2005年1月浅草から合羽橋へ PLAUBEL MAKINA67 NIKKOR80mmF2.8


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12月のある日曜日。そう、浅草でどぜうを食べた日だ。

食べ終わって浅草通りを西へ歩いていくと、新しいビルに混じって昔の街並みが少し残っている場所がある。ちょうど本願寺 のあたりだ。すでにしもた屋になっているお店もちらほらだったが、ビニールシートで出来た看板の後ろ側には昔の看板屋さんが刷毛で書いたであろう手書きのぶっとい文字が隠れていた。桑原甲子雄氏の東京写真集を読んでいると、ペンキ手書き看板があふれている東京の街に出会うことが出来る。この形が当時は定番だったのだろう。

看板で思い出すのは合羽橋道具屋街入り口にそびえる巨大なシェフ像だ。都会のど真ん中のビルの上に あるこの像は、大船にある観音像のように肩から上だけだが、ビルの高さを考えると”この像の”等身大の大きさに見える。道具屋街は息子がぜひ歩きたいと言った。
合羽橋に道具屋が出来たのは大正に入ってから。歩いてみるとわかるが、食器、厨房器具、食品サンプルのお店がずらり と浅草通りから言問通りまで道の両側にひしめいている。休日なので開店率が低かったが、それでも見切れないほどのボリュームだ。 やはり人気は食品サンプルのあるお店。ケーキやパン、デザートはもとより、飲み物、野菜や魚、肉などの素材まで本物そっくり。大きさだけ縮めたすしネタのキーホルダーやケータイストラップが並んでいたりして、見ているだけでも楽しめる。さすがプロ御用達のお店もあり、厨房でしか使わないような高火力のバーナーだけ扱っている店や、大きな冷蔵庫だけ置いてある店、でっかいシンクばっかり並んでいる店もあった。取り扱っている品物によって入っているお客の密度はまちまちだけど、街全体でここに来れば何でも揃えられる、と思わせる演出は見事だった。

浅草通りの南側には仏壇屋さんがずらりと並んでいる。それはもう見事に仏壇屋さんばかり。地下鉄の駅で言えば田原町から上野まで続いている。どうしてこれほどまで集中したのかについては、大通りから北に道一本入って歩いてみればすぐにわかる。お寺だらけなのだ。仏壇屋さんのHPに曰く、江戸大火(俗に言う振袖火事)で江戸中心部から焼け出されたお寺がこのあたり集まったことに由来するらしい。お寺(需要)にしたがって仏壇屋(職人)さんも移動したのだろう。
秋葉原の電気街、小川町のスポーツ街、そして神保町の古本屋街。いずれも世界にあまり例のない日本独自の文化と思うのだが、実際にはどうなのだろうか。

上野駅は先年改装工事が施されたが、高層化はされずに原型が保たれた。街にはそれぞれカラーがある。なんでもホイホイと再開発・高層化をすればすべて良しとは言えないだろう。訪れる人たちが何を期待して集まってくるのかを考えることなく街を作り変えれば、いずれそのツケは必ず回ってくることになる。

PLAUBEL MAKINA67 NIKKOR80mmF2.8

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35mm判カメラがデジカメに押され、かつての名機もどんどん生産中止となった。唯一N社が最高級機を新たに市場投入するなど気を吐いているが、35mmフィルムカメラはいずれデジカメに取って代わられることが ほぼ決定的となった。
そんな状況でも変わらない存在感を示すのは中判カメラだ。フィルムは35mm判よりも一時代古いロール式だが、仕上がったときの原版の大きさが35mmとは比べ物にならない密度を誇る。それはあくまでも引き伸ばしを施したときに初めて出てくる特性でしかないが、6x7は120フィルムで10枚撮り、6x6は12枚撮りしか出来ないので撮影への集中力が要求される。この点が逆にデジカメとはまったく違うという意識を撮影者に与えてくれる。デジカメの”メモリが尽きるまでいくらでも撮影できる”という特性は、気をつけていないと撮影に望む撮影者の気持ちを弛緩させてしまう要素を含んでいるように思う。
プラウベルマキナ67はずいぶん前に購入し、一度整備に出しただけで大きなトラブルもなく使用に耐えている。他の67機が携行をためらうくらいの大きさなのに対し、蛇腹でレンズをタスキ繰り出し式にしている分だけ小さく折りたたむことが出来る。十分手持ちで使用できる67機だ。これを持って街を歩くと荒木さんの東京写真を思い出す。シャッターを切った街の風景がその空気とともにフィルムに定着できるような気がする。出来上がったネガがすばらしい。いつまでもそばに置いておきたいカメラだ。

2005年1月7日記

2016-02-07 | Posted in 甘露PHOTO日記Comments Closed 

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