2004年11月柳川慕情 Contax T3


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10月中旬。外は雨。二日間の予定で福岡へ出張である。組合が所属する全古書連(全国古書籍商組合連合会)という古書の全国組織の定期役員会に出席するためだ。組合から旅費と参加費と”責任”をお預かりし、出かけることになった。

定時に飛行機に搭乗開始。雨の中滑走路を移動する。いざエンジンが高噴射を開始してから瞬く間に離陸し、窓の外の東京湾は鉛色のまま斜めに傾いた。雲を突っ切って上昇するうちに低い雲・中層の雲を切り裂いてその上に出た。今までの雨空はあっという間に足元ずっと下に降りていき、まぶしいほどの青空が広がった。普段は上空にピシャリと張り付いて見える絹雲が、すぐ手の届きそうなところで風の影響を受けて絶えずヘラヘラと形を変えていた。別世界だった。

会議を経て翌日の朝。目が覚めたのは7時過ぎ。朝飯を食べに部屋を出た。今日は飛行機の出発時間まで1日フリーということになっていた。どこへ出かけようか、と風呂に浸かりながら考えた挙句、思いついたのは柳川だった。そう、荒木経惟写真集「センチメンタルな旅」の舞台。あの柳川だ。

行こうと決めたら気が急いた。シャツとGパン姿のいつものカッコで外に出た。カメラを手にする。もう昨日の会議でシャッチョコばった発言をした甘露はワタシの中から消えていた。

天神駅西鉄のホームへ。片道830円の切符を買い、改札を通った。ほどなくして大牟田行きの特急電車が入線し、ペット茶を買ってから乗り込んだ。よく晴れた朝。差し込んでくる朝日がまぶしい。電車はいつしか田んぼしかない風景のど真ん中を走っていた。ジワジワと旅情が胸の奥底の方から湧き始めていた。
久留米を過ぎ、柳川に到着したのは10時過ぎだった。駅前にはロータリーとほんの少しの商店しかない典型的な地方駅。帽子をかぶった真っ黒な顔のおじさんが川下りの案内をしていた。柳川観光に川下りは欠かせない。
ワンボックス車に10人ほど押し込まれ、ほんの5分で川下りの舟乗り場へ連れて行ってもらった。

4kmの距離を70分かけてゆっくりと遊覧する。川といっても川はほんの少しの距離だけで、あとは柳川城の掘割だと船頭さん。平城には幾重にも掘られたお堀が欠かせなかったのだろう。柳川市内にあるお堀の距離は全てあわせると470kmにも達するとか。これは「柳川から岡山までの距離なんですよ」と船頭さん。へぇー。お堀の両側に建つ民家にはお堀に向かって降りる階段がある。「これはここで水を汲んだりお米を研いだりしていたからなんですよ」と船頭さん。ははぁなるほど。舟に同船したのは11名。ハイシーズンなら20名乗れるらしい。ゆっくりと進む船。ゆらりゆらりと揺られながらカメラはどんどんフィルムを消費していく。荒木さんも陽子さんとこの舟に揺られながら写真をしていたのだ。
「ユックリ、ユックリ、お爺さんは棹を操って船を進ませて行く。するとたびたび木の小橋に会う。それもうんと低い。それで橋が近づくとお爺さんは「伏せて」と私達にいう。私達はマシンガンをよけるようにさっと伏せる。お爺さんはどうするのだろうと上目使いで見ていたら、棹を船のサイドに平行に構え、上手いことかがんでいる。さすがプロだ。そんな風にしていくつも橋を過ぎていく途中、鴉のような鳴き声で、バサバサと鳥が木から木へと飛んでいった。とちがらす、という名前だとお爺さんは説明してくれた。私はその時、伏せの状態が快いので、そのまま流れに身をまかせてウトウトしかけていた時だったので、突然の羽音にいささか驚かされた。」(「わが愛、陽子」よりセンチメンタルな旅の一場面) 「センチメンタルな旅」を彷彿としながらも、今回は一人旅である。撮るモデルの不在を何度か心の中で嘆いた。

あの「御花」の周りをぐるっと回ってから舟は船着場に到着した。船頭さんお勧めの鰻の店で名物のうなぎのせいろむしを平らげた。使い込まれた木で出来た器が印象的だ。味は噛めば噛むほど系。よく蒸しあげられたご飯はいつまでも熱くて、ほおばりながら何度もフーフーした。
食べ終わってからはいよいよ「御花」へ向かった。ある程度は予想していたが、柳川観光の拠点のような存在になっており、団体客は旗の先導でゾロゾロと中に入っていく。かの「センチメンタルな旅」で描かれた70年代ころの適当に寂れた印象はあまり感じられなかった。
謎の西洋館。中を見るには入場料を取られる。それはいいとしても、やはりあの写真集の雰囲気までは保存されてはおらず、いささか拍子抜けした気分になった。それでも西洋館の2階には甲冑もあったり、天井の装飾は写真集そのままに保存されている。じゃあ何が不満なのか。あのザラッとしたトーンの手触りか。いや、あれは写真表現だから実物のようで実物ではありえないのだ。
広い庭園を縁側から望んだ。快晴の空がまぶしい。陽子さんが寝っ転がった”石棺”はどこにあるんだろう。目を凝らしたが結局見つけられなかった。併設されていた資料館で”能面”を発見した。御花を後にし、川下りで来たお堀の淵に整備された道を歩く。

あたりは静かで人は歩いていない。いわゆる平屋も多い住宅地。かと思うと刈り取られた田んぼが広がる田園風景が現れたり。いずれにしろ、やはり人気はあまり感じられなかった。昔見た風景。言葉にすればそんな感じになるだろうか。歩いてはシャッター。立ち止まってはシャッター。ワタシはこの風景の何に写欲を感じ、シャッターを切ったのだろうか。視神経の延長としてのカメラか。昔の記憶を呼び覚まされて想いがシンクロしたためか。久しぶりの散歩だったからなのか。よくわからない。ネオパンが入ったT3は忙しそうに次々とフィルムを送っていた。

Contax T3

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使っていたペンタックスのAF一眼レフが故障してしまった。シャッターボタンを押してもミラーが上げ下げするだけで、肝心のシャッターが開かずにフィルムだけ送られる症状が出ている。折も折。ペンタックスのデジタル一眼の新作が発売された。この際あまり使わなくなった機材を一気に処分してAFデジタル一眼と等価交換してしまおうか、などと考え始めた。ただ、デジタル一眼レフはCCDが小さい(フルサイズの2/3)のでフィルムカメラ用レンズを付けた時には焦点距離を1.5倍換算で使わなければならなくなる。実はその点がいまひとつに思っているところだった。とはいえ、コンパクト型デジカメと一眼デジカメではレンズに大きな違いがあるので、上がってきた描写結果は断然一眼レフ型デジカメのほうが上になるだろう。少なくとも線の曲がり具合が小さくなるはずだ。掛けた価格なりの効果を得られるかどうかは使ってみなければよくわからないが、今自分が使っていないカメラを市場に戻すという意味だけを考えても”するべきだ”という声が聞こえる(^^;。フィルムカメラはこのCONTAXとROLLEI、BMとM6があればほとんどの写真は撮れる。一眼レフを使う場面はどんどん減ってしまっている。フィルムからデジタルへの流れを考察する意味でも、一歩踏み出すいい機会になるのかもしれない。

2004年11月18日記

2016-02-10 | Posted in 甘露PHOTO日記Comments Closed 

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