2006年5月近所を散歩 ROLLEI35 TESSAR40mmF3.5


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 5月のとある日曜日。朝から雨。週末はいつも雨。

 息子は朝早く部活で出て行った。女房は朝飯の準備。送り出してから二度寝のご様子。ワタシは7時くらいに起きて昨日買ったベストセラー本「国家の品格」を読み続けた。
 午後になって雨があがる。少し晴れ間も。息子がなかなか帰ってこない。「お弁当持って行かなかったからもうすぐ帰ってくるんじゃない?」と女房。昼飯を食べ終わってもなかなか帰らず。で、結局帰ってきたのは14時ころだった。それから女房は息子に昼飯を食べさせる。出かけられたのは14時半を過ぎていた。

 「オレ行かない」と息子。じゃあ今週も3人で行ってくるか。この時間じゃその辺を一回りって感じかな。丸子橋を目指す。空はやっぱり曇り空。橋を渡り始めると河川敷ではいつものようにアメフトやっている人たちが。さすがに雨だったからバーベキューののろしはなし。河原ではでっかいルアーをバッシャバッシャ泳がせている人がいた。中州も出て引き潮の真っ最中。この時間は釣れませんゼ(^^;。

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 娘が通っているスイミングスクールを抜けると多摩川駅前商店街。今日はフリマを開催中。いつも思うことだけど、こうして1日店を出してちゃんと商売になるのかしら。まあ素人さんがお休みの日をのんびり過ごすという目的なら充分だろうけど、中にはちゃんと業者の方が商品を持ち込んでいる場合もあるようで、要らぬ心配をしたりする。そーは売れないんじゃないの・・・(^^;?
 お菓子屋さんがあり、名物の鮎焼きを目の前で作っていた。思わず買ってしまう。鮎焼きって鯛焼きの鮎版で、鮎の塩焼きではなくお菓子です。ほかに鮎せんべいも買った。これまた鮎の形をしたせんべいで・・・。
 娘はこういうフリマが大好きらしく、「なんかかってー」といつもの科白。なんかっていう買い方はやめようよ。それでも女房に空色の帽子を買ってもらったようだ。

 商店街を抜けるといきなり住宅街。目の前にカトリック教会の教会堂が見える。その横を通り過ぎるように坂を登っていく。さすが田園調布の住宅街は閑静で・・・と思いきや、すぐ横を東横・目黒線がひっきりなしに通過する。音もそれなりだ。高台の線路を見下ろせる場所で一休み。鮎焼きを食べた。まだ温かくおいしかった。

 田園調布駅の上にある百貨店。本屋に吸い寄せられる。娘は本屋なら何時間でも。本が大好きらしい。
国語のドリルを買って店を出る。ウチに帰ってブログを書いた。夕飯は近所のファミレスまで。

 ビデオ屋半額セール中。TRICKを借りた。ハマった・・・(^^;。仲間由紀恵イイね。

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 読んでいた「国家の品格」について書き留めておきたい。著者は数学者。それだけに数学に関する知識がそこかしこに現れる。また、ご自分で語学マニアと言われるほど、お若い頃に英語はもとより他各国語に熱中されたという。いろいろと物事を論理的に考える能力を持った著者が下した結論。それは「論理は必ず破綻する」ということだった。

 立場が違えばものの考え方が違ってくるのは当然のことだが、何か問題が生じた際、それを論理で解決しようと思うとうまくいかないという。論理ではなく別の規範を以て制する以外に解決しないことが厳然として存在する。これがまず大きな論旨。

 日本人が国際人になるために最重要なことは英語を学ぶことではなく、国語を学ぶこと。最近の小学生から英語を学ばせようという風潮に釘を刺す。自国のことを知らない者が世界に出て行ってもただバカにされるだけだ、というのが氏の主張。「漱石の「こころ」の中の先生の自殺と、三島由紀夫の自殺とは何か関係があるのか」ケンブリッジ大学でそんな質問をぶつけられたそうだ。英語をマスターするということはただの”手段”であって目的ではない。英語の前に自国の文化を学ばないのは本末転倒、というこれがまた大きな論旨。

 経済が発展して羨まれることはあっても尊敬はされない。これが最終章で述べられている「品格」について。お金の集まる国は確かに強いが、それは高い報酬に惹きつけられて優秀な人間が集ってくる由。
 ここでハタとシリコンバレーを思い出す。彼らは確かに超優秀で論理的に考え、その優秀なテクノロジーを駆使してグーグルを生み出した。それはネットを介して世界の知を再編しようという試みだ。彼らの主張はこうだった。「人間は判断を誤るから人間を介入させません。すべてプログラムが人間に代わって判断します。」これらは確かに論理的だ。そして、その発展していった先に何があるのか。「国家の品格」によれば「破綻」ということになるだろう。

 論理が一貫しているとあたかもそれが正しいことのように錯覚する。しかし、そこで一歩立ち止まって考えてみましょう、というのが、この本の言わんとしていることではなかろうか。そのとき考えがなければ「論理」に押される。論理に対抗できるのは「情緒」だ、と著者は主張するが、たとえそれが正論だったとしても、パワーが不足しているなぁ、と印象を持ってしまう。

 だからこそ気をつけろ、ということなんだろうけど。

ROLLEI35 TESSAR40mmF3.5

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  ローライにはモノクロフィルム、と半ば決めてかかっているようなところがある。それはこのカメラの外観によるところが大きいということについ最近気が付いた。この白(シルバーめっき)と黒革のコントラストに気持ちが引っ張られてしまうわけだ。別にカラーフィルムで撮影したって特段劣るような点は無いと思っている。でも、ローライを手に取るとやはり込めるフィルムは安売りのときにまとめ買いしておいたトライXだ。
甘露日記(Blog)を飽かず毎日書いている。そこに載せる写真を撮るためにどうしてもデジカメが要る。その写真がカラーだから、最近はフィルムカメラを使うときにはモノクロフィルム、というところまで筆者のフィルム・モノクロ化は進んでいる。ではなぜモノクロなのか、と話は繋がっていくのだけど、やはり”そういう気分”なんていーかげんな理由に落ち着いてしまう。すでに暗室引き伸ばしなんて行っていないわけだから、フィルムスキャンすることが前提ならカラーでもモノクロでも処理に違いは無い。でも、撮影するときの心構えが変わってくるのかも。もともと写真行為はメンタルな部分との繋がりが深い。

2006年05月30日記

2016-01-13 | Posted in 甘露PHOTO日記Comments Closed 

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