税別)だった。
ライカの新品を持っているという妙な緊張感が背中を走る。ライカを元箱のままデイパックに入れて背負うと、背中が気になって仕方ない。末広町から銀座線に乗り、新橋で座席に座ると膝の上で抱えた。道具にこんな扱いをして、ちゃんと写真撮る為に使えるのだろうか?(^^;
帰ってから封を開けた。真新しいライカが現れた。最初に付けたレンズはエルマー50mmのMマウント。カチッと音がし、ファインダーには50mmのフレームが表示された。

 増えた機材を処分して新しいカメラを迎える。なかなか良い。

2002年1月1日記

2016-02-27 | Posted in 甘露PHOTO日記Comments Closed 

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