2006年6月上野界隈 ROLLEIFLEX2.8C PLANAR80mmF2.8


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 「な、スカーッとするだろ?」というポスターがずっと気になっていた。

 5月のある日曜日。外は雨。上野の科学博物館で開催中の「ナスカ展」会期終了も迫っていたので思い切って行くことにした。女房が早めに起きて朝飯の支度をしてくれたので10時には上野に到着した。霧雨が降る中、入場券を買った。

 ナスカといえば地上絵だ。それ以外になにがあるのだろうと思っていた。認識不足だった。会場に入ってすぐにそれがわかった。すばらしいデザインの土器が数々展示されていた。紀元0年から350年くらいの間に造られたものらしい。会場は大混雑。人の背中を見てるようだ。それくらいガラスケースの中に入っている土器を皆さん熱心に見つめて離れない。その魅力は色なのかもしれないし、形なのかもしれない。いや、最も驚いたのはそこに描かれている絵の素晴らしさだった。人間、鳥、動物。それらモチーフがデフォルメされて描いてある。それがまるで現代の著名作家が絵付けしたんじゃなかろうか、と思えるほどスッと馴染めるタッチだった。日本の縄文土器もすごいが、ナスカの土器もすごかった。キース・へリング。見てみればわかる。

 ナスカといえば地上絵。どうやって見せるのかな、と思っていたら、巨大スクリーンにCGで制作したバーチャル映像を映し出し、あたかもナスカの上空を飛んでいるように見せていた。実際の映像ならもっと良かったな、と思うワタシは古いのかもしらん(^^;。

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 外に出るとなんと入場待ちの行列が発生(!)。「ここから30分待ちでーす」と係員が声を張り上げている。・・・良かった。早く来て。それでも混雑していると思っていただけに、これで入場待ちがかかっていたら入るのをあきらめてしまっただろう。

 さて、これから何処へ行こうか。 そのまま帰ってしまうには早過ぎる時間だった。歩き始めたら「つかれたー」と娘。無理も無い。西洋美術館のベンチで休むことにした。女房が買ってきたポッキーを食べる。目の前にはロダン作「地獄の門」。有名な「考える人」がドアの上に座って悩んでいた。沢山の人が地獄をバックにニッコリと写メで記念写真。ドアには地獄絵図(^^;。ま。いいんだけどね。
「どーしてこういう難しい作品って明るいものが少ないんだろう」と女房。こういう作品を作れる人ってなんていうか先を見通せる能力を持っていたんじゃないかなぁ。「人とは違って?」そう。人間は何処から来て何処へ行くのか。そんなことばっかり考えていたら明るい作品なんて絶対出来ないからね。究極の”将来”は死ぬことだから。

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アメ横を歩く。このあたりは雰囲気が変わらない。今日も大トロが1000円、毛ガニも1000円で叩き売られる。あんまり買っている人を見ないんだよね。年末以外いつ売れているんだろう。
アメ横の混雑に当てられたか、再び娘が疲れ始めた。雲が切れて太陽が刺す。とたんに暑くなってきた。コンビニで水を買うことにした。ちょうど座って食べられるスペースがあり、おやつに何か買って食べることにする。

ちょうど湯島天満宮の例大祭で、神輿がそばの神酒所に座っていた。担ぎ手の方々が白い装束に身を包んでそこかしこに待機している。お祭り好きの娘としてはこの様子を見逃すわけには行かないらしい。いよいよお囃子が鳴り始め、神輿が上がるとそばまで行って見たいと言い出す。見に行くと大神輿で担ぎ手の人数が物凄く多く、そばを歩くだけの人がかなり居る。きっと時期を見て交代するんだろうけど、皆さん白い装束だけにまるで神輿が雲に乗って動いていくように感じた。

ガード下を歩いているうちに秋葉到着。新幹線のガードをくぐってYカメラ。息子が充電池を買いたいという。ワタシは例によって何も買うものなし。息子の買物に付き合ったのみ。女房と娘は楽器コーナーでキーボードを弾いていた。ウチにもあるじゃん(^^;!

ROLLEIFLEX2.8C PLANAR80mmF2.8

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  かのスナップの名手・木村伊兵衛先生はローライの撮影方法に欠点を見出し、次のように書いている。「ライカを手に入れてから今日までの間に、6x6判のローライフレックスを併用しているが、鏡を通して見るという点でシャッターチャンスを逸する場合が多いこと、カメラの位置が胸の辺でいつもきまってしまう点、対象の一部が四角のサイズにまとまりすぎてしまうこと、上からのぞくために撮影が大げさになり、相手に被写意識を持たせる度合いが強くなりすぎること等で、瞬間撮影をする今の仕事には不向きでめったに使わない。」(「私の写真技術」『木村伊兵衛傑作写真集』より引用) つまり、このカメラはライカに比べてスナップに向かないということのようだ。 ライカ・ローライと並び称されるこの二つの名機だが、その特徴は性格を全く異にしていた。
それは実際に使ってみればよりハッキリする。ライカを手にしたときとローライを手にしたときでは写そうとする風景が明らかに変化する。確かにめまぐるしく動く被写体にローライは向かない。ピントの山が掴みにくいスクリーンにはミラーに反射した左右逆像が写っているためだ。しかし、その速写に向かないというハッキリした性格は逆にこのカメラでなければ気がつかなかった風景に振り向かせるという特徴を生んでいないだろうか。
ライカを持つと風景に対して気持ちが能動的になるが、ローライにはカメラとしてそういう”押し”がない分だけ風景に対してどこか謙虚な気持ちになれる気がする。写ってアタリマエのカメラばかりが作られる現代はデジカメ時代へと完全に移行し、ライカ型の”押しカメラ”(^^;をさらに進化させたような能動的なカメラばかりが市場で溢れてしまった。
撮影者の気持ちを押したり引いたりしてくれるローライのようなスローカメラの存在は貴重だと改めて思う。

2006年06月06日記

2016-01-12 | Posted in 甘露PHOTO日記Comments Closed 

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